極寒に耐えよう!

マゾヒステッィクに走り納め2009年

 

2009年12月20日

 

浜名湖オレンジロードにて休息中のW氏、R1-Z氏

  

0.いつものように

 

今年もあと10日余り、WRT連合会の走り納めツーリングが開催された。今回は既に寒くなってきたことことから、山のワインディングは冬季自主閉鎖となっているので、奥三河、遠州方面を目的として、W氏がプラン提出・先導のと機長業務を行ってくださった。改めて御礼を申し上げる。

 

さて、いつの間にか12月になっていたのだが、今年はエル・ニーニョ現象が継続しているからだろうか、暖冬である。特に11月と12月中旬まではとても過ごしやすい日が多かった。ところが、ツーリング予定日、19日の数日前から突然寒くなり、当日は初雪・初積雪が観測された。これは別に驚くべきことではなく、気象観測データからすれば平年より少し遅いということだ。今までが暖かすぎたということか。

 

雪が積もったら2輪での走行は危険であることは言うまでもない。まあ、これを見越して。前もってツーリング日を20日の日曜日に変更していたわけだが、まだまだ寒気が残っており、寒い寒い。酷寒に耐えるツーリングとなった。また、全く関係ないが、宇宙戦艦ヤマトの実写版の森雪を演じる予定だったエリカ様は、だいぶ前に変更になったことはご承知の通りだが、海外逃亡?した感は否めないと追記しておこう。

 

1.集合(その1)

 

雪が残っている可能性を考慮して、集合場所は矢作川沿いのコンビニとした。またメンバーは各人、お疲れ気味であり、かつ気温の上昇を待つ意味合いからも、集合時刻を10時とした。

 

先週はTDMを動かしていないので、R1-Z氏が来る前にダンキンドーナツを済ませておこうと、いつものようにイグニションスイッチをONにして、セルボタンを押す。「ギュギュギュ・・・ポス」。いつもならばセルが数回うなるとエンジンは始動するのだが、冷え込んでオイルが硬くなっていることに加え、バッテリーの能力が落ちているのだろう。一発始動とはいかなかった。そこでもう一回セルボタンを、今度は長めに押したところ、難なく始動した。オイルはホンダ純正で、粘度は10W-40を用いているから大丈夫だと思っていたのだが、冷え込みに加えて大ボアの2気筒車だから、セルやバッテリーにはちょっと負担が大きかったようだ。冬は0Wなにがしのオイルに変更すべきだろうか。

 

暫くアイドリングをしていると、エンジン回転が下がってくる。オイルが温まってきたようなので、少し近所を回ってきた。これによりギアやらクラッチ、サスペンションやベアリング類も暖めることができる。ところで、暖機というとエンジンのみを考えがちだが、車体の方も暖機が必要だ。これは4輪でも同じことらしく、理想としては、エンジン始動後すぐにはトロトロと走行して、車全体を暖めると良いそうだ。間違ってもエンジン始動と共に大きくアクセルを開けて、回転を上げるようなことはしない方が良い。もっとも、国産車に関しては精度良く部品が加工されているので、神経質になることもないようだ。

 

そんなことを頭の中で反芻しつつ、暖機を終えて部屋でくつろいでいるとR1-Z氏から電話が・・・。「1ヶ月振りのツーリングだからエンジンかからせんで、もうちょっと待っとって」とのこと。なるほど、当方のKDXもちょっと放置するとすぐにグズグズになるからなぁ。2ストって生き物だというが、全くその通りだよ、ヤマトの諸君。

 

そう思って、TDMのホイルベアリング交換や、フロントフォークオーバーホールの内製化計画を練っていると、「(ボボボボ)今から出ますので(ボボボボ)」と背後のGB(Gold Brend)号の排気音と共に連絡があった。

 

2.集合(その2)

 

さて、だいたいGB邸から管理人宅までは30分ちょっとかかるのだが、なぜか20分程で登場。いったいどんな速度で走行してきたのだろうか。まあそれだけ遅れを取り戻そうと頑張って走ってきたということだろうか。そんなに焦らずともよいですよ、ありがとうございます。

 

この後ブリーフィングで矢作川沿いのコンビニまでのルートを確認、(頭の中の)航法装置を設定して出発する。ヒョ〜、風が冷たい。とはいうものの、こちらも対策済みである。靴下は通常のものと冬用の厚手のものを2枚、ユニクロの汗に反応して熱を出すタイツ、お馴染み射撃の的パンツ、上着はRSタイチの長丈タイプを装備した。またおまけに使い捨てカイロもつくっておく。本当は冬用ライディンググローブにピチピチの手袋を追加する予定であったが、今回は調達し忘れてしまった。ピチピチといえば、当方の通うジムに40代中盤のおばさん、ヨシノチャンがピチピチのウエアを着ている。年甲斐もなくと思うが、年齢の割には似合うところがなんとも不思議である。

 

前述のように風は冷たいが、陽が出ているので比較的暖かく感ずる。朝の始動でてこずったGB号も快調な音を発している。と思ってタンクを見ると、20cm程の大きな傷があり、塗装が剥げた部分があるではないか。R1-Z氏の話では、別のグループとツーリングをした際に、前走者が道路上に落下していた何かを跳ね飛ばし、当ってしまったとのこと。全くもってショックな出来事だ。さらにその物体は氏の後方を走行する人にも当ったそうだ。現状復帰には再塗装するしかないようだが、これを機にフェンダーも塗りなおしたらよいかも。また、もしも中古の出物があれば交換すればよいのだが、そうなると「単友」が頼りだ。やはり困った時は避けて通れないのがライダーの宿命か?

 

こうして集合場所には30分程遅れて到着した。W氏はすでに店内で朝飯を調達中であった。遅れて申し訳ないっす。そんな感じで挨拶を交わし、 

店の外へ出て、今年の出来事を話し合って盛り上がる。今年の強烈な想い出は5月末と9月の連休だねえと皆一致した見解を持っていたことを確認した。詳細は各々のリポートを参照願おう。

 

それと前回のツーリングで記載し忘れたことがある。それはSACT段差発生の件だ。SACTって何ぃ〜?これはブリジストン社の2輪用タイヤに用いられている技術で、「Straight and Cornering Technology」の略である。要するにタイヤのトレッド面中央部にはやや硬めのコンパウンド、角の方には軟らかめのものを使用して、ライフとコーナリング性能の両立を図るというものだ。そのトレッド面の硬いところと軟らかいところの境目に段差ができてしまったのだ。詳しくは以下の写真を、またまた参照願おう。

 

くっきりと段差が現れている

 

3.出発〜昼飯

 

こうしてW氏の先導機長役で出発する。毎度ながら冬場は走行可能な楽しい道が少ないので、当方は仕方なく主要国道を通ることが多くなる。ところが、W氏はなるべく並行する県道を選択してプランを作成しているようだ。まずは県道339号線を少し東進し、東名高速の側道で南下。そして再び機首を東へ向けて岡崎市の斎場やらゴミ処理場をかすめていく。この辺りは従兄とよくドライブするところだが、如何せん道順を覚えていない。こういう細かいところを選ぶW氏は、航法士としても1級の腕前だ。さすがである。

 

この後は県道35、37号線と繋ぎ、くらがり渓谷へ行くと思いきや、国道473号線へ乗り換える。そして「おかざきたけちよおんせぇ〜ん、んがしょうえん〜ぅ」の看板がある国1との交差点へやって来た。さらに、ここにはウエイブ(ウエーブ?)という本屋があったのだが、いつの間にか潰れており、建物も壊されていた。W氏は「温泉の看板はよく覚えてたね」とおっしゃるが、いやいや、その本屋の名前を覚えていたW氏には適いませんよ。

 

そんな会話をしながらさらに機首を090から100へ向けて国1を走行する。そして松並木で有名な御油を通過、国府からは県道5号線、県道21号線と繋げていく。そして赤塚のぎょぎょランド脇を通り、豊川市街へ向かう。途中自衛隊千両演習場というものがあり、門が開いていたので、戦車か何か出てくるのかという様相を呈していた。また、この周辺はうずらの卵の生産地で、養鶏業者の看板が多く見られた。そういえば、数年前に鳥インフルエンザが流行した時、この辺りはかなり被害を受けたことを思い出した。

 

徐々に街が現れてきて、国道151号線へ合流し、一旦コンビニで休憩をとる。かなり冷えているが、陽が出ているし対策をとっているので、なんとかセーフだ。時刻も12時を回っているので、用を足してからすぐに、ラーメンでも食べようと店を探す。同国道沿いには結構な数の店があるので、ラーメン店くらいどこにでもあろうと思っていたが、なかなか見つからなかった。なかなか見つからないなぁと半分あきらめかけていた時、「赤と黄色の看板」の店、シンシを発見。他に店が無いなら仕方ないとここに決定した。そして、ヘルメットをとりつつ、これは大きな賭けだねと皆で笑いながら入店する。

 

賭けは成功か?

 

昼時だというのに、店内は空席が目立つ。そう思うや否や、女性の店員がたどたどしい日本語で「空いてる席へどうぞ」と言っている。この時点で一同「賭けに敗れた」と思ったに違いない。まあいまさら退散するわけにもいかないので、大き目の席についてから、メニューを見て何を食おうか検討する。こちらの店は定食類が充実しており、ご飯モノとラーメンの組み合わせもでき、その選択肢が多い。我々は台湾ラーメンの定食を注文した。台湾ラーメンといえば、当然我々は、名古屋では有名な中華料理屋の宣伝文句、「タイワンラァーメン、本場の味、おいしいよ」と言って盛り上がったことは言うまでも無い。

 

何度も言うが、今日はとても寒いのでメンバーは皆、結構消耗している。台湾ラーメンにしたのも、体の中から暖まろうという考えに基づいている。やれやれと一息ついて、今年の活動状況について語り合った。まずはR1-Z氏と当方であるが、共にツーリングに出るようになってから、来シーズンでいよいよ10年になる。当方の爆発や、氏も半年程2輪から離れていた時もあったが、概ね年間5〜6回のツーリングを行ってきた。さらに一昨年からはW氏も仲間に加わっていただき、穴場のルートを紹介してもらうなど、一緒に盛り上げ、また楽しんできた。そのW氏は、80年代のオートバイやレーサーにも詳しく、雑学も得意とされている。この中で特筆すべきはGPレーサーの名前を、特に面白い響きのものを多数知っているところだ。その中でも「ポンス」が最高であったことは言うまでもない。また、R1-Z氏の「スポンサーはミツカンではないよ」というボケもいかしていた。そりゃ「ポン」だろと突っ込んだのは当方である。

 

さらに話題は具体的になっていく。ひと言で言うと、「今年はいろいろとありましたなぁ」というところだろう。ツーリングと言っても色々な形態があり、バイク乗りとて十人十色である。各々好みのバイクも違うし、楽しみ方も違う。ルート設定だってそれぞれの色が出る。我々連合会のメンバーも例外ではない。ただ、それを理解した上で、嗜好が近いところにあることから、無理なく、たまに行動を共にして、個々を尊重し、お互いの良いところを学び会おうというだけのことだ。それ故に持ち回りで機長業務を行い、こうして色々と話し合い、笑いあう。実に楽しいではないか。こういうライダーが集うことができたことは、本当に嬉しいことだ。ここで改めてお礼を申し上げる。これは裏返して考えると、趣向の近いライダーが出会うということが、いかに難しいかということだ。

 

さて、肝心な昼飯であるが、意外にも旨くて上の下くらいだ。いや、チャーハンに関しては完全に上級である。それに唐揚げの量も十分で満足いくものだ。デザートの杏仁豆腐もなかなかいけている。最初は賭けに負けたと思っていたが、いやいや、完全に勝ちである。

 

結構いけてますよ、この定食

 

そうしていると、ドヤドヤと中国人の集団が入店してきた。どうやら、この辺りでは溜まり場的存在になっているらしい。さて、そんなことを話していたら、いきなりコーヒー、しかもアイスコーヒーが運ばれてきた。「注文してないし、メニューにもコーヒー付とは書いてないなぁ。ひょっとして別料金だろうか」といぶかしがりつつも、このコーヒーを飲む。ラーメンが少々辛かったので飲み物が欲しいな、と思っていたが、この寒いのに冷たいコーヒーかと少々がっかりしていた。ところが、意外にも食後の口内がすっきりしてよかったと付記しておこう。関係ないが、「私はなっちゃん〜」と歌っていたのは星井さんである(マニアック過ぎか)。

 

4.奥浜名オレンジロード

 

黄色と赤の看板でもそれなりに良い店もあるじゃあないか、と満腹の感にひたりつつ、また皮肉たっぷりに店を出る。この先はいよいよ本日のメインエベント、奥浜名オレンジロードだ。当方は先月、W氏から教わった道であるが、R1-Z氏は今回が初走である。しかし、氏の言葉を借りると「タイヤがツルテッカン」だそうなので、走りは控えめにしておくとのこと。それに対して我々は「横のほうはまだ残っているから大丈夫だて」と無責任なことを言う。いったいどうなるのだろうか。

 

こうして一旦国道301号線を辿り、最近二人目の子供が生まれた梅澤邸の近所を通過する。また一緒に走れるようにV-MAXを復活させたいということだが、いろいろと忙しいので数年先になるだろうとのこと。待ってますよ。

 

梅さんの復帰を期待しつつ、東名高速を眼下に見下ろして、宇利峠を抜けて静岡県に突入していく。この辺りは林道が何本もあり、KDXで走ったこともある。冬場のトレーニングコースにでも採用したいところだ。こうしてややきついカーブが連続する峠を楽しみ、県道310号線で左折、東名三ケ日I.C.の手前を右に曲がると奥浜名オレンジロードの看板が出てくる。余談だが、前回のリポートで「きまぐれオレンジ・・・」と記載したら、W氏から「その漫画知っているのですか」とご指摘を受けた。まあ氏とはだいたい同じ世代なので、その時代の流行ネタなどはほぼ共通の知識を持っているとお思いいただいて、差し支えないと思われる。因みに水谷麻里や田村英里子も知っていたところが笑える。

 

ところで、このオレンジロードであるが、約10kmに渡って低中速コーナーが連続するワインディング路だ。少々勾配もあり、ダイナミックなコーナリングを楽しむことができるあたりが、笹暮もみじ街道に似ている。いや、こちらの方がやや速度が低いだろうか。そう考えながら次々に現れるコーナーを抜けていくが、W氏はリーンイン走法に切り替えて、ステップと路面が擦らないように努力している。それでも後ろから見ているともうギリギリだ。

 

一方R1-Z氏は、先ほどの無責任な発言などとは関係なく、タイヤなりの速度で走行している。結局三人の間には間隔が空いてしまったので、各々が独自のペースで走ることになった。

 

さて、このオレンジロードは、国民宿舎奥浜名湖付近で、前半戦と後半戦に分かれている。冒頭の写真は丁度その辺りで撮影したものだ。ここでW氏が左に寄ったので、我々も後に続く。それにしても良い道だ。特に冬場においては、山道は自主閉鎖しており、技量維持にも利用できるし、大変貴重な道であることも言うまでもない。

 

皆でこの道の評価を話し合っていると、なにやら中年のおばさんがやってきた。そして我々のバイクを撮影しつつ、息子さんもバイク乗りだと話しかけてきた。そして「オートバイ乗る子は変わり者が多いねぇ」と痛恨の一撃だ。どうもその方の息子さんはテントを持ってかなりあちこちへ出かけられているようで、野宿なんかヘノカッパらしい。う、他の2名はいざ知らず、当方においてはほぼ同類であろう。それにも増して、この寒いのにションベンが近いと文句垂れながら喜んで走っている、「マゾヒステッィクだ」と言われても文句は言えまい。

 

国民宿舎奥浜名を背後に

(紫のオバサンが件の人)

 

そう言っておばさんは去っていったが、本当にトイレが近い。ひとまず国民宿舎のトイレを借りることにする。ところでこの国民宿舎であるが、非常に眺望が良く、浜名湖を一望できる高台に建設されている。まだ最近開設されたようで、内部も新しく綺麗だ。できることならこのまま宿泊していきたい気分であるが、そうはイカの塩辛である。これから帰路に就かねばならない。ちょっと辛いなと沈んでいると、R1-Z氏はパンフレットを集めだした。どうやら母君の接待に利用して、バイク生活の資金提供継続を図ろうという計画のようだ。度々記載しているが、氏がこの接待を怠ると、バイク生活どころか小遣いの額にも影響が出るということなので、力も入るというものだ。

 

「良い接待先がまた見つかってよかった」と胸を撫で下ろしながら機体の近くに戻り、走り抜けるバイクを眺めてはW氏とバイクの機械構造について話し合った。そうしているうちに、当方はあるヤマハの人気車が多いことに気がついた。そしてその車名を思わずつぶやいたところ、「バイクに罪はないよ」と二人からご指摘を受けた。確かにその通りだ。今年はいろいろありましたからなぁ、思わず口にしてしまったというわけだ。

 

5.帰路

 

「ハイ、行くぞ」とか言って笑いながらオレンジロード後半を走行開始。それにしても、「ハイ行くぞ」と言えば、普通はその言い出した人が先陣をきるものだろう。後ろからついてくるとはやはりおかしい。この件は皆も同じ意見のようだ。

 

愚痴はこのくらいにしてオレンジロード後半の開始である。ここからはW氏の査察を受ける為、当方が先導機長を務める。さて、その後半戦であるが、前半よりもカーブの曲率は小さくなるものの、速度が乗るわけでもない、本当の農道という様相を呈している。快走できない、というかしてはいけない所だ。そう考えると、前半の方がより楽しむことができるということになろう。もっとも、この辺りは警察車両が頻繁に巡回しているようなので、いろいろと気をつけなくてはならないようだ。ただ、道端でみかんの直売をしており、30個ほどで100円とほとんど捨て値であることは特筆すべき事項であろう。

 

オレンジロードを終点まで走ったら、左折して県道303号、さらに68号へと進入していく。ところで、この68号線の入り口付近に「光寺」という寺がある。当方は「光寺」とばかり思い込んでおり、ここにもあったのかと車上で小躍りするほど喜んでしまった。やはり俺は変態だ。それが原因かどうかわからないがミスコースしてしまい、奥山佳恵林道の方へ入っていってしまった。余談であるが、奥山佳恵の写真を見て高橋由美子が「ボヨヨヨン」とか言っていた。それはともかく、奥山林道はそれほどガレていないので、オンロード車でも走れないことはないが、各人消耗しているので万光寺、いや方光寺まで引き返す。おっと、Uターンには注意しよう。タチゴケしても責任は自分持ちですからな。

 

地図を見てみると、どうやら脇道と思われる方が68号線の本線のようだ。やられたというか、修行が足らんですな。「なんでこんなとこ走るだ」と文句は出ないが、ここは反省すべきところだ。ところで、先述の寺の名前を誤認識していたことは、ここで指摘を受けたと追記しておこう。

 

この後は一旦国道301号線へ出て、国道362号線で本坂トンネルを抜けて、豊橋市街地から国1へ合流。この辺りで日没となり、気温も下がってきた。まだ16時30分なのに暗くなってきたので、やや心細くなってくる。こう感ずるのは当方だけであろうか。今日は3台のツーリングだが、独りでしかも北海道なんか走っている際に同じ状況なら、かなり不安感を覚えることだろう。もっともそうなる前にテントを張り、くつろぐことが原則であることは言うまでもないよ。

 

途中国道沿いのコンビ二でトイレ休息した後、再びW氏が機長を務め、朝の集合場所へと向かった。すっかりと日は暮れてしまっているので、昼間以上に周囲に気を配りつつ走行する。2輪は見落とされる可能性が多いからね。ん、W氏のマシンの排気音はドロドロと、ややアメリカンっぽいなぁ。最初はどこにアメリカンバイクがいるのかと思ったよ。

 

そんなことを思いながら、無事に最初の集合場所へ到着した。やれやれとホッとするが、今日はW氏お得意の火花走法が見られなかった。それについては、「サイレンサーの取り付け位置を目いっぱいまで上方に上げた」とのことだ。たしかに、リアアクスルのでかいナットとサイレンサーが少し接触している。上げ幅自体は少ないのだが、この処置がかなり効いているようだ。

 

こうして、ここで来年の再会を約束して解散となった。

 

6.おまけ

 

今年もいろいろとあったわけだが、無事にバイクを楽しむことができた。WRT連合のメンバー方にも大変お世話になった。こういう気の合う仲間がいることは本当に恵まれていることだ。改めて御礼を申し上げる。

 

さて、そしてバイクを楽しむ上で一番大切なことは「家に帰る」ことと言えよう。こんなことは今更言わなくとも、WRT連合会のメンバーならば心得ていることだ。が、しかし、今年はいろいろあったことだし、その他気をつける事項、確認する事項を今ここで、一応明文化してみた。そしてこれをWRT憲章として(当方が勝手に)採択することにした。

 

「やはり2輪は手弁当(全ての責任自分持ち)」

「ゴリ押し、無理強い禁止」

「計画ルートに拘らず、予定時間も目安程度」

「ルート間違いも計画のうち、出たとこ勝負もまた一興」

「査察を受け、技量維持に努めれば安全運転にも繋がる」

「家に帰るが究極の目的」

 

明文化すると堅苦しいが、要するに、我々は趣味でオートバイを楽しんでいるのだから、皆で楽しく、無理なくやりましょうということだ。結局小回りの効く範囲で、都合がつき、気の合う者同士で時々走る。これだけのことだ。

 

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本日の走行 250km