北海道紀行6

 〜夏はやっぱり北海道?〜

 

2011年8月19日〜8月29日

 

いつもの通り、出発前に自宅アパートにて

 

第0日目(8月19日)

 

0.序

 

今年も暑い夏がやってきた。前半は晴天が続いていたのだが、8月の中盤になって天候が不安定になってきている。これは、日本列島に梅雨時期のような前線が停滞していることによるのだが、この動きが今年の北海道ツーリングの鍵を握っていることは明からだ。太平洋高気圧に頑張ってもらって、頼むから前線が消滅して欲しいと願いつつ、出発の8月19日を待った。しかし、相変わらず前線は日本列島上にくっきりとその姿を見せており、「今年はだめかな」と早くも弱気ムードである。

 

それはそうと、今年も夏のロングツーリングの目的地は北海道に決定した。「今年は間を空けて違う場所へ」と考えていたのだが、ここのところの暑さと北海道の魅力に負けてしまった。早速近所の旅行代理店へフェリーの切符を購入に出かける。毎年この時だけ訪れる店だが、結構忙しそうにツアーの申し込み客をさばいている。その間に入って、旅券のみを購入するのがちょっと気が引けるが、応対は皆に平等に行ってくれる。

 

さて、航路の選択だが、当方の住む中部地方からは「敦賀→苫小牧東」が使い易い。しかし、生憎出発予定日の19日はバイクが「×」ということで、北行きは「舞鶴→小樽」航路にした。ま、到着時に灯りがあり、朝市で旨い海産物を食える小樽の方が、北行きとしては好きなんですけどね。復路に関しては、自宅から近い場所に降り立ちたいので、前述の「苫小牧東→敦賀」を選択する。

 

こうして往復の足を確保したならば次は機材の選定だ。TDM900、XLR125R、フィットと3つの候補から、信頼と実績のTDMを選択する。やはりこれしかないでしょう。XLRも視野に入れてはいたが、ここのところ年齢のせいか疲れやすくなってしまったのでオチとした。しかし、いつかは林道を梯子するツーリングをしてみたいものだ。

 

使用機材も決定し、フェリーの予約も完了したならば、後は出発の前にオイル交換とワックスがけを終えて、当日を待つのみだ。だんだん近づいてくる出発日であるが、今年は案外と落ち着いている。というのも、今回は通算で6回目の渡道であるし準備も滞りなく進んだからだ。だんだんと勝手がわかってきたということなのだが、こういう時はクダラナイミスを犯しがちなので、気をつけてなければならない。尚、今回の使用機材であるTDM900による渡道は5回目であり、もちろん当方のバイク歴の中では一番回数が多い。また、積算計はすでに70,000kmを超えており、そのうちの15,000kmくらいは北海道で回したことになる。TDMだと遠くに行きたくなるんだよね。

 

1.出発

 

御存知の通り今年はかなりユルイ生活をしているので、金の節約のために下道を利用することにする。ただ、一応言い訳しておくと、全く用事が無いわけでもないので、旅程は例年通りの10日間である。そしてその目標であるが、当然「無事に帰還」である。これを無くしてはツーリングは語れまい。

 

直前までは案外冷めていたのだが、ツーリングの前日はワクワクして寝れなくなってしまった。そのせいか、当日は午前10時頃まで起床することができなかった。もちろん準備は整っており、ツーリング機材のTDMは前日までに整備を終えているし、荷物もまとめてある。ただ、ブーツカバーがダメになってしまっており、また我らが査察操縦士のW氏がいつも使用しているマップケースが気になっていたので、この2点を近所の用品店にて出発前に購入した。ちょっと予想外の出費だったが、旅行を終えた今となっては必要な投資だったと思えるので問題なし。

 

こうして昼食を摂って13時30分、強い夏の日差しの下出発する。だが、1劼盥圓ないうちに「コンパス付腕時計」を忘れてしまったことに気が付いた。これが無いとツーリングそのものが成り立たなくなってしまうので、一旦自宅に引き返す。そしてコンパスを探し出し、再び仕切りなおして出発。

 

舞鶴までの行程はおよそ250km、これだけでもちょっとしたツーリングだ。ナゴヤドームを横目に国道19号線から302号線、そして「江」で話題の清州から22号線で一宮へ向けて走行していく。話は逸れるが、会社のニワさんが「清州城でボランティアガイドをしているから見に来て」と言っていたことを思い出した。あの人は「俺は人前で話すのは苦手だ」と言っていたのだが、無事に勤まっているのだろうか。ただ、度胸は人一倍ある人なので、その辺りで補っているのだろう。また、先日「江」演ずる「上野樹里」が清州に来たそうなので、その時の話も聞いてみたいものだ。

 

それにしても街中で大荷物を搭載したマシンを駆ることは、なかなか疲れることだ。おまけにこの暑さ。さらには渋滞している箇所もある。いやはや、参ったなぁ。因みにここまでの平均時速は30/hだ。これを知って少々がっかりしたので、勝川付近のコンビニで冷たい飲み物を飲んで休息する。

 

予定ではもっと進んでいる筈なのだが、そんなものはいつも崩れ去るのでいまさら驚くこともない。そう思えることが順調に進んでいる証だよ、ヤマトの諸君。休息して余裕が出てくれば、思考回路も元に戻る。今年は是非ともゆったりとしたツーリングにしたい。焦るとロクなことが無いことは今年の生活が物語っている。早めの休息を心がけたい。

 

2.ようやく脱出

 

こうして岐阜から国道21号線へと乗り換えて、heading270、45ノット維持で名古屋圏から脱出に成功する。そして、長良川や揖斐川にかかる長い橋を渡り、少しずつ遠くへ行く実感も沸いてきた。ただ、いつもなら名神高速を走行するので新幹線と並走するのだが、今年は刺激の無い河越えだ。

 

2回目の休息をする頃にはだいぶ日も傾いてきて、暑さも和らいできた。既にお盆も過ぎているので、こういうところから少しずつ秋が近くなってきていることを感ずる。そんなことを思いながらR1-Z氏にライブリポート初回を配信する。

 

この後、国道21号線の関ヶ原バイパスで伊吹山、さらには365号線で米原を避けて、これまた「江」に坂角の縁がある長浜へ。ここも「江」にあやかって、なんとか街を活性化させようと必死になっているのだろう、大きな看板が立っていた。それはそうと、最近の若い女優は顔立ちが西洋風になりつつあるせいか、時代劇の和装がどうにも似合っていないように思われるのは当方だけだろうか。自分としては、「宮沢りえ」あたりが限度いっぱいだ。

 

そんなクダラナイことを考えつつ、木之本から国道168号線、さらに303号線と次々に航路を変更していく。その度に間違い無いかをコンパスで確認する。おっと、今日はマグネット式のタンクバッグを装着しているせいか、コンパスをやや高い位置へ持ってこないと正常に作動してくれない。コンパスを見ていて間違っては話にならんからなぁ。

 

そう考えていると目の前に琵琶湖が見える。予定のコースを維持していることが確認できてホッとした。しかし、この頃になると陽も完全に沈み、かなり暗くなってきた。気を緩めてはならないぞ。

 

こうして今津からは機首を300に向け、国道303号線でアメリカの大統領と同じ名前の小浜市を目指す。いつだったか、当時の小浜市長か、商工会長かが大統領に直々にメッセージを送ったこともあったように記憶している。

 

さて、なんだか前方車のテールランプが光るタイミングに対して、当方のブレーキをかける反応が遅いように思う。疲れているのだろう、ミニストップに入って軽い晩飯を食すことにする。ただ、昼間にとても暑かったせいか、水を飲み過ぎたのだろうか、それほど食欲がない。そこで、豆腐やすしなどを少なめに食べて、また腹が減ったらその時に食べることにする。

 

豆腐サラダとカッパ寿司のセットで軽い夕食

 

3.舞鶴港へ

 

食事をしたら少し元気が出てきたので、注意しながら夜間走行を続けていく。小浜市街まではまだ少々距離があり山間部を走っていくのだが、こういう時はなんだか心細くなってくる。別にいつものことなので、どうということはないのだが、やはり暗さは人に何かしらの恐怖心のようなものをもたらすのだろう。

 

そんな風に自分に言い聞かせていると、仮にここにもう一人誰かいれば状況は大きく変わるだろうということに気が付いた。さらに、先日事務仲間のオークラ氏から「管理人氏は自分の心にウソをついていないか」という指摘を受けたことを思い出した。別にウソはついていないが、諸事情によりそういうことにしているのだ。何のことかと言うと、人生の伴侶の話だ。ご存じのように、当方は典型的なバツ持ちである。それに、気を遣うような面倒臭いことが大嫌いなので、もうそういうことは止めにしておこうと考えている。確かに、これは心というか、本能に反した考えであることは言うまでもなかろう。だから「諸事情によりそういうことにしている」のだ。

 

ところが、何か事がある毎に、「高校の時に好きだった人」や、「大学の時にそれなりにいろいろあった人々」のことを引き合いに出しているとはいかにも女々しい。当方という人間は全くもって困った奴だ。人間であれば避けることができない、いや避けようとすること自体がそれこそ面倒なはずだ。まあ、この件は帰宅後にまたゆっくりと考えることにしよう。今から北海道というライダーの聖地へ行くのだから、無事に走り切ることに専念灸。おっと、そういえば、せんねん灸はさっき通過した長浜市に本社を置いているって初めて知った。

 

ちょっと考え事をしていたら、いつの間にかに小浜市街地へ入ってきた。いよいよ舞鶴も近いぞ。そう考えるとだんだんと旅のテンションも上がってくる。いざ、舞鶴港へ。

 

こうして、フェリーターミナルには21時前に到着した。いつぞやのように、出航90分前の23時に到着できないというヘマをやらかすことはもうしまい。バイクを一番右側のレーンに駐車してから事務所へ向かい、乗船手続きの書類を記入する。そしてカウンターにはいつものように女性職員がにこやかに座っている。当方はこの手続きの瞬間が結構好きである。というのも、いかにも「これから旅にでます」という行動であるし、職員の笑顔に癒されるからだ。ただ、復路の日にちを28日とすべきところを29日としていたことを職員から知らされた。ああそうだった、あんた用事ができたから28日に変更したじゃん、と自分に突っ込みを入れて切符を発券してもらい、手続きは完了。あとは乗船時間を待つばかりだ。

 

ずっと下道を来たせいか、いささか疲れたので事務所2階でテレビを観る。すると、先日のWRTツーリングで話題になった「鳥人間コンテスト」が放映されていた。そして、丁度優勝候補のチームが次々と飛行をする時間帯だったらしく、8kmとか記録が発表されていた。

 

マニアな話であるが、この大会に出場する機体はとても翼が長いなぁといつも思っていたのだが、最近は飛行性能や燃料効率を飛躍的に高めた旅客機が登場し、その翼がとても長い(胴体長とほぼ同じ位)せいか、そうでもないなと感じる。そして、当方がいつも期待している、水平尾翼を垂直尾翼の上に配した機体は残念ながら登場しなかった。当方の考えでは、昇降舵が高い位置にくる上記の形式の方が飛行距離を伸ばしやすいと思うのだが、機体製作の際に強度を出すことが難しいのだろうか。だいたい長い距離を飛ぶ飛行機は同じような形なので、そういう所で新しい挑戦をするようなチームが出てきても良いと思うのだが。

 

4.いよいよ出航

 

テレビも飽きたのでTDMの所へ行き、今回同乗する人達のマシンを観察する。うーん、やはりオフ車の方々の工夫はいつも感心する。今回一番すごいなと思ったものは、木製の自作キャリアをセローに装着されている大阪ナンバーの方で、荷物が後方へズレないように「背もたれ」がついたものだ。おそらく長年の経験から培われ、既存のものでは満足できなかったので自作されたのだろう。いやぁ、これには唸ってしまった。

 

また、当方のすぐ後ろにいたエリミネーター250に乗る方は、なんと高校3年生だった。周りの友人は何か言っていたかと尋ねたところ、「全く興味を持ってくれなかった」とのこと。毎度ながら思うのだが時代は変わり、バイクはオッサンの趣味になったのだろう。ついでにバイク乗りのイメージを訪ねたら、案の定「おじさんが多い」という答えが返ってきた。

 

そしてもう一人、サイドバックが排気ガスの熱で溶けてしまい、その中に入れていた寝袋もやられたというFZ-1氏。彼は今までは125佞離好ーターで渡道されていたそうで、ビッグバイクでの北海道は初めてとのこと。そこで、荷物の積載にはシートバッグとサイドバッグの3点セットを使用していたのだが、マフラー側のものが丁度排気ガスにさらされてしまっていたのに気が付かず、上記の事態に陥ったそうだ。今は何も手が打てないので、現地で失ったものを調達するしかなさそうだ。

 

舞鶴フェリーターミナルにて

 

ところで、新日本海フェリーは旅客よりも貨物輸送で儲ける構造になっているそうだが、その貨物はトレーラー部のみを積み込み、現地で降ろすという方法を採っている。つまりはけん引車の頭はトレーラー部のみを船内に残して何回もトレーラー置き場とを往復するのだが、驚いたのはその速度だ。あのスピードで走り回っている運転手は相当慣れているのだろう。今年はけん引免許を取得したので、こんなところで感心してしまった。当方だったら恐怖で動けないに違いなかろう。

 

こうして乗船開始の23時になり、バイクでタラップを上がって車両甲板に固定してもらう。さらに船内のフロントで寝台番号G60番の指定を受け、荷物を置いたらすぐに風呂へ向かう。それでも既に満員になっているのは、徒歩での乗船者が先に搭乗しているからだろう。こればかりは仕方ない。いつものように小さくなって体を洗い、少しだけ湯船に浸かったらさっさと上がる。明日の朝にでもゆっくり入るとしよう。

 

ちょっと腹が減ったので、さっき購入したクラッカーをかじりながら地図を見ていたら、出航のドラが鳴った。いよいよ気分も高まってきた。楽しみだ。かなり喜んでいたが疲れて眠くなってしまい、1時に就寝した。

 

本日の走行 250km

 

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