2015年 夏の北海道ツーリング

 

2015年 7月29日~8月8日

優駿VILLAGEの

トウショウボーイ号の像前にて

 

8月1日(3日目)

1.起床

 

多少は涼しくなったが、やはり蒸し暑い夜だった。明るくなってきたので目が覚めるが、二度寝して6時頃に起床する。外を見てみると、雨は降らなかったようで安心した。ただ、ちょっと寝不足の感が残っているので、今日はゆっくり目で行こうと思う。

 

ちょっと周りを散歩してみると、すぐ裏は線路が通っている。あれ、一度も列車が通らなかったと思うが、廃線になったとも聞いていない。帰宅後に調べてみたら、鵡川から東側は災害のため不通になっているということだ。因みに、その向こう側はすぐに海だ。それで湿度が高いのだろう。

 

列車が運休中なので、静かなわけだ。ところで、通勤・通学などでこの路線を使用している人達は、いったいどうしているのだろうか。そんな心配は要らんお世話だと言われそうだと思いつつライハに戻る。

 

浦河情報ステーション

 

朝飯にカロリーメイトを食べて、荷物を整理していく。毎回思うのだが、荷物のパッキングは順番や配置が重要だ。真面目にやらないと、マシン搭載時に出っ張ったり傾いたりしてしまうからね。キャンプツーリングを何回かこなしてきたが、なかなかうまくはいかないものだ。ああそうだ、チェーンオイルも補給しておこうって、もう残りが無い。どこかで購入するか。

 

そうこうしているとチャリダー氏が起床し、「今日は苫小牧からフェリーに乗るので楽勝だ」と言って宿を後にした。さて、当方もそろそろ出発しようか、その前に最新の天気予報を確認する。それによれば、午前はにわか雨が降るかもしれないということだった。

 

ちょうど疲れが残り気味なので、ゆっくりとして体制を整えよう。昨夜チャリダー氏が言っていた「AERU」という温泉施設が早朝から営業しているので、そこで朝風呂に入ろう。ここについては、ライハの壁にも案内が掲示されていたので、場所や料金を覚えておく。

 

1.朝風呂

ライハにお礼を言って、エンジン始動、「AERU」までのルートの飛行許可を得て国道236号線を追従していく。国道のこの区間は天馬街道と呼ばれていて、その名の通り両側は牧場が続く。そしてその先、道道1025号線との分かれ目に「AERU」の看板が見えた。ここを左折、右折とクランク状に走り、近代的な外観の施設が見えてきた。

 

ここでわかったことだが、この施設は正式名称が「優駿VILLAGE」と言い、乗馬も含めたちょっとした遊びができる宿泊施設のようだ。敷地も広く牧場もあり、看板にも「馬が驚かないように徐行」という旨の記載がある。今まではこの辺りは通過するのみで、泊まったことがなかった。ここまでウマウマの地域だったのね。古代、俺の負けだ。

 

駿VILLEGEにて

 

宿泊施設と温泉がある建物の入り口近くまで行き、マシンを止めて中に入る。なかなか豪華な建物で、宿泊者も結構いるので、まあまあうまくいっている所なのかな。入浴料500円を支払って、浴場に入る。いやあ、やっぱり風呂は気持ちが良いな。体を拭くだけでも何とかなるが、やはり湯船に浸かって頭も洗いたい。

 

敷地内の牧場や遠くの山々を見ながら入浴し、体の疲れをほぐしていく。こんなことならば、昨日来ておけばよかった。そんな後悔しても後の祭りである。そんなことを思いつつ、広々とした湯船でくつろいでいると、このままここで泊まっていきたいとさえ思えてきた。

 

さっぱりした後湯船から上がり、畳の休息部屋へ行き横になる。先述のように寝不足気味なので、目を閉じてウトウトする。時刻は8時と中途半端なので、誰も来ない事が幸いだ。結構疲れていたのだろう、いつの間にか1時間程寝てしまったようだ。窓の外を見ると陽が出て青空も見える。念のため備え付けのテレビで天気予報を確認すると、雨雲は東へ移動したようだ。のんびりしてはいられないぞ、水分補給をしてさっそく出発だ。

 

2.やっぱり馬でしょう

 

寝不足も解消し、青空の見える外へ出る。おや、カッパ装着の時に使用するゴム手袋が地面に落ちている。もしや、と思ってTDMに駆け寄ると・・・。

 

カラスにやられたぁ~

 

ゴム手は無事だが、銀マットがほじくられている。実は去年も落石岬でほじくられている。しかし、2、3箇所をテープを貼って補修して継続使用していた。このマットは20年近く使用しているものだが、これはもうダメだ。どこかで新しいものを購入しよう。

 

なんてこった

 

さて、気を取り直して地図を見てみると、近くにJRAの育成牧場があることに気がついた。せっかくだから行ってみようか、優駿VILLAGEへ来た道を戻らないでそのまま進んでいく。延々に続く桜並木を抜けていくと、「JRA育成牧場」の総合案内板があった。そこを右に曲がってさらに進んでいくと左側に広大な牧場が見えた。さらに、目の前では調教師の乗った馬が連なって道路を横断していった。

 

さらに進んでいくと、1km四方はあろうかという敷地内に、木の柵に囲まれた幾つも芝のトラックがある。そこではそれぞれ、何頭もの馬が調教を受けていた。牧場で草を食べている馬はよく見るが、調教の場面は見たことがなかったのでちょっと興奮してしまった。

 

マシンを道路脇に止めて、写真を写す。調教師の人も慣れているのか、挨拶をしてポーズらしきものをとってくれた。こちらも挨拶をして、写真を撮らさせてもらう。それにしても調教中の馬とはいえ、筋肉隆々の馬って力がありそうだ。これらの馬から賞金をバンバンと稼ぐ者が現れ、引退後には種馬になるのだろう。種馬といえば、日曜の17時から放送されている「あ、安部礼司」には、「神保町の種馬」の異名をとる「大場嘉門」なる人物が出演している。

 

ポーズも決めて

 

3.ここからが本番

 

国道236号線を戻り日高幌別で燃料を補給する。因みに前回は苫小牧で給油しており、燃費は26km/Lだった。今回は5.75Lを搭載した。走行距離の記録が無いので詳細は不明だが、160km程度走行しているので、28km/L前後だと推測される。また、ついでにこのスタンドでフラッグも購入した。今年は150円ですか、描かれている「ワンピース」の人物の版権料が乗せてあるのでは。

 

国道336号線に乗り換えて、機首を様似方面へ向ける。天気は回復してきたが、霧がなかなか晴れない。そう言えば、何となくベタつくなぁ。もちろん「アポイ岳」も見えない。数年前にジャイアント馬場のセリフと、この山の名前をかけたことがあるが、読者の方は覚えているだろうか。

 

しょうもないことを思い出しつつ、えりも町の浦河で道道34号線に乗り換えて襟裳岬へ向かう。前回訪れた2011年はひどい天気で景色が見えなかったし、その前は2008年とあまり来ていないことに気がついた。涼やかな風に吹かれて、気分が良く走行していく。

 

ところで、襟裳岬に様似側から向かうと、途中に草原のような場所が現れる。今日はこの辺りで写真を撮りたいので、ゆっくり目で走行していく。もっとも、最近は歳も取ってしまったので、あまりガンガン飛ばすことができなくなってきた?と思う。

 

道道34号線にて

 

引き続き薄霧の中を走行していくと、前方の岬が近くなってくる。ライダーの多くは「あそこには何もないので、行ってもしょうがない」という意見を述べる方が多いし、前述のように当方も4回目の訪問とあまり多くはない。何となく遠回りに思えるのだが、こうして来てみるとなかなか良いではないか、アーレー(くるくる)。

 

襟裳岬に到着して、いつもの傾いた駐輪場へマシンを止める。おっと、カマボコの板を敷いておかないと、スタンドがめり込んじゃうよ。涼やかな風を感じて、岬の散策路を歩いていく。海側からの南風が岬の断崖をせり上がると、霧がどんどんと発生していく。太平洋高気圧からの風が急激に冷やされて、このような霧になるのだろう。特に今週は台風が沖縄付近に2個も発生しているので、南風は大量の水蒸気を含んでいるからなおさらだ。

 

さらに風の館の上あたりまで来ると、21年前に撮影した看板が現れた。懐かしいかな、大学生の自分もここに立ったのだな。

興味のある方は、http://www.fukishiman.sakura.ne.jp/hosouro/hokkaidou1-2.htmlへジャンプしてみましょう。自分の写真ながら、その見た目の若さ(21歳の自分だから当たり前である)に驚いてしまう。

 

変わらぬ看板にて

 

その後、さらに進んで岬の本当の先が見える場所へやってきた。あの下まで行ってみるかとも思うが、あとでひどい目に遭うと嫌なので、ここから眺めることにする。このように襟裳岬を眺めていると、やっと遠くへ来ているのだなという実感が湧いてきた。実を言うと、出発からここまでは、何となくいつもの作業をこなすような「慣れ」の感覚があったのだ。9回目の渡道なのでそんなものかなと思っていたが、やはりこういう景色が移動距離の大きさや、それに四苦八苦する自分の小ささを教えてくれるのだろう。

 

霧に煙る襟裳岬

 

気が遠くなりそうになる反面、この先まだまだ走行できると考えると嬉しい事だ。霧に煙った襟裳岬の突端から、駐輪場へ戻ってくる。おや、こんな所に看板があったっけと思いながら、内容を読んでみる。すると、

 

襟裳岬周辺は元々は広葉樹林帯だったが、明治に開発が始まって以降砂漠化してしまった。そしてその砂がこの地域に頻繁に吹く強風で舞い上がり、周辺地域へ降り注ぐようになってしまった。その対策として植林を繰り返して、何とか今の姿になった

 

という旨、記載されていた。今で言うところの「黄砂」みたいなことがあったようだ。因みに、周辺の家では窓を閉めていても砂が入ってきたり、砂で視界が著しく悪い、循環器系の病人が増えたということもあったようだ。

 

4.拷問研究会

久しぶりの襟裳岬を楽しんだ後、道道34号線の東側を北上していく。実はこちら側も草原になっていて、風になびいた風景がなんとも心にやさしく、風が見えるような気がする。そして、百人浜キャンプ場を通り過ぎ、国道336号線と合流して庶野地区へやってきた。空は完全に晴れ上がり、日差しが強く暑くなってきた。それにより体力が消耗気味なので、水分補給と食事をしたい。その時、街の中に「みなと食堂」という店を発見した。この名前ならば、何か旨いものが食べられるに違いない。こういう地元の人が行きそうな店なら大丈夫だろう、そう考えてこの店に入る決意をした。

 

のれんは出ているので営業中だとは思うが、客が誰もいないようだ。大丈夫かな、心配になりつつ扉を開けると・・・。2列あるテーブルのうち、1列は椅子が上げてある。しまった、しくじった。そう思って店を出ようと思ったら、店主のおばあさんが出てきた。今さら逃げられないので、覚悟を決めて椅子に座る。あー、メニューはどこだ、え、その上の方に貼ってある、それか??

 

・・・。

 

もう、万事休すである。その中から一番当たり障りのなさそうな「豚丼」かな。その頃、ジャージャーと水道水をいれたコップが出されたので、豚丼を注文した。

 

御年75歳を超えていると思われるおばあさんが、奥でガチャガチャと仕事をしている。何か電子レンジの音がするが、出来合いのものを温めているのだろうか。いや、フライパンでジャージャーと肉を焼いているようなので、レトルトではないようだ。一体何が出てくるのか、気が気でない。

 

その間、この家のお孫さんと思われる子供が興味深そうにやってきて、お互いに挨拶を交わした。こういう基本的なことは、都会の大人よりもしっかりしていると思うのは当方だけだろうか。

 

その子はそのままどこかへ行ってしまって、さらに待つこと数分。豚丼が運ばれてきた。見た目は普通なので、普通の味がすることだろうと安心して箸をつけてみた。すると、

 

冷凍やけした味がする

 

ではないか。あの電子レンジの音は、死蔵寸前の豚肉を解凍していたのか。これはまいった。タレも化学調味料の変な甘さいっぱいだ。口なおしに漬け物を食べると、これもまた化学調味料の味しかしない。唯一の頼みは、サービス?で出されたホウレンソウだ。これは地物を茹でただけのようで、唯一まともな味がした。

 

水で流し込むようにして、すべてを完食した。こいつは久々の拷問級の食事であった。水を飲んでから落ち着いて、料金を支払って店を出る。因みに、この昼時に他にお客は誰も来なかったと付記しておこう。

 

5.分岐点

 

拷問研究会のサド山君から、得意の悶絶地獄攻めを喰らったような気分で店を出た。ああ、たまにはこういう失敗もあるさ、と自分に言い聞かせて出発準備を整える。するとこの時、先ほどの子供が「(アニメの)ワンピース好きなの?」と話しかけてきた。

 

ちょっと驚いたが、前述のように、今年のホクレンフラッグにはワンピースのキャラが描いてある。当方は全く興味が無いので「ガソリンスタンドで買ったのさ」と答えた。そして会話が続くように「この絵は誰?」とたずねたら「ナミだよ」と笑顔で答えてくれた。このような田舎の漁村で、当方みたいな流れ者が来たら興味がわいてくるよなぁ。

 

ついでだから写真を撮ってあげるよ、とカメラを向けたらポーズを取ってくれた。それがこの一枚である。

 

みなと食堂前にて

 

食事はイマイチだったが、子供とのふれあいが幾分の癒しになったことは言うまでもなかろう。こうして庶野地区を後にして、少々霧が出てきた国道334号線を北上していく。この先は「黄金道路」と呼ばれていて、その名の由来は「難工事ばかりで、金を敷いたくらいに建設費が高かった」ということだ。また、それ故に殉職された方も多く、金銭以外のの代償も高かったようだ。

 

その黄金道路もどんどんとトンネルが掘られたり、洞門がつくられたりして改修が進んでいる。以前はけっこう海岸線ギリギリの所を通っていたので、ちょっと風情が無くなりつつあるかなと思う。

 

さて、その道路の途中には碑が立っているのだが、今まで立ち寄らずに通過していた。今年はちょっと寄ってみようかな。

 

黄金道路の碑

 

碑を出発して進んでいき、目黒地区を通過する。さて、マップルには「目黒生活館」の記載があるのだが、これは本州で言うところの公民館みたいなものだ。もちろん、ここだけでなく、他にも集落毎に「生活館」という名前の建物をいくつも見てきた。

 

さらに進んで「音調津(おしらべつ)」地区を通過する。何回かこの名前を目にしているが、この漢字と読み方には驚いてしまう。だって、「御調津」ならわかるけど、「音調津」だよ。もっとも、道東の太平洋側沿いにある街の名前には敵わない。尻羽岬(しれぱのみさき)、知方学(ちぽまない)、老者舞(おしゃまっぷ)など、調難解な地名があるからね。

 

さあ、いよいよ広尾が近づいてきた。ここは道東へ行くか、それとも内陸を北上するかの選択を迫られる大きな分岐点だ。随分と悩んだが、北の方が天気が良いみたいなので国道236号線の北上コースを選択する。

 

さて、冒頭にも記したように、今日はゆっくりと進む日にしている。そしてマップルにはこの先、道の駅が多く存在していることが記載されているので、スタンプでも稼ぎながら進んでいくつもりだ。まずは、10㎞先には道の駅 コスモール大樹がある。ちょっと疲れたし、例の豚丼で喉も渇いたのでここへ寄っていくことにしよう。

 

そんな感じで気分良く走行していると、急激に雲行きが怪しくなってきた。そして道の駅に到着する頃には、今にも降り出しそうな空気になっている。おいおい、どうなっているんだ。いろはすのハスカップ味を飲みつつ天気予報を確認してみると、帯広周辺は15時以降は雨予報になっている。ウソ、味噌、そんなの聞いてないよ。ただ、降水確率では50%となっているし、雲自体は高い。そして、明日は晴れになっているから一時的な天気の崩れと判断し、このまま走行を続けることにする。

 

今年も飲んでます

 

スタンプを押した後、国道236号線をさらに進んでいくと、虫類I.C.の看板を発見した。つまり、「帯広・広尾自動車道」が虫類まで延伸開通しているということだ。これからさらに広尾まで伸びれば、この区間を高速移動できるようになるだろう。もっとも、この辺りは景色が良いのであまり焦らなくても良いと思っているが。

 

そう考えて10㎞程度走行したら、道の駅 虫類に到着した。ここではスタンプだけ押して、さらに先へ進んでいく。次は更別か、地図を確認しつつ、国道から離れて道道238号線を進む。おっと、上空をJALの767が帯広空港への着陸態勢に入っている。余談だが、この空港には航空大学校があり、パイロットを養成している。兄の友人であり、当方の友人のお兄ちゃんがここを巣立ち、現在はANAのパイロットになっている。

 

俺も若い頃に、将来のことをよーく考えるべきだった。そんな後悔の念で苦しくなりつつ、十勝スピードウエイ横を通過する。すると、森の中から更別の道の駅が見えてきた。ここもスタンプだけ押して出発するつもりだったが、駐車場ではスピードウエイの宣伝イベントが開催されていて、デモカーが展示してある。また、イベントトラックも来ていて、ちょっとした人だかりができていた。因みにデモ車はLFAかなんかだったと思う。T社の車には興味ないのだが、レースは好きなのでちょっと覗いて雰囲気だけ楽しんだ。

 

さて、この先も道の駅はないか、地図を探していると中札内にもあることを発見した。そこで、一旦道道210号線で南へ下りて、国道236号線を再度捕まえたら磁方位300°で進んでいく。

 

雲行きの怪しい更別地区にて

 

そして、中札内の市街地に道の駅を発見した。早速今日だけでスタンプ4個を獲得できるとは、運が良かった。運が良いと言えば、雨も降らなかったし、空は少しずつ明るくなってきている。どうやら天気が悪いのは局地的な現象のようだ。これから機首を030°へ向けて行くのだが、そちら方面は天気は悪くないようだ。

 

6.どこへ降りるか

 

時刻は15時を回っている。そろそろランディング地点を決定する必要があるが、北の方は晴れているので帯広の雲を振り切り、上士幌まで行ってテントを張ることにしよう。腹が決まったら早速実行だ、エンジンを始動して国道236号線を幸福地区まで北上し、帯広・広尾自動車道に乗る。さて、この幸福地区には旧国鉄の幸福駅の跡地がある。今まで何回か行ったことがあるので、今回は省略である。

 

愛国地区を通過して札内川を渡り、帯広川西I.C.で自動車道を下りる。今朝カラスにほじくられた銀マット、そして使い果たしてしまったチェーンオイルも調達したいしので、帯広市街を通るように、このI,C.を利用したわけだ。さて、当方の記憶によると、確か2008年に帯広市内で購入したような気がするのだが・・・、それらしい店がないなあ。

 

記憶を頼りに市街地をウネウネと走行するが、陽は傾いてくるし、雨も心配だ。仕方ないので今日は物品調達を諦めようか、そう思い国道38号線から再び241号線に戻って十勝川を渡る。

 

あの時(2008年)にチェーンオイルを調達した時は、いったいどこの店に行ったのだろうか。自分の脳機能の衰えを感じつつ、そのまま北上していく。すると、音更の街へ入ってきた。そして何と、2008年に利用したホームセンターである「ホーマック」を発見した。あれ、あの時はジンギスカンの待ち時間にこんな遠くまで来ていたのか。そうだよ、帯広市内に適当な店が無いから、音更まで来ていたんだよ。思い出した。そのおかげで、危うくジンギスカンを食べ逃すところだったんだ。

 

もう7年も前のことだから、そりゃ忘れるわなぁ。納得しつつ駐車場にマシンを止めて、広い店内を歩く。チェーンオイルは簡単に見つけられたのだが、銀マットはちょっと大きなサイズのものしかない。どうしようかと悩んだが、とびきりでかいわけでもないので、これを購入することにした。キャンプ中に用を足してくれないのは困るからね。

 

会計時に古いマットを引き取ってもらい、無事に物資の調達とゴミ捨てに成功した。こんなことは地元ではわけのないことだが、出先では案外緊張するものだ。お目当てのものが置いてないこともあろうし、ごみは引き取れないと言われたらどうしようという心配もあるからだ。余談だが、今回はレジのおばさんが例のほじくられたマットを見て「あらまあ、お気の毒でした」と同情してくれた。

 

新しいマットの調達に成功

天候も回復傾向でうれしい

 

後は国道241号線をそのまま真っ直ぐ進んでいくのだが、途中に道の駅 おとふけがあったので、ここでもスタンプを押しておく。この調子ならば、30個ぐらいはわけなかろう。それにしても、夕方の道の駅はPキャンの4輪車がずらりと並び、夕食の準備をしているので混みあっている。元気なのは子供だけか、お疲れさんです。

 

義理の母の実家跡付近を通過して、さらに北上を続けていく。夕日に照らされて長~い影と共に、真っ直ぐな道を進んでいくと中士幌町、上士幌町と行政区が変わっていく。太~いのは阿古屋である。時刻は18時ちょっと前なので、道の駅 ピア21しほろにも寄って、スタンプを押していく。今日だけでも6個獲得だから、超ハイペースだ。

 

7.着陸

 

買い出しは昨日済ませてあるので、このまま上機嫌で、上士幌航空公園キャンプ場へ向かう。ここも何回か来たことがあるので、道に迷うことはない。国道を離れて道道331、418、806号線と繋いでいけば、音更川にかかる橋が見えてくる。その手前の入り口に入り、下っていけば大きな駐車場に到着だ。

 

今日はバイクも車も2、3台しか止まっていないので、空いているようだ。キャンプサイトの入り口付近にマシンを止めて、リアカーに荷物を載せていく。そして少しだけ入った、いつもの指定場所にテントを張る。奥でもよいのだが、何となく面倒なのでここが良い。また、大きな木の下なので、露もしのげるかなという目論見もある。

 

時刻は18時で、蚊が活発に活動しているようだ。いつもならばそれ程でもないのだが、今年は蒸し暑いので蚊にとっても好都合のようだ。それならばと蚊取り線香に点火して、蚊をいぶりだしつつテントを張っていく。こちらも10回近くは広げているので、少しずつコツが掴めてきた。

 

何とかテントの設営も完了したので、食事の準備に取り掛かる。北海道は地元に比べて日の入りが早いので、さっさと片付けたいので、さっそく米を研いで火にかける。メモをつけ、魚肉ソーセージを食べながら沸騰してくるのを待ち、火加減を変えながら出来上がりを判断する。その判断材料となるのは、蒸気の出具合や匂いなんだが、人間って鍛えれば何事もそれなりにできるようになるようだ。現に、こうして感覚で鍋を火からおろす時も容易にわかるようになったし。

 

鍋を裏返して蒸らしに入ったら、レトルトカレーを温める。こっちは何の技術も必要ないので、時間だけ計測しておけばO.K.だ。準備完了、お待ちかねのカレーをいただく。んー、なかなか米は良い炊き上がりだ。ちょっと水が多かったが、その分は最後の水分飛ばしの時間で長く燃やしたので、問題になるほどではなかった。そのおかげで、お焦げも多めで香ばしいよ。

 

今日の晩飯

 

腹が満たされて落ち着いたので、次は風呂へ行こう。ここから数㎞離れた場所にある、「上士幌温泉ふれあいプラザ」が最寄りの温泉だ。ここは入浴料が380円と安く、休息所も広くて良いのだが、シャンプーなどは備えていない。そこで、使い捨てのシャンプーを購入しておく。因みに頭髪が無い当方であるが、頭皮から皮脂が分泌されるのでシャンプーが必要と補記しておこう。

 

一通り洗った後は湯船に浸かり、体のコリをほぐす。んあ~、今日も疲れたなぁ~。目を閉じて首をまわし、リラックスする。尚、ここのお湯はアルカリ泉で、ニュルニュルである。

 

風呂を終えた後、途中のセイコマで明日の朝飯を購入し、テントに戻る。残念ながら星は見えないし、やはり蒸し暑い。メモをつけて21時30分には寝てしまった。

 

本日の走行 260km

 

8月2日(4日目)へ続く