初めての中国地方ツーリング

 

2013年5月3日〜5日

 

竹原市の古い町並み

 

1.第2日目

  朝はパンから

 

朝6時に起床。やはりツーリングの朝は早くなってしまう。いやいや、今日はパン焼きを体験できるのだから、早起きは当然だ。早速シャワーを浴びて、天気予報をチェックする。じぇじぇ(こういう時に使うのか?)、降水確率40%って予報官もよくわからんってことだよなぁ。だいたい昨日だって雨は降らないって言っていたくせに、にわか雨にやられた。しかも今日は寒気が流入して、さらに雨が降りやすいなんて予報が出ている。合羽の日かもしれない。

 

ひとまずは出発の準備を整えて、フロントに向かう。料金は昨日前払いしているので、鍵返却のみでチェックアウト。先に玄関に下ろしておいた荷物をTDMに固定する。よーくストレッチコードを引っ張って、しっかりと。それよりも、このホテルは駐輪場が無く、ちょっとしたひさしの下にバイクを置いたので、夜に雨が降らないか心配だったが、それは杞憂だった。TDMは濡れていない。いやいや、今後の降水の方が心配だ。

 

出発前に写真撮影をして、7時頃にエンジン始動許可が下りた。ん、少々冷えたせいか、真冬ほどではないが、セルスターターの回転がやや緩慢だ。ちょっと焦ったが、無事にエンジン始動、荷物の固定を再点検してから水温上昇を確認、出発する。

 

新見駅前の「ホテル エイコー」

 

暖機がてらゆっくりと走行し、早速先輩の家へ向かう。昨日は目的地誤認識から、大きく行き過ぎてしまい時間を損失してしまったが、もうそんなことはない。しっかりと位置を覚えたよ。

 

国道180号線から県道8号線、市道を磁方位300で進んでいく。路面がだいぶ乾いているので、山間部も夜は雨は降らなかったということか。今日の天気予報も外れて、このまま何事も無く晴れて欲しいと願うが、今までの経験上そんなうまくいったことはあまりない。これも旅の楽しみさと開き直って、山間部の屈曲路を上っていく。

 

1.パン作り体験

 

先輩宅に到着し工房に入ると、既にパンの成形と焼きが始まっていた。さて、昨日のレポートでも記載したが、このパン工房ではいわゆる、「パン屋のにおい」はほとんどしない。天然酵母で生地を発酵させていて、無理やり発酵させていない証拠である。

 

既に最初に成形した、生地をそのまま焼くパンは釜に入っていて、次に焼く、中に具材を入れるパンの製造工程に入っていた。その中味となる具であるが、こちらも材料を厳選しているようだ。あんこは国内産小豆を用いて自家製、クリームパンのクリームも近所の養鶏場から購入している卵を(卵子ではない)用いている。ちなみに、こちらではその応用品としてプリンも製造していて、もちろんカラメルも自家製だ。最近の大量生産のプリンでは、カラメルは何かに無理やり色をつけて、とろみをつけている「模造品」が幅を利かせているようだ。実際は、砂糖をいって、焦がして作ることは言うまでもなかろう。もっとも、この方法では生産性が悪いので、大量生産には向かない。ご好意で一つ頂いてみると、カラメルはもちろん、プリン本体も風味がまるで違う。こちらが本当の味なのね。

 

そんなことを教えてもらていると、最初に釜に入れたパンが焼きあがったようだ。見るからに美味しそうなパンである。前述のように、これは生地を成形しただけなので、そのものの味が楽しめる。しかし、逆に言うと生地の出来栄えが試され、職人としては神経質になるものであろう。

 

お母様に焼きたてを切っていただき、湯気が上がるアツアツを食べてみる。こういう食べ方ができるのは、においが強くないパンだからできることだ。通常のものだと、アツアツの時はにおいが強すぎるので、少し冷めた状態でないとかえっておいしくないものらしい。

 

焼きあがったパンを手にする

「ホームメイド のら」

オーナーの伊東朋子さん

 

いただきま〜す。おー、小麦の味、塩味、バターの風味など、食べてみると様々な味が口の中に広がる。これがパンというならば、俺が今まで食べていたものって何?ってことだよ。古代、俺の負けだ。さらに、皮の部分はバリバリで、中はモチモチ、本当に餅かと思うほどだ。味も風味も食感も高次元で均衡が取れている、1級品のパンであろう。実は昨日、パン作りを体験できると聞いていたので、今朝は朝飯を食べていない。腹を空かせておいてよかった。んまい。

 

朝食のパンをいただき腹ごしらえをしつつ、当方も途中参加で教えていただきながら、菓子パンの製造をお手伝いする。といっても、クリーム、アンなど、主に具を入れて成形作業のみで、肝心なところは既に職人によって準備がなされている。あと、これら定番の中身の他に、ちょっと珍しい、黒砂糖とくるみを入れるものがあった。この組み合わせのパンは食べたことがないので、焼き上がりが楽しみである。

 

これから釜に入るパン

 

黒糖くるみ他を焼きに出した後、クリームパン作りに先輩の子供達と取り組む。のらさんのクリームパンは餃子風の見た目にするので、まずは生地を楕円形に伸ばしていく。円形にするには生地を回しながら伸ばしていくが、楕円形にするにはそのまま麺棒を縦に転がすだけでよい。そして、伸ばした生地に、絞り袋に入ったクリームを出していく。後は餃子のように、少し水をつけて円周を閉じていけば準備完了である。

 

さて、前述のように中味も厳選された材料から作っているのだが、そのクリームをちょっと頂いた。プリン同様にコクのある味だ。こちらの焼きあがりも楽しみである。おや、先輩の次男氏は巨大クリームパンを手がけていたようだ。こんなことはまず経験できないことなので、後々の自慢になることだろう。

 

先輩の息子さんが作った巨大クリームパン。

円周に沿って、ハサミを入れておく

(通常サイズはこの1/4程)

 

今日はそれほど数を出さないということだったが、けっこうな量がある。聞いてみると5kgの生地を用意したそうだ。尚、目一杯稼動しようと思うなら、20kgが限界だそうだが、それでは品質が落ちる可能性があるので、だいたい15kgが良い線であるとのことだ。

 

次はアンパンに挑戦だ。最初はお母様のやり方をじっくり観察して、それから見様見まねで、ヘラと手を使って形にしていく。うーん、なかなか根気の必要な作業だ。しかし、なんだか楽しいゾ。こういうものづくりになると、当方はとても集中力を発揮することができるらしい。成形後は麺棒の先を湿らせてごまをつけ、パンにくっつけていく。夢中で作業をしていると、お母様からも「お宅は結構(パン作りに)向いているかもねぇ」とお墨付きを頂いてしまった。え、そうですか。移住しちゃおうか、いやいや、世の中そんなに甘くない。お母様がパン作りを始めて、軌道に乗せるまでにはかなりの苦労があったに違いない。

 

黒糖くるみパンが焼きあがった。なんともふくよかに、丸みを帯びた出来上がりである。関係ないが、当方は、このパンのようにほんの少しふくよかで、丸みのある女性が好みである。

 

アツアツを火傷に気をつけて、半分にする。立ちのぼる湯気と共に、黒砂糖が溶けた甘〜いにおいが広がった。最初は粉末状で包み込んだ黒砂糖が溶けて、早華胡桃さんと絡みついて見ただけでも旨そうだ。

 

早速頂いてみると、パン生地の旨さとこの具材の旨さがなんとも言えない。砂糖も精製されたものではなく、黒砂糖だと甘味が強烈ではなく、なんとなく優しい。その甘さとくるみの味がまたよく調和している。意外な組み合わせであるが、これは良い。さらに、アツアツを食べることができるなんて、これを贅沢といわずして何と言おうか。

 

パンをつまみつつ、さらにピザなども作っていく。もちろん、トマトソースも手作りである。いやあ、楽しみですなぁ(厚かましくてすいません)。

 

ところで、先に述べた移住であるが、山奥などに移り住む際、問題となることが収入源である。街中ならばそれなりに仕事はあるが、こちらは本当に田舎なので何もない。それについて、お母様曰く、「移住してからの仕事は、自分でつくらなければならい」と。なるほど、人に頼ることは一切許されず、全てを自己責任でゼロから立ち上げていく。その分大きな自由度が生まれ、自分のやりやすいようにできる範囲も広がるということか。つまり、そうした厳しい面を一つづつ乗り越えて初めて、良い環境で暮らしていくことができるということなんだ。

 

以前は移住希望の人がチョイチョイ訪れていたそうで、そういう話をしたところ黙ってしまったということだ。また、この周りには街灯が全く無く、夜は本当に暗い。それについて、移住希望者は防犯面でも「怖い」ということを言っていたそうだ。これについてお母様は、「誰かわからない人が、数多く住んでいる街の方が怖いのでは」という返答をしたところ、またまた沈黙になったということだ。また、野生の動物も数多く生息しているらしく、いのししが道に飛び出してくることもあったそうだ。

 

結局のところ、「田舎暮らしに憧れる」という程度の認識では話にならないようである。メディアにもその手の番組があるが、それは番組制作者が「ファッション」としての田舎暮らしを紹介しているに過ぎず、上記のような泥臭いところをいかに自分の力で克服するかということについては、ほとんど語られていないことが実情だ。まったくもって大変なことであり、見方によっては会社員の方が楽と言えなくもない。

 

当方も、今回の訪問ではおいしいものを頂いて、楽しいパン作りを体験して、田舎暮らしの楽しい部分だけが凝縮された部分を味わったのみだ。これはいわゆる田舎暮らしにおける「氷山の一角」と言え、ここまでに先輩のお母様がご苦労された部分が、氷山の海面下に相当するのだろう。それをひっくるめても「価値がある」と思える人のみが田舎暮らしを継続することができるのではないだろうか。

 

2.いよいよ広島県へ

 

数種類のパンを食し、昼食までご馳走になってしまい、乾パン様のお土産まで頂いてしまった。本当にお世話になりました。丁寧にお礼を申し上げて、見送られつつ次の目的地である、広島県竹原市へ向かう。

 

お土産にいただいた乾パン

(商品名はビスコッティ)

 

まずは山間部から下り、国道182号線で磁方位180から200で走行をしていく。先輩の家を出発した時はパラパラと雨が降っていたが、進行方向は雲が薄くなっている。雨は止むことを希望して、合羽を装着しないで国道を進んで行く。すると、当方の予想通りに雨が上がった。今日はツイているな。

 

そう思いながら30ノット維持で走行を続けていく。しばらくは中国道、芸備線沿いである。この間、列車は一両も通らなかったと付記しておこう。また、中国道もガラガラヘビである。お、ついに広島県に入ったぞ。観光でやってくるのは初めてだから、なんだか旅情が出てきて、ワクワクするではないか。

 

ウキウキしていると街が見えてきた。庄原市(しょうばらし)東城という街らしい。まったく関係ないが、東城という名前を聞いて、不覚にもA級戦犯の東條秀樹(ジョウの字が違う)を思い出してしまった。東城町の皆様、別に名前に罪はありません。戦犯に罪があるだけだと認識しております。

 

さて、当方はこの人物と実母が同種の人間であると考えている。なんと言おうか、ひどく精神主義的なイメージがあるからだ。その実母は「死に物狂い」、「負けん気」、「根性」、「精神力」などの言葉が大好きで、ちょっと弱音でも吐こうものなら、「精神力が弱い」などと言われ、よく起怒られたものだ。その母親である祖母も「あの子はそういうところがある」と納得していたし、何かの時に当方が祖母に、「実母から体罰を受けた」ことを話したら、えらい剣幕で母親を叱っていた。

 

まあ何だろう、確かに、気持ちで負けていてはできることもできないだろうが、それも度を越してしまうと「キチOイ」になってしまう。先の第二次大戦でも「竹やりの訓練」で本土決戦に備えるとか、ゼロ戦の損失防止に装甲を追加しようとしらた参謀が「大和魂が感じられない」と言い、改良が見送られた、特攻と称して飛行機ごと戦艦に突っ込む、などということが平気で行われていた。戦時下だから皆が「キチOイ」になることを強要されていたのであるが、やはり正気の沙汰ではない。結局、前述の実母は体調が悪いにも関わらず「負けん気」を遺憾なく発揮して、胃がんが発覚した時には手遅れ。41歳と11ヶ月で死んでいる。

 

東城からは県道20号線で、引き続き中国道沿いに走行していく。すると、また雨が降り始めてしまい、いよいよ合羽を着るかどうかの決断を求められるほどの本降りになってきた。これは困ったぞ。

 

バイク乗りの間では、「合羽を着ると雨が止む法則」、「合羽を着ないと雨が止まない法則」というものが流布されている。これは、雨が降ってきたから合羽を着る。すると雨が止んでしまうというものである。後者は、合羽を着ると雨が止むからこのまま行こう、と走行を続けると、結局雨は止まないで合羽を着る羽目になる、というものだ。

 

どちらも嫌な思いをするということは間違いないので、合羽を着たほうが良いのだが、どうも走行中は止まることが面倒と感じることが多い。わかってはいるのだが、そのまま行ってしまおうということになる。結果濡れてしまう。

 

というわけで、今回は中山峠を越えた木村パーキング辺りの高架下で停車し、合羽をを装着した。因みにこの合羽は2008年、北海道の浦河で購入したものだ。

 

さて、合羽を着て県道から国道432号線へと乗り換えて、磁方位も180へ変更する。すると、案の定10分も走行しないうちに雨は止んだ。また、しばらくすると道路も乾いてきたし、陽が出てきて暑い。やっぱり、「合羽を着ると雨が止む法則」は健在だ。路肩に寄り、合羽を脱いで涼しい格好に戻る。なんだか気分も軽いぞ。

 

ストレッチをして休息してから走行を再開する。今度は三次市(みよしし)にやってきた。実は当方の地元にも三好(みよし)という地名がある。つい最近までは三好町だったのだが、最近みよし市になった。この際、「三好市」にしようとしていたが、先に市政を施行していた三次市からもの言いがついたため、「みよし市」としたそうだ。当方はひらがなの方が良い気がするが、最後までゴネていたみたいだ。お役所の世界はよくわからない。

 

さて、その三次市であるが、当方がお世話になっている、エアロビクス・インストラクター氏がこの辺りの出身と聞いている。彼女の話からすると相当の田舎だという認識であったが、まさにその通りだ。延々と水田が広がるのどかな場所である。このインストラクター氏、農家の長女、3人兄弟の真ん中で、兄、弟さんがいるそうだ。それこそ小さい頃は兄弟で走り回っていたようで、弟氏を田んぼに突き落としたこともあるらしい。いわゆる、「オテンバ」ってやつだ。彼女の運動能力を養ったのは自然環境だったのだろう。関係ないが、「オテンバ」はオランダ語の「オーテンバール」から由来したという説があるが、定かではない。

 

国道432号線で南下していこうと思うが、平行する県道51号線にスイッチする。こちらも同じ片側1車線ずつの道だし、多少うねっている。国道よりは県道でしょうという当方のツーリング指針により、こういうルート変更は頻繁に行うことにしている。だって、この方がおもしろいではないか。

 

この道はとても農道チックであり、軽いアップダウンを繰り返しながら田園地帯を通っていく。不思議なもので、当方はこういう風景を見るととても気持ちが楽になるというか、癒されるというか、とても気分が良い。日本人ってこういうものだろうか。

 

途中、私設の道の駅(山の駅?)と思われる休息所で一息入れる。今日は早起きでいささか眠いし、疲れも出てきた。こういう時はコーヒーを飲んで休むに限る。ということで、コーヒーを飲みつつ、地図を眺めながら腰を下ろして脱力する。ふぅ〜、と深い呼吸をすると、いっそう脱力できてよい。また、深呼吸は自律神経の均衡を保つ効果があるといわれており、少々ツーリング・ハイ状態の自分を落ち着かせることにも有効だ。

 

山の駅にて

 

さて、この時点で竹原市まで、100kmは無いがそれに近い距離が残っている。引き続き安全に航行することが求めらるので、30ノット維持で走行を再開する。

 

休憩するとマシン操作の正確さ、周囲の状況を観察する集中力が回復することがわかる。理想は疲れ始めるか、疲れを感じる直前で休息することが望ましいことだが、休息場所の都合上、なかなかうまくいかないし、上記のようにツーリング・ハイになっていると止まることが面倒くさくなってしまう。そして結果、かなり疲れた状態での休息になることが多いので、40歳になったことを期に、この方法を遵守したいと思う。

 

歳は取りたくないものだ、ちょっとガッカリ気味で県道を南下していくと「世羅市」に入った。「セラ」というと昔のトヨタ車には「セラ」という車があったが、いかにもバブル期のものだな。また、少女アニメの「セーラームーン」なんてものもあった。これは結構最近のことだと思っていたが、既に20年近く前のことかぁ。内容は知らないけど。

 

ここで一旦国道432号線に戻り、三原市大和地区からは県道41号線、高規格な道である、広島フライトロードに乗り換えて、広島VOR/DMEへ直行である。時刻は14時30分過ぎで、気温は15℃。今日も寒いからキャンプはちょっと辛いかなぁ。そう考えながら、トンネルや切り通しを過ぎていく。するると突然開け、広島空港が出現した。けっこう山の中にあるのね。おや、遠くに着陸態勢にある機体が見える。737かな。

 

広島空港は初めての訪問なのでゆっくりとしていきたいのだが、今回は竹原市をゆっくり見たいので滑走路09側で少し休息する程度にしておく。この間、丁度日本航空の737-800がR/W27から離陸していった。旅客機の大小で言えばそれほど大きくないものだが、やはりターボファンエンジンの力は想像を絶するものだ。100トンもの機体を200ノット程度まで加速させて、ラクラクと機首を上げて離陸していってしまう。また、あのタービンの金属音や翼の風きり音、後ろ姿に737NGのブレンディドウイングレットが映えている。超カッコいいね。

 

また、広島空港の旅客ターミナルが遠くに見えるが、ガラス張りの比較的新しい建物だ。地方空港といえども、綺麗に改修しておかないと人が来ないし、使い勝手が悪いのでは話になりませんからなぁ。

 

もう少し着陸や離陸を見ていきたいが、県道49号線を竹原市へ向けて、車輪を進めていく。ここまでくればあと少し、集中していきましょう。

 

ちょっとしたワインディングを抜けると国道2号線に出て、左折するといよいよ竹原市に入った。そこから少し行って右折、三度国道432号線を南下していく。するとだんだんと街の様相を呈してきた。やれやれ、やっと到着だ。ここまでは250kmだから、それほど距離を出しているわけでもない。単調な道が多く、ストップアンドゴーもあったせいか、随分と疲れた。

 

ところで竹原市って何があるのか。疑問を持たれる方も多いと思われるが、ここには古い街なみが保存されていて、さらに「時をかける少女」等のロケ地があるのだ。当方は特に映画ファンでもないのだが、原田知世は好きなタイプで、「長崎ぶらぶら節」等も観たことがある。線は細いけど、ブレンディーのCMはかなり長く出演しているし、数は少ないが映画などで活躍しているところもお気に入りだ。その知世ちゃんの初主演作が撮影された街、やはり期待が高まる。因みに、同作品は大林監督の「尾道三部作」のうちのひとつで、主たる撮影地は尾道市であるが、竹原市もけっこう登場するので、見物に来たと付記しておこう。

 

バイクを止めさせてもらい、徒歩で「町なみ保存地区」を歩き始める。お、今日は「たけはら竹まつり」なるものがあったらしく、着物姿の中学生がその名残を楽しんでいる。ち、もうちょっと早く来ればよかった。時刻は15時過ぎ、祭りを見物したかった・・・。

 

散策開始

 

気を取り直して歩いていくと、早速映画に出てくる建物を発見した。1983年版「時をかける少女」で、尾美としのり扮する「ゴロ-ちゃん」が、前日の地震の影響で落ちてくる瓦に当りそうになり、原田扮する「芳山君」に間一髪で助けられるシーンで有名だ。本当は誰か女性と共にこの場面を再現してみたかったのだが、相手役どころかシャッターを押してくれそうな人すら見つけられなかった。

 

胡堂

 

両側に並ぶ古い家を眺めながら歩いていくと、堀川醤油店を発見した。ここは前述のゴローチャンの家である。そしてその向いには芳山君がゴローちゃんの家を訪ねる時に使用する、西方寺の門に続く階段が続いている。映画で観た通りだって、当たり前か。因みに、芳山君の家は竹原市にはなく、尾道市にある。この辺りは映像の編集で違和感無く仕上がっているので、勘違いしてしまうだろう。

 

堀川醤油店

 

さらにその階段を上がっていき、西方寺の門をくぐる。ここから堀川醤油店を見下ろす映像も、劇中何度か登場する。ここもそのままだぁ。

 

西方寺から堀川醤油店方向を見ると

 

一礼して境内を右側に行くと半円形の階段がある。ここは、坊さんが掃除している脇を芳山君が通学のために通り過ぎるシーンで登場する。

 

西方寺境内の階段

 

そしてその階段を上りきると、同映画のラストシーンで原田が下駄履きで走ってきて、あどけない笑顔をふりまく、まさにその場所だ。おおおおおー、ここに知世ちゃんがいたのか。そう思うとなんかちょっと嬉しい。周りから見たらかなり怪しいおっさんだろう。

 

 

丁度この辺りだろうか?

 

それはそうと、竹原市にはいわゆる「オタク」の方々がやけに多い。最初は偶然かなと思っていたのだが、明らかに多い。この理由については後ほど判明することになる。

 

上記の場所にある灯篭に腰掛けて、しばしもの想いにふけってみる。1983年原田版の「時をかける」では、ゴローちゃんと芳山君はかなり仲良くしている。年齢は高校生という設定なのだが、当方が高校生時代はどうだったのだろうか。度々レポートにも記載しているが、高校時代は正直言って思い出したくない。毎日何となく学校に行き、授業進度も早くて良く解らないし、自宅に帰ってから何とかしようと予習復習にそれなりに時間を費やしていたのだが、さっぱり成績も伸びてこない。もっとも、その程度のことでうまくいくほど世の中甘いものではない。きっと当方の努力不足がそのまま成績に現れていただけのことだ。さらに、この頃はそういう劣等感からか、他人との意思疎通もあまりうまく行えていなかった。当然、同級生である女子高生(この言い方がいかにもオヤジだ)ともあまり話したことはない。

 

そのためだろう、今だに女性と話をすることは苦手だし、彼女等の理解を超える思考様式はまったく理解不能だ。なぜそうなるのか、最近はそのようなことで悩むことはバカらしいと考え、そういうものだから仕方ないとしている。本当は脳の構造的なところに差異があるのだろうが、それが全て解明されるまでにはまだまだ時間がかかるだろうし、そこまで当方は生きていることはなかろう。それにしても、知世ちゃんはかわいい人だ。

 

休息してから西方寺を後にし、町なみを進んで行く。両脇には酒蔵や資料館があり、お祭りの片付けの最中だ。祭りの後は寂しいのだが、案外活気があるのはG.W.中であるからだろう。こうして、町なみは終わりになったのだが、ここも観たことがある。あ、日乃出時計店だ。エンドロールでも歌いながら歩いていく場面があったな。どっぷり映画の世界に入り込んでしまった。

 

映画で時計店「日乃出堂」として登場した家屋

(おばあさんではなく、おじいさんが店主でした)

 

こうして散策を終了した時刻が17時ちょっと前、今日の宿を探さないといけない。キャンプ場も考慮するが、朝はやっぱり5℃前後まで気温が下がる予想なので、おとなしく駅前の観光案内所へ向かう。この際、市役所の前を通ったのだが、そこには「アニメ たまゆらの聖地」と看板が掲げてある。なるほど、それでアニメが好きそうな人をたくさん見かけたというわけか。納得。

 

竹原駅前に到着し、そのロータリーの入り口に観光案内所を発見した。駅はまだ改修されてそれほど時間が経っていないのだろう、小奇麗である。また、G.W.のせいだろうか、駅前には人は少ない。。その観光案内所に入ると、業務終了時間間際のようで、そろそろ終わりたいという雰囲気だった。しかし、担当の女性係員は快くビジホを紹介してくれた。当方は、「他に安い所があるようだが」と聞き返してみると、「ゆっくり寝られるにはこの辺りが・・・」と暗に他の安いところは止めておいた方がよいと言っていた。

 

そういうことなら、ということでおすすめの「大広宛」さんへ向かう。一泊6,300円と少々お高いが、前述のように夜は冷えるので止むを得ない。風邪をひいてはロングツーリングにはならないですから。さらに、空気が乾燥しているせいか、なんとなくのどが痛いし、かなり疲れている。今日はさっさと寝て明日早起きし、予定をこなしていこうじゃあないか。

 

「大広宛」はかなり立派なホテルであり、ビジホではない。通常の宿泊施設だ。自転車用のスタンド横にバイクを止めて、建物に入ろうとする。当方のような小汚いライダーが入るにはあまりにも立派であるが、今日泊まる場所なので思い切って中に入ってみる。

 

受付にはうら若き女性が2名座っていて、どうも当方に説明をしている人は今春の新卒社員と思われる。若い人が頑張っているのは結構なことだと思うし、実際にはこういう人が大多数なのではないかと思う。そう考えると、当方のようないい加減な中年は見習わなければならないな、と思えてくる。

 

料金を前払いし、部屋の鍵を渡された際にバイクの置き場所を尋ねてみた。すると、意外にも従業員用が使用する倉庫の一角を提供してくれた。これはありがたい。昨日はちょっとひさしがある場所の下だった(これでも十分だが)のだが、今日は倉庫の一角か〜。サービス良いね。

 

部屋に入り、しばしくつろいで、今後の行動を考える。今日はとても疲れたせいか、とても眠たい。また、のども痛いので、軽い風邪かもしれない。飯を食って、風邪薬を飲んでさっさと寝ることにしよう。時刻は17時過ぎ、早速近くのスーパーへ出かけて夕食を購入する。ついでに薬局で「改源」を購入したして宿に戻る。この改源であるが、漢方薬なので眠くならないし、他の方のツーレポでもまずまず効きが良いという記載を見たので選んだものだ。

 

飯を食べつつ天気予報をチェック、明日は完全な晴れで、気温も上がるとのことだ。なんだよ、明日はもう帰る日だよ。もっと早くに天候が良くなってくれなくちゃ。残念だなぁ。ユニットバスの風呂につかり、ながら疲れを癒す。そして、そのまま湯冷めしないようにベッドに潜り込み、メモをつけたり、地図を見ながら明日のプランを考える。

 

10時過ぎに就寝となった。

 

本日の走行 250km

 

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