剣山スーパー林道ツーリング

 

2015年 9月19日~9月21日

 

23番札所 薬王寺にて

 

9月21日(3日目)

1.出発

 

朝は6時30分に起床した。宿の女将さんには申し訳ないが、独りで一部屋を貸切りだったので、運が良かった。そう思いながらカロリーメイトの朝飯を食べつつ、今日の天気をTVで確認する。昨日から変化は無いようで、今日中に帰宅すれば雨に降られることはなかろう。

 

そうなったら善は急げである。ザックの荷物を積載しやすいように整理して、迷惑にならないようにこっそりと部屋から運び出す。しかし、廊下がミシミシときしむ音については、当方の責任ではない。

 

7時30分過ぎに準備が整ったので、エンジンを始動する。今日も頼むよ、SL君。いつものようにセル一発で目覚める、SOHCで233ccの空冷単気筒エンジンであるが、思ったよりも粘りがある扱いやすいエンジンだ。その点だけを取り出して言えば、TDMの方が神経質かもしれない。オフロードとオンロードで求められる性能とは、数値に表した最高出力だけではないのだよ、ヤマトの諸君。

 

旅館 きよ美前にて

 

今日も林道走行をしたいところだが、時間的な関係で難しそうだ。まずは一晩の宿とした日和佐の中心にある、四国八十八ヶ所巡礼の23番札所、薬王寺に向かう。と言っても、ほんの数分で到着となる。まだ時刻は8時前なのだが、既に多くの人がお参りに来ている。いや、地元の人が散歩に来ているという方が正しいのだろうか。お寺は特別な存在ではなく、生活圏と一体になっているようだ。

 

山門をくぐり、いささか急勾配な階段を上っていく。そして、本堂に安置されている薬師如来様に手を合わせて、厄除けを祈願する。無事これ名馬こそがツーリングの究極の目標であることは、いまさら言うまでもなかろう。関係ないが、25年近く前に「艶姿阿弥陀如来有難いね(艶姿ナミダ娘の節で)」という替え歌があったなぁ。如来さんの艶姿って、そんなものあってはならないのではなかろうか。

 

他の建物にも仏像が安置されているので、そちらも順番に回って手を合わせる。何せ無事でなければ何もならないので、それだけをお願いする。

 

薬王寺の様子

 

2.ちょっと寄り道

 

薬王寺さんを後にして、針路を230°に採る。少し時間がありそうなので、ちょっと寄り道をしてみよう。目の前の国道55号線を進んでいくと、県道147号線である日和佐牟岐線、通称「南阿波サンライン」へ乗り換える。ここは鳴門市に在住していた1996年~1999年初頭によく訪れた場所で、高速コーナーとが中心のワインディング路である。また、海岸に沿って走るので気持ちが良い道であるが、誤ってコーナーを曲がりきれない場合、そのまま海へ向かって離陸することになるので注意が必要である。

 

RFに乗っていた当時は総飛行時間が1,000時間~2,000時間程度だったせいもあるが、あまりうまく乗れていたという思い出がない。今日は8,000時間、うちホンダMD33型機では350時間の経歴でここへ帰ってきた。さすがにあの当時よりは遥かに鋭い走りができていると思うが、今日は荷物満載である。また、無事に帰宅する必要もあるので、離陸しないように気をつけていこう。

 

右へ左へコーナーを駆け抜けて、時折みえる海岸線に目を向けながら集中して車輪を回していく。結構南へ来たなと思った頃、第4展望台の看板が見えたのでピットインする。余談であるが、いつもはもっと北側にある第一展望台に寄っていた。ただ、今日はこの147号線に入ってすぐの所だったので、こちらを選択した。因みに第一以外の展望台はあまり整備されていないと補記しておく。

 

看板に従って左折すると広い駐車場に入り、海岸に近い方に東屋と営業していない売店と思われる建物が見える。座りたいので、東屋の近くにマシンを止めようと思うが、先客の地元の方が見えたので、少し離れた場所に停車する。

 

エンジンを止めると、静寂に包まれる。そして、時折波の音が聞こえ、海岸にそびえ立つ、断崖の上に立っていることを思い出す。さて、普段の生活ではこのような静寂を味わうこともないのだが、ここ徳島は人口が少ないせいだろうだ。ちょっと人里離れればいつでも静寂(寂しいだけ?)である。そうだったなぁ、と15年以上前のことが思い出されてくる。

 

あの頃は先のことなんて何も考えていなかったので、適当な所に就職してしまった。まあ、そこで真面目に頑張れば良かったのだが、そこでも適当な理由をつけて早々に退職となり、履歴書に傷をつけてしまった。まったくもって愚かな自分に腹が立つので、いっそのことそのまま離陸して抹消してしまいたいくらいだ。その自分の行為のせいで、この旅が終わった翌々月には、今在籍している会社を退職する。最初の歯車がいい加減だったので、ブレブレの軸を回してきてしまった、そのツケを今後も払わねばならないということだ。これこそが、自業自得というものであろう。

 

南阿波サンライン

第4展望台からの眺め

 

3.この先は

 

時刻は8時30分過ぎなので、このまま室戸岬へ向かうのもよかろうか。マップルを見て距離を確認すると、片道で60㎞近くあるではないか。これが北海道ならば30分強かな、という計算もできなくもないが、ここは四国なのできっちりと1時間以上かかる。食事をして往復で2時間30分として、戻ってくれば12時前だ。しかし、ここから徳島までが50㎞以上ある。こちらは2時間ぐらいを予定しておいてちょうどよいだろう。

 

結局、室戸岬まで行っていては、徳島港を13時25分に出るフェリーには間に合わない。この次は16時30分なのでこれなら問題はないが、和歌山に18時30分到着し、そこから自宅までが4時間近くかかる。最近視力の衰えからか夜の走行が怖いので、前者の便を利用することにして室戸はやめることにした。残念だが、また来ればよいことだ。

 

牟岐町の市街地まで行き、国道55号線を戻っていく。ちょっと暑くなってきたので、コンビニに入り水分補給をする。マシンにもたれつつ、頭の中で今後の飛行計画を策定する。先ほどの予想通りだと、徳島には10時30分頃に到着できる。しかし、これでは早すぎるな。そうだ、鳴門へ行って昔よく食べたあの味に会おう。

 

そう考えていたら、ヤマハビラーゴに乗る香川ナンバーのライダーがやってきた。目があったので少し話してみると、そんなにバイクは乗らないということだった。なるほど、季節の良い春と秋に1回ずつ乗るということか。

 

そういうことで、あまり話が盛り上がらなかったので先へ進むことにする。セルモーターの軽い回転でエンジンは回り出し、絶好調である。ただ、少しづつギアの入りが悪くなってきているので、帰宅したらオイル交換が必要だろう。そんなことを考えながら寒葉坂を超えていくと、再び日和佐の市街地へ入って来る。薬王寺は朝よりも混み合っていて、にぎやかだった。

 

市街地を横目に見ながら、国道55号線日和佐バイパスでペースを上げていく。この道は鳴門在住時にはまだ工事中だったので、時の流れを感じながら進んでいく。そりゃ歳を取るわけだ。なんだか納得してしまった。

 

福井町を過ぎて、青色発光ダイオードで有名な阿南町に差し掛かる。ここからも国道は阿南バイパスが開通しており、市街地をかわして、やや海沿いの片側2車線の道を快走・・・できないのか。内陸を通る旧道よりは早いのかもしれないが、信号が多いし交通量も多いのでなかなか進まない。そうなんだよな、四国って本当に距離が出ないんだよな。

 

ちょっとがっかりしたが、淡々と距離を刻んでいく。しかし、相変わらずのトロトロ走行なので、気分を変えるために小松島から県道16号線、120号線と繋いで海沿いのルートを行く。まあ、進む速さは変わらないが、国道で詰まるよりはマシだろう。そう考えつつ末広大橋を渡り、フェリーターミナルの看板を見送って鳴門を目指す。当方が持っている地図にはまだ掲載されていないが、いつの間にかに吉野川を渡る橋がもう一つ建設されたようだ。この道は徳島環状線と呼ばれているようで、川内町まで続いている。驚くことに、末広大橋から吉野川を渡るまでは高架橋だったと追記しておこう。

 

徳島もちょっとは便利が良くなったな、と失礼なことを思ってしまった。いや、吉野川を渡ることは、イコール渋滞を抜けていくということだったから感心してしまったのだよ、ヤマトの諸君。

 

少しだけ国道11号線を走り、再びメインストリートを外れて、国道28号線で北上していく。徳島空港だった阿波踊り空港を過ぎて、吉永地区を超えればいよいよ鳴門市だ。警察署を過ぎて市役所前を過ぎて、おお、イオンはまだ健在か。駅前を通り、小鳴門橋の下をくぐって黒崎通りへ左折と。この辺りはほぼ毎日来ていた場所なので、どこに何があるか今でも覚えている。しかし、その覚えているものが無くなっている。ファミレスも、電器店も、食事処も。ずいぶん寂れてしまっているので、目指すうどん屋である「丸亀」が存在しているかどうか心配である。

 

4.鳴門と言えば

 

おお、当時と変わらない店構え、しかも駐車場は満車で大繁盛だ。よかったぁ、ここでうどんが食べられなかったら、鳴門まで足を伸ばした意味が半減してしまうぞ。

 

丸亀の店舗

 

引き戸を開けると、店内もあの当時のままだ。いや、店員さんまでも。ここだけは時間が止まっているのだろうか、そんなはずはない。現に自分は42歳になって、頭頂の毛が怪しくなっているではないか。

 

当時よく使用したカウンター席に座り、もちろん「焼うどん」を注文する。ここで時刻を確認すると、12時少し前だ。徳島のフェリーターミナルへは半時間プラス10分もあれば十分なので、焦る必要はない。ちょっと落ち着いて水を飲み、改めて周囲を見てみる。何から何まで、鳴門に住んでいた当時のままだ。よく「タイムスリップしたような」という表現を見かけるが、あれはこういうことなのだろう。

 

正直「タイムスリップ」したような経験はしたことがなかったのだが、それは当方が歳を取ったということに他ならない。「昔のまま」であることを体験するには、「昔」が存在しなくてはならない。若い人に「昔」は存在しないので、一定の年齢にならなければ「タイムスリップ」はできないわけだ。

 

呆気にとられていると、焼うどんが運ばれてきた。もちろん、これも当時のままだ。ここで味が変わっているということはなかろう、ひと口すすってみる。まったく同じだ。出汁と胡椒が効いた、この独特の味。白菜、イカ、豚肉、きくらげ、具の量も変わっていない。今は本当に2015年だろうか。再び自分に問いつつ、うどんを食べていく。頭の中には1996年に初めてこの地にやって来た、あの時のことが、まさしく「走馬灯」のように巡っていく。

 

あんかけで口の中を火傷しないよう、注意して完食した。関係無いが、当方のノートをよく写しにきた女は「アンマキ」である。どこかでも触れたことがあるが、今思えば何とかしておけばよかった。変な自尊心というか、意地がそれを妨げていたとは、この歳になってやっと理解できたことだ。

 

おおっと、そろそろ店を出よう。え、値段もあの時のまま、980円なの!?

 

丸亀の焼うどん

 

やっぱり今は2015年だよなぁ、SL230を購入したのは2013年だ。もっとも、SL230の初期型が発売されたのは1996年なので、疑念が晴れたわけでは・・・、いやそんなことは無い。15年以上の時間旅行を終えて、マシンに火を入れると現実に戻ったようだ。ボーっとして事故にならないように注意して、沖ノ洲にあるフェリーターミナルまで運転しよう。

 

国道28号線から県道12号線を通り、国道11号線で南下していく。この道も、鳴門時代によく通ったので何も見なくてもすぐに思い出せる。今日は流れも良いので、白バイの取り締まりだけには気をつけていれば、問題なかろう。

 

平石交差点を右折し、徳島環状線こと県道29号線へ乗り換えて、フェリーターミナルを目指す。思ったよりも速いペースで走ることができたので、楽勝である。ああ、しまった。乗り場は末広大橋を渡る前に高架を降りなければならないが、行き過ぎてしまった。何が楽勝だよ。

 

高架橋は信号が無くて飛ばせるのだが、こういう時には非常に困ってしまう。幸いにも橋を渡ったすぐの所にI.C.があったので問題なかったが、大きく行き過ぎていたらえらい時間の損失になるところだった。

 

少々手間取って、薄曇りのフェリーターミナルに到着したのは12時55分頃だった。幸いなことに、切符の購入には2、3台の4輪車が並んでいるだけだったので、すぐに順番が回ってきた。そして、往路と同じく3,900円を支払って乗船の列に並ぶ。

 

徳島港のフェリー乗り場にて

(正面には眉山が見える)

 

スクーターやハーレー軍団が前にいるが、その中の一台にリアタイヤを強調した機体が見える。こんなものでコーナーを気持ちよく曲がれるのだろうか、かなり疑問である。まあ、こういう人に話を聞くと「見た目重視なんですよ」と嬉しそうに答えてくれることだろう。

 

5.四国よさようなら

 

13時20分前になると、4輪に続いて乗船の指示が出た。往路の船内はとても混んでいたいたので、急いで船室に上っていく。あー、遅かったか。既に座敷は満員であるので、自販機前の四角いソファーに座る。ちょっと疲れたなぁ~。

 

少し目をつぶってうな垂れていたら、いつの間にか寝てしまっていた。やっぱり疲れていたのだろう、そりゃそうだ、ツーリングは予想以上に気を遣ったり、体力を消耗しているものだ。うーっと伸びをして、目を覚ます。ちょっと潮風に当たろうか。

 

船室を出て、上方のデッキで風に当たる。船は既に紀伊水道の真ん中にいるようで、先にも後にも陸が遠い。久々の四国はあっという間で、本当にスーパー林道を走ってきたのかが、記憶が薄い。若年性認知症かもしれないのだが、記憶が無いわけではない。あの川成峠から見た青空、日奈田峠手前の路面状況の酷さ、最後に見えた剣山。しっかりと覚えているのだが、あまりにも時間が早く流れすぎたのだろうか。実感が薄いのである。

 

そんなことを考えながら、煙突から排気ガスが放出されて広がっていく様子を眺める。因みに、こちらのフェリー「つるぎ」であるが、新潟エンジン製6M54型を2基搭載していて、巡航最大出力は5,400ps、最大巡航速度は21.6ノットである。尚、2013年に勇足のセイコマで話した船舶機関士のおじさんによれば、船舶エンジンの業界では「新潟エンジン」はIHIやKHIなどに続くメーカーだそうだ。

 

それにしても、フェリーの旅は楽しい。先ほどは実感が薄いと記したが、船上では時間の流れはゆったりとしており、気持ちもゆったりとする。そのおかげで「遠くに来ている」という実感を持つことができる。なんだ、実感が薄いと騒いでいるが、気持ちが急ぎ過ぎているだけだよ。旅に出た時ぐらいは、そんなに焦るなよ。

 

どうやら、自分が若年性認知症ではないようだ。病は気からではないが、気持ちが思考に与える影響は計り知れない。今更ながらにそんなことを思っていると、だんだんと和歌山港が近づいてくる。本州に戻るということは現実が近くなるということだが、家に帰るまで気を抜いてはならない。和歌山から自宅までは250㎞近くあるので、結構な仕事である。

 

ちょっと小腹が減ったので、ちょうど携帯していたカロリーメイトで補給をしておく。うどんは腹が膨れるものだが、すぐに空腹感がやってくる。今から最後の仕事をこなさなくてはならないので、エネルギー切れには注意が必要だ。

 

6.再び本州

 

予定通りに15時30分に和歌山港に接岸し、4輪が出た後に続いて下船する。ああ、旅も残りわずかと思うと非常に残念だが、県道16、138、145号線と繋いで和歌山の市街地を抜けていく。そして道路名が国道24号線になった辺りで、自宅までの燃料を搭載する。155㎞走行して4.4Lを入れたので、燃費は35.2㎞/Lと好記録だ。徳島県内は流れてはいるが速度が出ないので、燃費が良かったと推測される。

 

和歌山I.C.から阪和自動車道へ乗り、巡航速度の50ノットを維持して進んでいく。あらら、いきなり泉南辺りで渋滞につかまったが、すり抜けで対応して泉佐野J.C.を通過する。その先には岸和田料金所があるのだが、前述のようにETCが作動してくれない。仕方ないので料金徴収員がいるゲートへ入り、事情を話して割引を適用してもらう。無事に料金の精算が終わったのだが、後ろのBMWの運転手がワーワーと騒いでいることに気がついた。何だよ、並ぶのが嫌だったらETCを装備しておけよ。

 

あまり気にしないで再出発し、岸和田泉I.C.から信太VORを越えていく。鼻歌交じりで50ノットを維持していると、さっきのBMWが横に来て幅寄せをしてきた。おいおい、こいつは何をしているんだ。こっちは死んだところで誰も困らないので、殺してくれてもかまわないぜ。そういうわけで、一切避けることしないで走行を続ける。すると、50㎝ぐらいまで詰めてきたところで寄りが止まった。そこで、ちらりとこのヴァカの方を見てみると、助手席の女が「キャー、ヤメテェ~」という表情をしているのが見えた。面白いので、こちらが少し寄ってみると、今度は相手が逃げ始めた。さらに面白いので加速して前に出て、

 

オシリペンペン

 

して、運転手の方へ回ってみた。すると、顔を真っ赤にして何かを言っているようだ。ますますもってヴァカのようなので、相手をすることが馬鹿らしくなった。結局当方もヴァカである。ここで戦意喪失し、アクセルを緩めてBM車を見送った。でも、本当に殺してくれればよかったのになぁ。

 

死に損なったことは残念だが、堺J.C.を過ぎて松原J.C.で西名阪道へ乗り換える。ちょっと疲れたので、香芝S.A.で一服する。さっきの幅寄せの件について考えてみるが、おそらく2輪を格下と思っているのだろう。だから、2輪車が前を走ることは許せないのだろう。こんなもんだな。そう思うと方の力が抜けて、今後の道程を安全に運転してこうという気持ちになった。

 

再び走行を開始し、天理I.C.を過ぎれば名阪国道だ。まずは結構な勾配の坂を40ノットで駆け上がっていくと、気温が下がってくる。また、だんだんと日が傾いてきているので、急に空気が冷たくなってくる。そして、淡々と進んでいくと上野辺りで夕暮れを迎えた。少し空を見てみると、うろこ雲が広がる空が真っ赤になっている。夕暮れが綺麗で、少し気持ちが動いてしまった。こんな美しい夕暮れを見たのは久しぶりのことで、旅効果もあってさらに良く見えてしまったようだ。

 

名阪国道が終わり、亀山で最後の休息を取る。あと少しで自宅なので、国道1号線を通り淡々と車輪を回していく。後は特に何もなく、自宅に到着した。やれやれ、疲れたね

 

 

本日の走行 380㎞

総走行距離 940㎞

 

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