管理人 海外へ行く

~オーストラリア編~

2017年11月13日~2017年11月21日

香港を離陸

第9日目 最終日(11月21日)

1.目覚めると

いつものように、就寝中に突然の揺れで数回目が覚めるが、6時間ぐらいは眠ることができた。本当はもうちょっと寝ていたかったが、飛行機に乗っているという興奮状態なので、このくらいが精いっぱいだ。眠い目を擦りつつ、モニターを確認する。現在はフィリピンの東海上を航行中で、残り飛行時間が1時間40分ということだ。窓から外を見ると、わずかに明るくなってきている。機内で夜明けを見られるとは、初めての事なので嬉しくなってしまう。

機上から見る日の出

徐々に明るさが増してくる空を見ていると、朝食が配られる。メニューによれば、オムレツ、ベーコン、ソーセージ等となっている。飯を食べていると、さらに明るくなって翼の形状が見えてくる。B777のER型を象徴するウイング・ティップが朝日に照らされて、何とも印象的だ。また、下方にはうろこ状の雲が広がっていて、こちらも綺麗である。

夜明けと共に朝食

コーヒーを飲みつつ、夜明けの風景を楽しむ。こんな贅沢な時間はそうそうないので、しっかりと目に焼き付けておく。普段はあまり生きることに興味がないのだが、こういう瞬間には「生きていて良かった」なんて思うから、当方は誠に勝手な人間である。

食事を終えて、CAさん達はプレートの片付けに追われる頃、香港着陸に向けて降下が始まる。それと同時に雲の中に入り、ガタガタと機体が揺れ始める。これはいつもの事であり、特に不安を覚えることはないのだが、後ろの席に座っている子供が隣に座る父親に対して「ねえ、今は雲の中に入っているの?」と不安げに質問している。それを察したのだろう、父親は「そうだよ、雲の中に入っているけど、心配は要らないよ」と冷静に答えている。

翼を見ると、時々スピードブレーキが出されており、こまめに速度を調整しているようだ。また、雲を出る頃にはフラップも出されて、速度もぐっと落ちてくる。そして、眼下には香港とマカオを結ぶ巨大な海上橋が現れる。ダカールの帰りにもこの橋の壮大さには驚いたものだが、今回はもうすぐ完成という域まで達しており、工事の速さにも関心する。

ほぼ完成している海上橋

その後、機は順調に降下して、現地時間の6時40分頃にR/W07L着陸する。B777は大型機であるので、離陸も着陸もマイルドであるし、キャセイのパイロットも腕が良いのだろう。早々に滑走路を離れて、誘導路を通り6時50分頃にはスポットインとなった。今回も結構長い時間乗っていた気がするのだが、9時間というのはダカールとアディスアベバ間の飛行時間に相当するので、それ程でもない。

香港に着陸

2.まだ香港

旅はまだまだ続く。この後、9時10分発のCX530便名古屋行きに乗るので、あまりゆっくりしてはいられない。ひとまず電光掲示を確認に行くが、まだゲートが発表になっていない。それならば焦る必要もないので、各ゲートに駐機中の飛行機を見ながら歩いて回る。もちろん、ここはキャセイ他、香港を基点とする航空会社の機が多く見られる。中でも、最新のA350-900は注目の1機である。この機種には往路に乗ったのだが、最新の技術を盛り込みつつも堅実な機体だという印象だった。対して、少し小さ目のB787はかなり攻めた設計の機体だ。こちらはダカールへ行くときに乗ったのだが、与圧が高いことと湿度も従来機に比べれば高いので、長時間乗った割には疲労は少なかったと記憶している。

キャセイパシフィック航空のA350-900

そんなことを考えつつ、あてもなくスポットを回る。当然なのだが、日本のANAの機体も見られる。ああ、日本も近いのだなとなぜだか安心する。途中で電光掲示板を見ると、搭乗予定のキャセイパシフィック530便は34番ゲートと発表されている。「一度見ておくかな」ということで、行ってみる。

すると、既に同便に使用されるA330-300が駐機されており、ケータリングの車両などが張り付いており、出発準備に忙しい。この機体の胴体は細身で、そこから生える主翼は長めである。また、先端の翼端板は斜め45度ぐらいに上を向いており、これが外観のアクセントとなってさらにカッコ良く見える。エンジンはロールス・ロイス製のTrent700を搭載しており、およそ300人を乗せて11,000km程度を飛ぶことができる。そういえば、ターキッシュエアのイスタンブール~成田線の冬季運行では、A330が使用されている。確か飛行距離は9,000kmぐらいだったと思うから、丁度良いってことだね。

因みに、登録記号はB-HLUであり、A330としては539機目に製造された機体で、2003年にキャセイに納入されている。また、塗装はOne Worldカラーである。そう、キャセイは日本航空と同じグループなんだね。

名古屋まで頼むね

また、姉妹機であるA340と同時開発されており、操縦資格もほぼ共通のようだ(3日程の訓練で乗務可能となる)。ジェット機は機種毎に操縦資格が必要なので、これは航空会社にとってはとても有難いことのようだ。つまり、ジャンボ機であるB747の操縦資格があるからと言って、小さいB737が乗れるというわけではないのだ。バイクに例えると、ヤマハTDMに乗れるからと言って、ホンダスーパーカブに乗れるというわけではない、ということなのだ。実は、管理人はA330には搭乗したことはないので、かなり楽しみである。鉄道ファンに「乗り鉄」がいるように、飛行機好きにも「乗り飛行機マニア」がいても全く不思議ではない。

マニア魂を大いに発揮した後、フードコートの方や免税店街を見に行く。メルボルンのそれらも大概に大きいが、香港は規模が違いすぎる。しかも、それらに多くの人が出入りしているわけだから、どんだけの人がいるのだろうか。因みに「香港国際機場」の年間利用者は、約6,800万人ということだ。セントレアのそれは約1,100万人ということだ。あるアニメの主題歌に「♪買い物しよう香港・・・」という歌詞があるのだが、それだけ店があるってことだろうね。

香港国際機場のフードコートの様子

ゲート付近でくつろぎつつ搭乗開始時刻8時30分を待っていると、10分遅れぐらいで乗り込みが開始される。今回は指定席を外して、翼のやや前方47Kに陣取ってみる。ここからは翼の前縁とエンジンが見えるので、また違った楽しみ方もできることだろう。

今回は少し前方の座席から

前述のように、この機体は14年前に納入されたやや古い機体だが、それ程の古さは感じない。この辺りは、さすが香港のフラッグキャリアということで、整備がしっかりしているようだ。また、この機種の座席は2-4-2の横8席であり、リクライニングする時、座席の外側フレームは傾かないで、内側フレームのみがスライドするのだ。これならば。後ろの席の人に迷惑もかからないし、迷惑がかることもない。ナイスなアイディアだと思うが、なぜ普及しないのだろうか。

座席は2-4-2の横8席

 

3.さようなら、香港

定刻の9時10分頃にドアが閉まり、いよいよ出発だ。それはそうと、実はこの便は台湾経由なのだ。だいたい1時間で台北の桃園空港に到着するようだが、機内食はどうするのだろうか。飲み物だけだろうか。そうなると、ちょっと残念だね。そんなことを考えつつ、窓から香港国際空港を眺める。それにしても、ここは忙しい空港だ。所狭しと飛行機が動き回り、スポットはどこも塞がっている。因みに、年間離発着回数は40万回ちょっとということである。成田のそれは25万回ぐらいなのだが、同じ滑走路が2本の空港でも倍近くの差がある。それだけ、忙しいということになろう。

立派な管制塔を見送りつつ、R/W07Rへ向かう。また、離陸待ちで誘導路に止まると、キャセイの格納庫やカーゴターミナル、そしてお馴染みの「放置されたジャンボ機」が出迎えてくれる。この機体は「タイ・オリエント航空」が所有している(いた?)もので、ある情報によると、ほとんど耐空証明切れ(車検切れ)の機体を破格値で購入して、使えなくなって放置されたものということだ。そういえば、ダカールに行った時にもここにあったと思うし、グーグル・アースでもその存在は確認できる。

整備地区に放置されるB747

いよいよ離陸の順番が回ってきたようで、エンジンが唸りを上げると同時に機体が加速していく。この機も割合とまろやかな加速をして、知らないうちに離陸しているという感じだ。「さようなら、香港。また会おうぜ」と心の中でつぶやき、エンジンを見る。おいおい、なんか首を振っているんだけど大丈夫?と思うが、主翼だったピョンピョンと鳥のように羽ばたいているのだから、問題は無い。いや、それだからこそ安全が保たれているのだろう。お、主翼上面に霧ができている。これは、密度が高くなって、水分が凝結したのだろう。

翼の上面に霧が発生

そう思っていると雲の中に入り、そのまま上昇を続けて30分ぐらいで水平飛行に移る。もちろん、雲の上は快晴であり、日差しが強い。すると、ここで食事のサービスが開始される。今回は飛行時間が短いこともあり、箱に入ったパイ、お菓子、そしてブリックのジュースだ。これならば配膳も片づけもすぐに終えられるので効率的だし、搭乗者もある程度満足できる。ナイスなアイディアである。

簡素な機内食

4.これが台湾か

さっさと食事を済ませて窓からの景色を楽しんでいると、ごみの片付けが行われて、そのまま着陸態勢に入る旨放送される。さて、台湾の上空はダカールの帰りに通過したことがあり、その際は「海と山が近いな」という程度のことしかわからなかったのだが、今回は着陸するのでもうちょっと細部まで見えることだろう。台湾に行ったことがある人は多々いるので、その話はよく聞く。友人のオークラ氏によると「数十年前の日本」ということだが、果たしてどんなものだろうか。

高度を下げてくると、地上の様子が見えてくる。田んぼが広がり、ため池が所々に点在する。ちょうど家の近所のような景色であり、昔日の日本を思わせるという表現は当たっている。ただ、遠くにはビル群も見えるので、都心部は発展しているようだ。そう思っていると、CAさんから「日本の方ですか?」と話しかけられる。そして「お手数ですが、一度降機していただいて、保安検査を受けてまたすぐに戻って来てください」と説明がある。要するに、ここで乗り降りがあるので、名古屋まで行く乗客も一旦全員降りろというわけだ。

昭和の日本かな

そうこうしていると、桃園空港のR/W05Rに着陸する。逆噴射用のパネルが開いて急減速するのだが、その開きはロールス・ロイス製エンジン独特のものだ。そして、ゆっくりと移動して、ちょっと古めかしい感じの建物に到着する。

この開き方がRR流

時刻は11時過ぎだが、11時30分にはこのB7のゲートに戻ってきてくださいと念を押される。ええ、30分しかないのか。まあ、台湾の通貨も持っていないし、米ドルもほとんど持っていないので、それ程長居はできない。

ちょっと古めのターミナルビル

促されて、保安検査場に向かう。ここは数十年前から変わっていないのかなというぐらい古めかしく、驚いてしまう。そして、古めかしい機械で荷物を透視してもらって、さっさと終了する。当然、やましいものは何も持っていないからね。

その後、免税店街をブラブラする。もっとも、その換算比がわからないので、いくらぐらいのものなのか見当もつかない。因みに、台湾では「新台湾ドル」という単位が使われていて、1台湾ドルは約3.7円(当時)ということだ。まあ、何も買わないで時間を過ごし、そのまま元のB7ゲートに戻る。待合所ではたくさんの日本人がいて、台湾が人気かつ手ごろな旅行先であることを思い知る。

免税店街の様子

5.慌ただしく日本へ

搭乗時刻の11時40分になり、後方の乗客から順番に機内へ入る。当方も元の席に着いて、窓からの景色を楽しむ。ここはチャイナ・エアラインやエバー航空の本拠地なので、それらの機が多く見られる。しかし、それに加えて日本のLCCであるヴァニラ・エア、シンガポールのそれであるスクート航空、韓国からはアシアナ航空、珍しいところだとマカオ航空など、かなり多彩な会社が乗り入れているようだ。やはり、ここはアジアで人気の観光地なんだろう。

定刻でドアが閉まり移動を開始すると、パラパラと雨が降ってくる。ただ、陽も出ているので狐の嫁入り状態である。また、空港は南側に拡張しているようで、目下工事中だ。そして、それ程混雑していないので、すぐにマイルドな加速で滑走が始まり、離陸となる。

多彩な会社の機が並ぶ

天気がイマイチなので雲に入るのだが、香港を離陸した時のようにエンジンが首を振って唸っている。翼がはばたくのはそれ程怖くないが、エンジンが動くのは少々気持ち悪い。というのも、1970年代にダグラスDC-10が離陸滑走中にエンジンを落として、墜落したことを連想させてしまうからだ。

もちろん、そんなことは無く、巡航高度に達して機内食のサービスが始まる。今回は鶏肉かパスタの選択なので、パスタを選ぶ。また、いつものオレンジジュースに加えて、この段階でコーヒーももらっておく。この理由は往路の記載で記したとおりである。

今回はパスタを選択

食事を楽しんでいると、だんだんと現実が迫ってくる。そうか・・・、今は無職になってしまったのだから、帰ったら早速仕事を探さなくてはいけない。全く困ったことだが、それをしないと次の旅を計画できなくなる。何としても就職したいのだが、上手くいくのだろうか。急に不安になってくるが、ここで不安になっても意味が無いので、家に帰ってから考えることにしよう。

日本の海域に入り、和歌山県の潮岬辺りから北上を開始、高度も徐々に下げ始める。伊勢付近を通る頃には街の様子がわかるぐらいに降りていて、知多半島が見えるとフル・フラップで着陸間近だ。そして15時20分頃に着陸となり、ここで時計も1時間進めておく。いよいよ現実に帰還だ。

中部国際空港に着陸

さて、今回は中部国際空港で入国手続きをするのだが、パスポートコントロールはほぼ顔パスだ。しかし、次の税関が成田よりも厳しい。「金は持っていないか」とか「猥褻なものを持っていないか」など、しつこくたずねられる。もちろん持っていないと伝えるが「スーツケースを改める」と言われる。最初からそう言ってくれればよいのにと思いつつ、ドヤ顔で開けてみせる。もちろん、何の問題も無く通過できて、晴れて日本に帰国だ。

後は電車に乗って、最寄りの駅でオヤジに電話する。こうして、初の南半球、オーストラリアはメルボルンの旅は終了となった。

本日の移動 8,000海里ぐらいかな。

6.現実に戻る

帰国後は忙しかった。ハローワークで失業給付の手続きをして、当面の生活資金を確保した後、職業相談に通い詰めてどんな職を探すかを模索する。もっとも、こんな3流大学しか出ていない中年のオッサンにまともな職など用意されているわけもない。一体この先どうするのか、身動きが取れなくなってしまったが、思い切って人生初のフリーターに挑戦してみることにした。旅に出るにはその方が都合が良いし、セネガルみたいに本当に仕事が無いわけでもない。この国では選ばなければ、職にありつくことは可能なのだ。ただ、それが世間一般に言う「普通」ではないというだけのことだ。

結局、春になってようやく、アルバイトながらフルタイムで某配達の仕事に就くことになり、なんとか生活は維持できる運びとなった。そして、さらに、上手くいけば再び旅に出られるようになることだろう、いや、是非に頑張ってそうなりたいものだ。

7.旅の総括

今回の旅は、前回のセネガルが厳しかったせいもあり、かなりお気楽な旅であった。飛行機は問題なく運行されて、現地では物価が少々高い以外は値段の交渉に疲れることもなく、交通網もよく整備されていたので移動も楽だった。もちろん、現地の人々も親切であり、だましてボッタクろうという者は皆無であった。そう、日本にいるのとほぼ変わらない感覚で過ごすことができたわけだ。

それはそれで良いことなのだが、何か物足りない。ダカールでは様々な出来事があって毎日が刺激的だったし、自分の常識が根底から覆されることも多々あり、普通とは何かと考えさせられたものだ。そして、こうして旅行記を書いて全体を思い出してみると、意外と記憶に残っていないのだ。そう、旅のハプニングは後々の思い出になり、美化されて懐かしく思うようになるものなのだ。そう考えると、この旅はちょっと楽過ぎた感がある。そうだね、次回はちょっとだけ刺激的な所へ行ってみようか、そんなことを考えるのであった。

これで「管理人海外へ行く~オーストラリア編~」は終了です。更新が超スローペースだったことは、お詫び申し上げます。それでは、また次の旅でお会いしましょう。

2019年1月23日 

管理人記す

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