管理人 海外へ行く

~セネガル編~

 

2017年3月24日~4月3日

香港着陸時のモニター

第2日目(3月25日 その1)

1.香港着陸

香港では中国人がたくさん降りて行ったが、終点のアディスアベバまで行く乗客は降機することはできない。そのお客を管理するために職員が乗り込んできて、座席番号が書かれたシールを貼りつけていく。「俺たちゃ貨物か」と思うが、原始的ながら確実な管理方法だと納得する。

シールを貼られて待つ

窓から外を見ると、いくつもの搭乗橋に、この香港をベースとするキャセイパシフィックの機体が見える。ここはキャセイの都だな、そう思っていると、男性職員がやってきて前述の具合が悪くなった女性に「マダム、救急車と病院を手配していますから、降機してください」と話している。しかし、この女性は誇り高きアフリカの女性で「いや、大丈夫だ」と全く応じない。

すると、周りにいる同じ黒人が集まってきて「いいか、お前さんはガーナまで行くんだろう?また33,000ftの上空を10時間近く乗って、アディスからもまた何時間か乗らなくてはならないんだぜ。その体調では無理だ」と説得に当たっている。

最初は「好きにさせてやればいいじゃん」と思っていたが、また具合が悪くなった場合に「インドのガンディー空港に緊急着陸します」なんてことになりかねないと気がついた。そんなことになりたくはないので、当方も説得に加わろうかと思っていたが、その前に勇気ある日本人が彼女に話しかけている。すると「ダイジョウブダヨ」と日本語で応酬している。これでは当方の出る幕は無いと判断し、メモをつけながら様子をうかがう。すると、先程の職員が再びやって来て「入口まで医者が来ているので、そこまで行って欲しい」と説得している。

結局彼女はこれに応じて、席を立つ。よかったなと安心し、窓の外を見て過ごす。ちょうど胴体下の貨物室からコンテナを出し入れしたり、キャセイケータリングの貨物車が来て、機内食を積んでいる。

結局、香港時間の2時にドアクローズで、定刻出発となった。また、直前に件の黒人女性の荷物が降ろされたので、彼女は香港に泊まることが決定したようだ。よかったね。

2.アディスアベバへ向けて離陸

プッシュバックが始まり、機はゲートを離れエンジンが回転を始める。窓からは夜も眠らない香港空港のターミナル、そしてエアバスの最新型機である、シンガポール航空のA350-900が見えた。

誘導路を移動した後、R/W07Rに正対する。ここからは成田を発つときと同じく、マイルドな加速により、右手に貨物機やメンテナンス中と思われる機体を見ながら香港を離陸となった。ところで、この787型の離陸滑走はいつの間にか速度が出ていて、スゥ~と空に吸いあげられるように地面を離れていく。最新型機の性能はすごいものだ。

さて、ここからはインドの上空を越えて、アフリカ大陸まで着陸することなはい。まあ、ゆっくりと飛行機の旅をたのしもうではないか。モニターを見ながら、現在の位置や速度、方位をチェックして楽しむ。一時はどうなるかと心配したが、無事に香港を出発できてよかったよと安堵していたら、腹が減ってきた。すると、3時頃に再び食事の時間となる。成田から来た乗客からすると「また食事か」となるが、香港では大勢の乗客が乗ってきたのだから、食事が出るのは当然だ。CAさんがカートを押してやってきて「鶏肉か牛肉か」をたずねてくる。そうだな、今回は鶏肉を選んでみよう。

今回の食事はご飯と鶏肉のソース、青梗菜が丸ごと入っている。ナッツが入っているのは「フワッとアフリカン」であるが、全体的に中国料理っぽい。なるほど、香港で搭載した機内食だから、何の不思議もなかろう。

2回目の機内食

美味しい食事の後、お茶を飲んで落ち着いていると、アイマスク等のセットが配られる。CAさんはポンポンと空いている座席に投げていくのだが、これはちょっと残念だ。しかし、これが配られるだけでもヨシノチャンとしよう。因みに、ポルトガルの時に乗ったターキッシュエアラインズでは、手渡しであったと補記しておこう。

この時点で、時刻は香港時間の4時近くになっている。日本時間で言えば5時なのでとても眠い。そろそろ寝るとしよう。

3.アフリカ上空へ

いつものように、ガタガタと揺れる音で目が覚めると、時刻は香港時間の10時だ。しかし、アディスアベバ時間(アフリカ東部時間)では5時なので、また2時間以上飛ばなくてはならない。モニターで飛行経路を確認すると、ヴェトナムやミャンマーのあるインドシナ半島上空を飛び越えて、さらには「兄貴が腹痛を患ってえらい思いをしたインド」の上空を過ぎて、インド洋に抜けていた。

「随分と遠くまで来たな」と思っていると、朝飯の時間となった。内容はクロワッサン、ヨーグルト、フルーツ、そして今日はエチオピア名産のコーヒーを注文してみた。うん、パンもなかなかイケルが、コーヒーは流石である。すっきりとした後味ながら、深いコクと酸味が絶妙のモカだ。実は、成田ー香港間、香港の後の食事でもコーヒーを飲みたかったのだが、眠れなくなるといけないので我慢していたのだよ、ヤマトの諸君。

簡素だがおいしい朝飯

やっと味わえたエチオピアコーヒーで、パチリと目が覚めた。この間窓から外を見ていると、徐々に夜が明けてくる。朝日に照らされるB787の主翼が、複雑な曲線を描いていることが、改めてよくわかる。そして下を見ると、陸地が見えてきた。おお、ここがあのソマリアかぁ。いよいよアフリカ大陸にやって来たのだ。いささか疲労しているものの、そう考えると興奮を抑えられない。相当な嬉しさだ。

朝焼けの機外

アフリカ大陸と言うと密林か砂漠のイメージがあるが、この辺りは広大な砂漠に山がそびえ立っている。その茶色の大地を眼下に見て、飛行機は500ノット近い速度で進行していく。もちろん、景色はどんどんと移り変わっていき、ソマリアからエチオピアに入った頃には、山岳地帯や深い渓谷が見えるようになってくる。それもそのはずで、首都のアディスアベバは標高2,500mの台地に存在している都市なのだ。また、エチオピアがコーヒーの産地であるのは、高地の寒暖差がおいしい豆を育てるからである。

アディスアベバ近し

そう考えているとベルト着用のサインが発出され、機は降下を始めた。「いよいよ乗り換えの地が近くなってきたな」と嬉しくなってくる。興奮気味に移りゆく景色を眺めていると、高度がだいぶ下がってくる。すると、色のない家々の屋根、大きく蛇行する川、農地が見え、大いにアフリカンである。そして、さらに5時間遅らせておいた時計で7時20分頃に「ボレ国際空港」のR/W07Rに到着した。

アディスの街並み

4.アディスアベバ ボレ国際空港

成田やイスタンブールのアタチュルク空港からすれば随分と小さいが、ここは2003年に開港したわりと新しい空港だ。ここまで当方を乗せてきたET-ASR機は、5本しかない搭乗橋のあるスポットに入る。

皆が降機した後に、ほぼ最後の乗客として空港に足を入れた。この際、民族衣装を着たCAさんと写真を撮りたかったが、あっけなく「写真はダメなんですぅ~」と断られてしまう。うーん、残念だが仕方ない。こうして廊下を歩いていくと、案内の職員が「どこへ行くのか。乗り換えか」とたずねられる。「そうです、ダカールへ行くんです」と答えると「じゃあ上へ行け」と言われる。つまり、国際線ターミナルである「第1ターミナル」に留まっていろということだ。

ボレ国際空港の様子

そのターミナルには多彩な国籍の人が多く見られ、もちろん黒人さんが圧倒的に多い。完全にアフリカンである。また、一応エアコンが動いているようだが、結構蒸し暑い。どうも夜に雨が降ったようで、駐機場のあちこちに水たまりができている。

さて、ダカール行きのエチオピア航空909便は10時に出発で、航空券には9時15分に11番ゲートに来いと記されている。時間はまだ、2時間たっぷりあるので、空港内を歩いてみよう。しかし、事前に調べた情報の通り、乗り換え客は免税エリアには出られないようで、椅子しかない簡素なターミナル内を行き来するにとどまる。また、電光掲示板でダカール行きのゲートは本当に11番でよいのかを確認するが、9時30分までの便しか表示されていなかった。大丈夫だろうかと不安になるが、何とかなるでしょう。

暇なので、珍しい機体はないものかと駐機場を観察してみる。ここはエチオピア航空の本拠地であり、90%が同社の機で占められている。また、東アフリカの主要都市であるアディスの空港なので、離発着はわりと多い。その中で、同社のA350-900や、ケニア航空のE175などが見られた。また、エチオピア航空はアフリカでも金持ちの会社に入るそうで、駐機場には同社のB787型機が多く見られた。また、遠くのスポットに、スターアライアンス塗装のB767-300ERが見える。事前情報ではこの機体がダカール行きになることが多いようなので、続いて新しい飛行機に乗られそうだと安心する。

エチオピア航空の機体が並ぶ

5.ダカールへ向けて

決められた時刻まではまだ1時間程度あるので、11番ゲート付近に座って待つことにした。すると、中国人がやってきて「仕事で(アフリカに)来たのか」とたずねられた。「いや、旅行でダカールにいくのさ」と会話が始まる。アジアを出て、皮膚の色が違う人がたくさんいる中では、なぜかアジア人同士の仲間意識が芽生えてくるから不思議だ。因みに、中国人氏は生産設備管理のIT技師で「南スーダン」に行くそうだ。え、日本の自衛隊が行っているあの「南スーダン」ですか。大丈夫なんだろうか。

30分ぐら話していると「ああ、時間だから行くね」と、中国人氏は席を立つ。そろそろ自分も次の便に備えておかねばならない。そこで、おそらく英語だと思われるアナウンスに耳を傾ける。すると「フライトET909・・・シート・・・アバプターティー」と聴こえてきた。ええ、何??。よくわからないのでゲート11に立つ係員に航空券を見せる。すると「Calling passengers of seat number above 30」と言われる。「アバブサーティーね」とひとりで納得・安心する。因みに、エチオピアの公用語はアムハラ語という言語だそうだが、植民地時代の宗主国はイギリスなので英語も通用するようだ。

しばらくすると30番以前の客も案内が始まり、ゲートを通りターミナルの1階へ下りていく。すると、空港名物の「コバス3000」が待っている。沖止めの機に乗る時は、こいつに乗るんだよね。係員に航空券を渡し、バーコードをスキャンしてもらう。すると「あなた成田から来たの??」と驚かれてしまった。やっぱり、日本からダカールに行く人なんて珍しいんだろうか。

バスに乗る前に写真を撮ろうとウロウロしていたら「早く乗れ」と太っちょのオバサン係員に怒られる。すごい迫力で怖いので、ひぇー、すいませんと慌ててバスに乗る。そのバスであるが、駐機場内の道路線に従い、思ったよりも規律正しく走行していく。そして、26番スポットに停泊しているB767-300ER型である、登録記号ET-ALJ機の前で止まった。あれ、あっちの新しい、スターアライアンスカラーの767型じゃあないのか。まあ、これでも翼端板を装着しているから、古くはない機体だろう???。

この機体ででダカールまで

そう思いつつ、バスの写真を撮る。すると、それに気づいて、運転手が手を挙げている。やはり、人間はこのくらいのゆとりが欲しいものだね。こうしてタラップを上り、エンジンや胴体を近くで見る。やや、エンジンナセルの隙間からは、排ガスが通った跡であるススで汚れているし、胴体の塗装はタッチアップだらけだ。今までの利用した会社ならば、機体はきちんと洗車してあったし、塗装が傷んでいるということはなかった。ちょっと不安だが、運賃が安かったので仕方がない。

塗装がハゲハゲなんだけど

また、後日調べたところ、この機体は2003年に就航しており、767型としては918番目の機体だ。そして、2012年に後付けの翼端板が装備されたとある。たぶん、オーバーホール時についでに取り付けたんだろうね。これだけ聞くと、まだまだ新しい部類に入ると思ってしまうが、機内は・・・。

29Lの窓側の席へ座ろうとすると、ガタイのよい黒人さんに「29Jの俺が窓側だ」と言われてしまう。え~え「L」の窓側は俺の席だよ。「いや、Jは通路側でLが窓側ですよ」と、頭上収納に貼ってある席番号のシールを指して答える。すると「いや、Lは通路側だ」と言い張ってきた。

こいつは参ったなと思っていたら、ちょうどCAさんが来たので「Lは窓側の席だよねぇ」と助けを求める。すると「そうですよ、Lが窓側ですよ」と。やれやれ、助かった。一方、黒人さんは「そうなのか、すまない」という顔をして通路側に座った。ああ、怖かった。

着席しました

アディスまでの機体は新品だったので良かったが、こいつはあまり綺麗ではない。あー、左の肘掛が無い!! ということは、一応装備されている個人モニターを操作できないというこか。しかも、窓がヒビヒビで曇っている。なんてこったい、ダカールまでは約5,300kmあり、途中マリ共和国のバマコを経由して9時間かかるのだ。しかし、今更何ともできないので、このまま我慢するしかなかろう。

窓も汚いし・・・

こうして蒸し暑い中を20分ぐらい待ち、10時10分頃に移動が始まり、滑走路07Rから離陸滑走が始まる。結構荒い操縦で離陸し、急角度でぐんぐんと高度を上げていき15,000 feet辺りでさっさとベルトサインが消えてしまう。通常の国際線ならば、水平飛行に移る35,000 feetぐらいまでは雲を通過することがあり、揺れる可能性が高いのでベルトサインは点灯したままだが、アフリカではこれが普通なのか、はたまたエチオピア航空はこういう会社なのか、いずれにしても危険なことには変わりない。

第2日目(3月25日 その2)へ続く