管理人 海外へ行く

~ポルトガル編~

 

2016年 10月17日~10月26日

 

テレイロ・ド・パゾに立つ

ドン・ジョセ1世

(背後は勝利のアーチ)

 

第2日目(10月17日)

その2

 

1.ポルトガル入国

 

乗務員の笑顔に見送られて、ついにポルトガルの地を踏んだ。憧れのという強い意識はないけど、やはり憧れていたヨーロッパの西の端に来たということで、興奮を抑えられない。だが、浮かれて居る暇はなく、入国の審査を受けなければ空港から出られない。

 

イスタンブールから乗ってきた

B737-900ER機

 

搭乗橋がある細長い廊下を歩いていくと階段があって、その下に入国のゲートが見えた。しかし、ここは2つに分かれていて、一つはEU圏の人用、一つはそれ以外の人用となっている。ここで当方はよくわかっておらず、EU用の所の「自動パスポート読み取り機」で入国しようとしていた。当然エラーとなるので、どうしたものかとキョロキョロしていたら、係員が来て「日本人?All Passportのゲートへ」と言われた。ああ、こっちなのね。EU国を経由していたら、こっちでよかったんだろう。

 

入国のゲート

 

黒人の牧師や、犬を連れた白人など、様々な国籍の人達が列を成している最後尾につく。日本人は自分だけだ。20分程列で待ち、ブースにいる役人にパスポートを渡すと、顔写真と実物を確認してスタンプを押してくれた。これで晴れて、ポルトガルに入国だ。

 

EU国以外の人は、こちらに並んでます

 

到着して最初に行うことは、荷物を受け取り、ユーロの現金を手に入れることだ。いや、その前にトイレに行って用を足して落ち着こう。ここでガイドブックである「地球の歩き方」の空港見取り図のページを開いて、それぞれの場所を確認する。

 

用を足したら荷物が出てくるターンテーブルの前で待つが、荷物がいつまでたっても出てこない。ひょっとしてイスタンブールで、どっか違う行き先の飛行機に積まれちゃったんじゃあないのか。しかし、ガイドブックにば、こういうトラブルの対処法についても触れてあった。それによれば「LOST BAGGAGE」というカウンターに申し出るようだが、それは不要だった。

 

荷物を受け取り、ATMから現金を100ユーロ程を引き出して、最後に税関を通る。別に申告するものはないので「申告しない」のゲートを通り、セキュリティエリア外に出た。これで入国手続きは完了なので、本当にポルトガルに独り放り出されたわけだ。

 

ここからどうしようか。ホテルに荷物を置いて出かけるつもりだったが、まだ昼前なので街へでてみようか。そう考えていた場所は、ちょうど「My Bistro」という店の前だったので、エスプレッソを1.5ユーロで飲みつつ、ルートを模索する。

 

喫茶店は天蓋の下

 

空港から街へ出るには、空港バスか地下鉄に乗る方法がある。ここは街の様子を見たいので、3.5ユーロと少し高いけど「AEROBUS」を使うことにしよう。あと、その前に、重要なことを忘れていた。それは、帰りの飛行機の予約確認である。通常「Reconfirm」と呼ばれ、72時間前までに行うべきことである。これについては諸説ある。「必要ない」とする考えと「いや、予約が取り消されることもある」という考えだ。

 

この件について、航空券を手配したDeNaトラベルの見解では「Turkish Airlinesでは必要で、Japan Airlinesは不要」ということだった。因みに、当の「Turkish Airlines」に出発前、電話で往路の予約を確認した際、復路の確認はどうすればよいかをたずねてみた。すると「別に確認しなくても、予約が取り消しになることはない。まあ不要」ということだった。ただ「するなら、空港に着いた時に、カウンターで聞いてみて」と言われた。

 

何事もやりたがりの当方なので、やらないという選択肢はない。コーヒーを飲み終えると同社のカウンターを探して、E-TICKETを見せながらその旨を申し出る。すると男性職員が「ちょっと待って。俺は英語がよくわからないので、もう一回言って」と言われてしまい、要点だけを言ってみた。すると「ああ、reconfirmね」と言って、助手の女性に端末をたたかせている。

 

2、3分して「確認できましたと」言われた。これで安心かと言うと、そうでもない。「(イスタンブールまでと成田までの)2フライト分だよね」と念を押しておく。すると「もちろん、2フライト分だよ」と。もっと人を信用してもよさそうだが、そんなことでトラブルになりたくないという思いが強かったのだ。

 

2.街へ出よう

 

これで用事も済んだので、バス乗り場へ向かう。ちょうどガイドブックに載っている黄色いバスが止まっており、その前で切符を売っている人を見つけた。今回は片道分を購入して、前の扉から乗り込み、運転手に切符を見せる。もっとも、切符と言っても幅の広いレシートなんだけどね。それにしても、こちらのバスはでかい。日本の12mのバスよりも1回り大きく、15mぐらいはあるものと思われる。

 

エアロバス

 

バスが発車して、当たり前だけど右側通行に驚いた。そして更に驚いたのは、運転が荒いことだ。バスはもちろん、周りの車やバイクがちょっと危険なタイミングで割り込んでくる。もちろん、バスも急ブレーキということになり、立ち席の人は「おっとっと」となってしまう。日本のバスは停留所の案内図が掲示されていたり、丁寧なアナウンスがあるが、こちらは急に止まって停留所名を言うだけだ。今日は終点まで行く予定なので問題はないが、途中下車の人はどうやってわかるのか。地元の人以外は絶対に乗り越してしまうだろう。

 

車窓からは、古いのか新しいのかよくわからない石造りの建物が並び、まさしく「エキゾティック」な街並みが見える。そして、いくつものラウンドアバウト(円形交差点)を過ぎて、ひときわ大きい交差点に入ってきたこれが「マルケシュ・デ・ポンバール(ポンバル侯爵広場)」である。もちろん実物は初めて見るので、それだけで気持ちが盛り上がってしまう。ホテルはここから近いが、バスを下りずに進んでいく。

 

さて、「スリには注意しよう」という事がガイドブックに書かれているので、背中のリュックを手に持っているが、そんなことをしている人はいない。通常通りに背負っている人の方が多いくらいだったと補記しておこう。

 

リベルターデ通りの渋滞に巻き込まれたが、ゆっくりと街並みをみることができたので、かえって良かった。そう考えていると、バスは広場の手前で止まった。そのままずっと座っていたら、運転手がこちらへやってきて「どこまで行くのか」と聞いていた。「終点まで」と答えると「ここが終点だよ」と。ああそうでしたか。では下ります。ありがとうね。

 

こうして、コメルシオ広場に降り立った。この広場は1755年の大地震までは、マニュエル1世の宮殿があった場所だ。この人は香辛料で大儲けした王様であったようだ。そして、真ん中に立つのは改革王と呼ばれたドン・ジョセ1世だ。強い日差しに輝く広場を歩き、像に近づくと歴史のある雰囲気を感じる。俺は来てしまったのか、と感慨にふけっていたら、紙コップ入ったコインをジャラジャラと鳴らして、何か言っているおばあさんが近づいてきた。そう、いきなり物乞いの洗礼も受けてしまったのだ。もちろん、こっちも失業中なんだから、俺の方こそ寄付して欲しいくらいだよと無視した。

 

それはそうと、以前在籍した会社で、大震災の募金を集めるH部長も同じようにしていた事を思い出した。今リスボンの地で、その行為の醜さを改めて感じた。あの会社は人間も腐らせるのだ。

 

物乞いはすぐに目標を切り替えていったので、改めて像の反対側に振り向き、大きな門を見る。これは「勝利のアーチ」と呼ばれていて、展望台になっている。何に対する勝利かは、現時点では不明だ。

 

コメルシオ広場の様子

 

それにしても今日は天気が良く、同時にとても暑い。ちょうど広場の片隅にオープンカフェが見えたので、そこで一休みすることにした。店は満員であったが、席を探してウロウロする。そこへ、ウエイトレスの姉ちゃんが通りかかった。「ちょっと座りたいんだけど・・・」と控えめに言うと「座りたいのね」と言って、前の客のグラスを片付けて席をつくってくれた。ついでに「コーラを一つ」と言うと、急に怒り出した。

 

「私はホステスだから注文は取らないの!!いい、わかった??」と言うのだが、ホステスが注文を取らないってどういうこと??言葉はわかっても意味がわからない。すると、もう一度同じことを言われ「わかった??いい??」と念を押される。「はい、わかりました」。何だかなぁと釈然としないまま、男のウエイターをつかまえてコーラを注文して、一息ついた。

 

やっと一息ついた

 

異国の地で遭遇する出来事は、いつも初めてのことばかりだ。少々疲れるが、これが旅の醍醐味なんだろうね。そう考え、落ち着いて、さっきのホステスの件を検証してみる。多分、彼女の役割は案内と客引きだけなのだろう。注文を取って、運んでくるのはウエイターというように、棲み分けをして合理的に店を回しているのだろう。

 

広場を行く人々、現代的な形の路面電車、目を光らせて歩く警官、やっぱり俺はポルトガルに来ているんだ。ただ、コーラは世界中どこで飲んでも同じ味がする。さて、時刻は昼時なので、周りは食事をする人も多く見られるのだが、だいたいワインを飲んでいる。観光客なら問題はないだろうけど、今日は火曜日だ。仕事は大丈夫なんだろうかと心配してしまう。

 

広場にはトゥクトゥクも商売をしていて、たむろしている。市バスがあんな荒い運転をするのだから、トゥクトゥクなんて飛ばされてしまうのではなかろうか。ああ、恐ろしいと感じてコーラを飲み干す。

 

コメルシオ広場の停車場

(左は勝利のアーチ)

 

そろそろ店を出ようと思うが、店員は伝票を持ってこない。周囲を観察してみると、こっちから会計を申し出ない限り、店員は来ないようだ。そこで当方も店員を呼ぶ。もちろんウエイターの方ね。支払いをしたい旨、話してみる。「Checkですね」と言われるのだが、ああそうか、会計はチェックなんだということを知る。英語を始めて30年程になるが、そんなことも知らないんだ。その通りだよ、ヤマトの諸君。当方の語学力なんてそんなもんなんだよ。

 

伝票を持ってきたのはよいが、そのまま違う客の所へ行ってしまう。おいおい、こんなんじゃあ食い逃げされちゃうぞと思うが、それは日本人的な発想のようだ。こちらの人はそんなことをする人はいないのだろう。€2.5を会計皿に載せて渡すと、ありがとうございました。以上だ。チップは要らないのかな。

 

3.リスボンって

 

元気も出てきたので、少し歩いてみることにする。ガイドブックの地図を見ながら、アウグスタ通りを北向きに進んでみる。広場の周りと同様に観光客がたくさん歩いているが、住宅もあるので住んでいる人達とごちゃまぜである。また、小さな商店や土産物屋もあるので、覗きながらの散策だ。見たこともない街に、誰も知っている人もいない。もちろん、話し声はポルトガル語なのでさっぱりわからない。

 

ああ、そうか。俺は今、飛行機に15時間以上も揺られて、ヨーロッパの西端の街にいる。そんな孤独感、高揚感を吹いてくる涼しい風が一層高めてくる。関係ないが、日曜日の朝に放送される「遠くへ行きたい」という番組がある。そのオープニングで「し~らな~いまぁ~ちを、あるいてみぃ~たぁ~い~♪」と流れるが、まさにその歌の通りだ。因みに、この番組は現在も放送中だが、昔の「この世の終わり」的な暗さで歌われるバージョンがとても味がある。現在のものは、明る過ぎると感じている方々も多いのではなかろうか。

 

さて、リスボンは坂の街であり、海から山側に向かって、斜面に張り付くように街が広がっている。ちょっと神戸に似たところがあるなぁ、そう思っていると路面電車がやってきた。ガイド本には「レトロな市電」と記載されているが、全くその通りだ。製造から何年経っているんだろうか、直流モーターのうなりをあげて、満員の乗客を乗せて走っていく。

 

28番系統の路面電車

 

おっと、ウロウロしていたら、裏通りに迷い込んでしまった。雰囲気がガラリと変わり、ヒヤリとした危険な空気に少々驚いてしまう。しかし、幸いにも「ポリシア」、つまり警察官も同様にそこらじゅうにウロウロしているので、恐れる必要は全く無いと断言してよかろう。これは言い過ぎかもしれないが、「なんだ、日本よりも安心ジャン」と思えてくる程だ。

 

裏通りにて

 

再び海側へ歩いて、地下鉄の「テレイロ・ド・パゾ」駅を目指す。これはコメルシオ広場から少し東へ行った所にある。その駅の入り口から再び街を見上げてみると、カテドラルやサンジョルジェ城、くちばしの家が見える。

 

山側はこんな感じ

 

そして西側には4月25日橋、テージョ川の向こう岸には巨大キリスト像も見える。いやぁ、行ってみたい所がたくさん見えて、わくわくしてきたよ。まあ、焦らずおいおい行きましょう。

 

4月25日橋、キリスト像、そしてテージョ川

 

4.ホテルへ帰投

 

さて、時刻は15時になろうとしているのだが、日本時間ならば23時だ。今日は長旅で疲れたし、明日に備えてホテルに向かうことにしますか。「M」の赤い看板が出た駅の階段を下りていく。因みに「M」は「メトロポリターニャ」の頭文字である。階段を下りていくと、何だか薄暗くて犯罪が起きそうな気配すら感じるが、何かあれば警察官がたくさんいるので怖がる必要もなかろう。それよりも、地元の人にとっては当方の方が怪しく見えるらしく、列の後ろにつくと「なんだなんだ」と警戒していたと補記しておこう。

 

さて、リスボンは公共交通機関が充実した街で、地下鉄は基本料金が€1.4である。これを別売の「VIVA VIAGEM」という緑のカードを€0.5で購入・課金して乗るのだ。このカードは様々な使い方ができるが、それは後日記載することにしよう。もちろん、カード無しでも乗ることはできるのだが、あった方が便利が良いと追記しておく。

 

問題はこのカードを購入して、料金を払うことだ。窓口には大勢の人が並んでいるにもかかわらず、職員は一人だけである。どうするかと思ったが、自動券売機を見つけたのでこちらを試してみる。タッチ画面の表記を英語に変えて、進んでいく。すると「この時間帯は、VIVAカードの販売は自動機では取り扱っていない」ということだった。意味ねぇじゃないか。少々腹が立つが、ここはヨーロッパ最西端の国、ポルトガルだ。日本の常識が通用するはずもなかろう。

 

焦らず、窓口に並んで順番を待つこと10分弱、やっと当方の番だ。「地下鉄に乗りたいんだが、VIVAカードをくれ」と始める。すると「片道か往復か(Single or Double?)」ときたので、ひとまずは片道を買っておいた。ここで、カードだけ買ってちょっと考えようと思い「カードだけ」って言ってみた。すると「カードだけは売れません」という回答だった。

 

アクリル板のゲートにある読み取り機にカードをかざし、駅構内に入ってみる。何とも、落書きだらけの汚い駅だ。地下鉄は5分おき、10分おきに運行されていて、とても便利が良い。また、次の列車が到着するまでの時間も表示されて、わかりやすい。空港からバスで移動したことは楽しかったが、急いでいるならば、絶対に地下鉄だろう。

 

地下鉄の駅

 

乗車してすぐ路線図を見て、4つ目の「マルケシュ・デ・ポンバール」で降りることを確認する。しかし、電車の中は騒音がひどく、アナウンスが聞き取りにくい。どうしようかと思っていたら、各車両の先頭と後尾に電光板を見つけた。これで乗り過ごさないで済みそうだ。

 

当該の駅で降りて、再び、アクリル板で仕切られたゲートにある読み取り機にカードをかざす。こんなペラペラの板じゃあ突破されそうだが、そういう人がいないのが不思議だ。さっきの食い逃げが無いのと同じことなのかもしれない。

 

地上に出ると、夕陽に照らされたポンバル侯爵の像が真ん中に建っている、大きなラウンドアバウトに出た。因みにこの人はとても偉い人で、1755年の大地震で崩壊した街の再建を指揮した人だ。地震に耐えたアルファルマ地区は別として、街の景観を考えて建物の高さを制限し、区画をして、現在の街の基礎をつくったそうだ。なるほど、ポンバル侯爵の見つめる、このリベルターデ通りは整然としている。

 

ポンバル侯爵広場

 

そんなことに関心して、ホテルへ歩いていく。これがまたひと苦労だ。一応グーグルで道順は調べておいたのだが、こんな坂道が急だとは思わなかった。まるでジムのウォーキングマシンに大きな傾斜をつけたが如く、道は続く。しかも、舗装路ではなくて「石畳」なことも脚に負担がかかることに一役買っている。

 

エドワルド7世公園に沿って坂道を登っていくと、これから滞在する「SANA REX」ホテルが見えてきた。このホテルは手前にあった「インターコンチネンタル・ホテル」と比べたら小さいものだが、看板は星3つ(星5が最高ランク)のグレードなので悪くはない。いや、むしろ贅沢だと言えるだろう。

 

SANA REXホテル

 

中に入り、スタッフに「日本から来て、予約証明書も持っている」旨を伝える。どうやらかなり忙しいようで「今からちょっと雑用をして、上の階に行ってフロント担当を呼んできて、それから対応するので20分程度待ってくれと」ということだった。ちょうどロビーのテレビがオートバイのレースを映していたいので、レースを見て待っているから大丈夫だと返答した。

 

10分ぐらいすると担当者がやってきて、チェックインの手続きをしてくれる。カードキー、インターネットのID、朝飯の時間などの説明をしてくれた。どうやら最初に話した人はボーイさんだったのかと、この時に気がついた。

 

2階の203号室がリスボンでの拠点だ。んー、なかなか良いというか、ライダーハウスばっかりに泊まっている当方としては、ホテルに泊まること自体がかなりの贅沢だ。こんな快適な部屋に滞在するなんて、夢のようである。テラスへ出てみると、エドワルド7世公園が見える。車が路駐してあるように見えるが、ここはれっきとした駐車場だ。

 

落ち着いたら腹が減ってきたので、どこかへ食べに行くことにする。ガイドブックに「日本人向け」と書かれた店を発見し、そこへ行くことに決定した。まずは地下鉄の「サン・セバスティア~ノ」駅まで行く。これがまた一苦労で、坂を上りちょっと平坦になったと思ったら今度は急な下りだ。リスボンが予想以上に斜面の街だということを、ここで思い知ることとなった。因みに、この通りには刑務所があるが、警察署もあるので、全く安心して出歩くことができるよ。

 

余談だが、時刻は18時過ぎなんだけど、まだ十分に明るい。これはポルトガルが世界標準時を採用しているからだ。どういうことかと言うと、リスボンは西経8度辺りに位置している。これは見かけの時刻はイギリスと同じだが、実際は30分程度の差があることになる。さらに、今はサマータイムの季節なので、1時間進んだ数値を使用していることによる。この季節でこの時間帯まで明るいとはおかしいと思っていたが、少し考えたら納得できた。

 

石畳の坂を下ります

 

坂を下ったところに「エル・コンテ・イングレス」という複合ショッピングセンターが見えてきた。これもガイドブックに載っており、スーパーや映画館も入っているということだ。メトロの入口は店の入り口とつながっているので、ここへ入る。スターバックスなどを横目にみて、改札口に到着した。さて、この時間帯は駅員がいないので、自動券売機で切符を購入する。ここで、先ほど購入したカードが登場するのだが、うまくチャージできない。オロオロしていると後ろに列ができているので、ひとまず譲る。

 

複合ショッピングセンター

El CONTE INGLE'S

 

おかしいなぁ、どうしよう。結構歩いてきたので、空腹感がかなり迫ってきた。まあ、今日はこのセンターの中で食べるとしよう、と安易に楽な方へ流れてしまった。センターは8階建て?であるので案内板に従って、最上階にあるレストラン街へ上っていく。しかし、そこは結構高そうな店が並んでいて、どの店にもウエイターがいない。これは時間がかかりそうなので、地下にあるフードコートへ向かう。ここにはファーストフード店があり、割とすぐに食べられそうな「Pans & Company」を選択した。

 

ポルトガル語表記のメニューが読めないので、黒人の女性店員に「あれ、あれを一つ」と言って、頭上に掲示を指さす。すると「ロンボニかしら?」と理解してくれて、飲み物を聞かれた。今回はスプライトにしておく。

 

スーパー地下のファーストフード

pans & COMPANY

 

指示に従って横にズレて待っていると、やけにでかいカップのスプライトと、やけにでっかいバゲットサンドが出てきた。おいおい、2人分じゃあないのかと驚いて受け取り、席に着いて中身を確認すると、1㎝程度の豚肉にチーズがトローリ、いかにもカロリーが高そうだ。

 

しかし、かなり腹が減っていたので、ガツガツと食べ始める。ん、ファーストフードの割には結構おいしいじゃあないですか。これで€6.9だから、まあいい線である。そう考えていると「隣は空いているか」とおっさんが話してきた。そして「日本人か?」と続けてきたので、そうだと答える。やっぱり、すぐにわかるんだね。

 

腹が減っていてよかった

 

食事を終えて、水を買うためにスーパーのエリアをウロウロする。対面販売のお菓子屋には「パステル・デ・ナタ」というタルトも売っている。野菜コーナーには山積みされたリンゴやら玉ねぎ、魚売り場は寿司屋のようなケースに一匹丸ごとの大きな魚、肉屋にももちろん、丸ごとの子牛らしき目玉のついたものが売られている。ベーコンもナイフでそいで量り売りしている。まったくの「市場」である。

 

野菜売り場

 

名物の干しダラ

 

燻製屋

 

何を買うわけでもないが、見ているだけでも楽しく感じた。一通り見た後、水を購入してセルフレジに並ぶ。あれ、エラーが出てしまった。どうしようかと思っていると、店員が来て対処してくれた。ここまでで「概ね、若い人は英語を理解できる」ことがわかり、少し安心して店を離れた。

 

帰りも坂道を上って下りていくのだが、この頃にはすっかり日も暮れていた。もちろん防犯上の問題は全くない。それどころか、当方のような東洋人の方が怪しいのだろう。現地の人に「なんだこいつ、後ろからついてきて」というような視線を浴びてしまった。

 

ホテルに戻り、風呂に入ってさっぱりして、今日のメモをつけて明日の計画を考える。それにしても眠いなぁ、そりゃそうだ。日本時間でいえば、すでに午前3時とか4時だ。さっさと寝ることにしよう。

 

本日の飛行距離 6,000海里

 

第3日目へ続く