管理人 海外へ行く
~ボスニア・ヘルツェゴビナ編~
2018年10月23日 ~ 2018年10月31日


セントレアのR/W 36に着陸

10月30日(火)
第8日目

1.目を覚ませば

6時間ぐらいして目が覚める。日本時間では6時前だから、生活リズムを整えるのはちょうどよい。モニターを確認すると、モンゴル上空42,000フィートを500ノットで航行中ということだ。機内は湿度が極端に低いので喉も渇く。、トイレに行きがてら、後方のギャレーで飲み物とおにぎりをもらってくる。まあ、コンビニのおにぎりなんだけど、何せ高度12,000mのおにぎりだから、味が違う?

おやつを食べてから、もう少しウトウトしていると、明かりがつけられて朝食の準備が始まる。ブラインドを開けてみると、空は晴れ渡りまぶしい。ちょうど沿海州付近を通過していて、ロシアの領土から日本海に入るところだ。


日本海上空にて

景色を楽しんでいると、朝飯が配膳される。きのこのスクランブルエッグだ。いよいよ日本に帰ってきたのか、うれしいのか、残念なのか、複雑な気持ちになる。繰り返しになるが、仕事をしなければ次はない。でも、仕事は面倒だ。人間とは、かくも勝手な生き物なのだよ。


今日の朝飯

食事を終えると、機はすでに若狭湾から福井県に入ってきて、高度を下げている。成田から帰る時は友人が住む富士市上空から浜松辺りを通り、三河湾上空で旋回するし、香港から戻る時は紀伊半島西岸に沿って北上してくるのだが、こちらから来るのは初めてだ。

琵琶湖周辺を10,000フィートぐらいで通過し、さらに高度を下げていくと、雲を抜けて鈴鹿市辺りを通過する。あれは新名神かな。

さらに、松阪辺りで大きく左旋回する。今日はR/W36に着陸となるようだ。この辺りで、床下からガシャガシャとギアダウンの音がする。


左旋回で

内海辺りが見えたなと思うと、あっという間に着陸となる。8時30分過ぎだから、ほぼ定刻だ。逆噴射やブレーキも緩い感じで、これがA340の特徴なんだろう。ああ、ついに帰ってきてしまったか。

管制塔が見える辺りで誘導路に入り、南向きに進んで国際線ターミナルの方へ向かう。セントレアは秋晴れで、気持ちが良い。今日の沖止めスポットには、タイ国際航空のA350-900やエアアジアのA320他数機が見え、滑走路からはSF機などが次々に離陸していく。この時間は出発・到着共にラッシュであるようだ。

こうして、隣のヴェトナム航空の787型機を見ながら。ゆっくりと18番スポットに入る。これで俺の休暇も終わりか。


18番スポットにて

周囲の人たちは慌ただしく降機していくが、俺は焦ることもないので、名残惜しく床下カーゴの作業を見る。これが終わらないと、自分の荷物を受け取ることはできないのだから、焦っても仕方ないからね。

2.降機

いい加減最後の乗客になったので、客室乗務員さんにお礼を述べ、また、搭乗橋でD-AIFD機にお礼を言って、入国審査に進む。セントレアでも自動化ゲートがあり、ここであっさりと入国できる。しかし、スタンプを押してもらえないのは残念だ。え、頼めば押してくれるの?じゃあ押してもらうよ。スタンプが必要な理由?そんなもの「趣味」意外何ものでもないのだが、一応「会社に報告の義務がある」と適当な理由で押してもらう。

次に荷物だが、ほとんど最後の乗客として降機したからか、ちょうど荷物が出始めてきたようだ。やっぱりこのくらいでちょうど良いのさ。それにしても、いつものようになかなか荷物が出てこないのは、エコノミーの安い券で乗っているからだろうか。いや、ただ単に早めにチェックインしたからだろう。それにしても、この時間は心臓に悪い。ダカールの帰りに、成田でロストバゲッジになったあの思い出が蘇るからだ。しかし、ああいう出来事が思い出になるものだ、ということもまた事実である。

おや、犬を連れた係員が回ってくるぞ。これが麻薬探知犬かぁ。「訓練されていますので、大丈夫です」ってそりゃそうだ。犬は一人一人鼻を近づけて検査していく。吠えられたらいやだなと思うが、やましいものは何も持っていないので、恐れることはない。

ほとんど最後にスーツケースを拾い、税関を通過する。もちろん、何ももっていないので、堂々と中を検査してもらう。

すりガラスの自動扉が開くと制限エリア外となり、そこは大勢の迎え客で賑わっている。もちろん、当方に迎えはいないので、そのまま電車の駅へ向かう。いつもなら例の従兄の息子に会っていくところだが、事前連絡をしていないので、今日は素通りしよう。

電車に乗ると、一気に現実に引き戻される。ああ、ここは日本の地元だ。帰ってきてしまったのか。ホッとしたような、残念なような。

3.あとがき

こうして、一旦実家寄って、土産を置いてから自宅アパートに戻る。ほんの1週間空けたアパートだが、自分の家ではないような気がする。しかし、ここが当方の活動の拠点であり、生活の場なのだ。成田空港やサラエボはほんの一瞬の非日常だったと改めて思う。

翌日からいつものように出勤し、時間に追われた生活に戻る。ほんの昨日までドイツにいたなんて、全く想像できない。日常に戻るのはアッという間なのだ。

そんな日々に追われていると、友人からエアメール到着の連絡が入ってくる。概ね1週間ぐらいあれば日本に届くのだが、今回は1人だけ届かなかった人がいる。ええー、何で?と思い、職務の特権を利用して探りを入れてみる。「そんなものは見なかったよ」と担当の人は言っていたので、ボスニアを出られなかったのかもしれないね。

さて、今回の旅はこれといって大きな出来事はなかった。もちろん、そんなことがしょっちゅうあっては困るのだが、常々言っているように、ハプニングは特に思い出に残りやすいものだ。今回は初日の成田空港でのんびりしすぎて、搭乗時間ぎりぎりで少し急いだこと。そしてサラエボ到着後、タクシーでふっかけられたこと。あと、ウィーンでゲートのある階を間違えて、ヒヤリとしたことぐらいだろうか。

もちろん、思い出はそれだけでははい。1984年にテレビで何となく見ていた、あのオリンピックの会場を見たり、そこらじゅうに残る内戦の跡を見て恐怖を覚えたり、世界史の教科書に載っていたサラエボ事件の現場に立ったり、数えきれないほどの出来事があった。

特に、第二次大戦後最悪の紛争と言われている、内戦の現場を見て回ったことがとても印象的というか、考えさせられた。幾度か記載した通り、また掲載した写真からもわかるように、サラエボは様々な民族が共存している街だ。ここにセルビア人とボスニア人の境界線を引こうとしたことが、あの内戦に発展したわけなのだが、当時大学生だった自分には「なぜいがみあうのか」が全く理解できなかった。もちろん、今でもそれほどわかっと言えるものでもないのだが、ほぼ単一民族国家にいる人が多民族国家に行くと、少しその雰囲気を感じることがあるのだ。

あと、食事が美味しかったなぁ。煮込み料理が特に良かったので、同じ店にほぼ毎日通ったことは記載した通りだ。もちろん、日本の食べ物はおいしいけど、年々安っぽくなっていく気がする。何回も言っているように「パン」がその最たる例だ。ヨーロッパ他外国で食べるパンがパンだとすると、日本のパンって一体何なんだろうか。「パンらしき食べ物」と言わざるを得ないのかなぁ。そう思いつつ、朝はその「パンらしき食べ物」を食べて出勤している。

また、ガラにもなく、カフェに行ってはコーヒーを飲んだね。別に何をするわけでもないけど、ああいう時間が持てるのは旅ならではだ。


ボスニアコーヒーをよく飲んだな

いろいろ思う所がありますが、この辺りにして旅行記を終えようと思う。長い間のお付き合い、ありがとうございました。そして、また次の旅でお会いしましょう。

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