北海道紀行3(2008年8月13日〜8月23日)

 

フェリー後方のデッキでくつろぐ管理人

 

0.-1日目(8月13日)

 

さてさて、三回目の渡道を6月に決定し、フェリーの切符購入、更新が必要な、また新規の備品調達とこつこつ準備を進めていよいよお盆休み直前。準備万端かと思われたが、ここにきていきなり黄信号が点灯!というのも、持病の扁桃腺が左右から勢力を増しており、確実に体がえらくなってきているではないか。というわけで、いつもの耳鼻科を受診し治療をしてもらう。今回は医者も「早く治るから」と即座に抗生剤とビタミン類の点滴をブスっと一発。当然ジムのトレーニングは中止して安静に。ただ、仕事は長期休みをもらう都合上、通常通りに出勤する。

そんなこんなで、出発当日の水曜にはすっかりと調子を取り戻して、何事もなかったように出発することができた。やれやれ、冷や汗ものだ。

 

当日は天気も良く猛烈に暑い日であったが、事前に準備しておいた荷物をTDM号に搭載し出発進行。因みにTDM号の渡道は二回目であり、一機種二回の渡道は管理人の二輪史上初の出来事であると追記しておこう。

東名高速名古屋I.C.から名神高速へとなだれ込み、大垣付近ので新幹線と併走。ここでZZRと新幹線が対決すれば「カワサキ重工頂上対決」という先輩の言葉を思い出しつつ、米原J.C.へ。

おっと、ここで今回の秘密兵器?を紹介しよう。メモ帳だ。ところで、管理人はこのページ設置の目的を「旅の備忘録」とし、作成したものをついでにWEB上で公開するという位置付けとしている。備忘録を作成するにはメモが必要だ。もっとも自分の記憶装置がしっかりしているならば、そのような物は必要ないが、管理人の物は全くしっかりしていないわけだ。

 

米原J.C.からは北陸道になり、磁方位もほぼ360度となる。目の前にある北極星が北の大地への想いを増幅してくれ、気分も盛り上がってくる。また、このころになるとぎこちなかったバイクの操作も滑らかにこなすことができるようになってきた。

敦賀I.C.にて有料道を離れ、フェリー乗り場へと向う。事前に確認していたので、2年前のような「到着までに必要な時間の算出間違い」や「降りるI.C.間違い」などは犯さない。あの時は本当に焦ってしまったし、やや危険な局面にも遭遇した。同胞のR1-Z氏にも申し訳ないことをしたと思うが、今や昔の出来事。懐かしく思い出され、笑えてくるから不思議なものだ。

 

そんなことを考えつつフェリー乗り場に到着すると、既に自転車や駐車してある数台のバイクが目に入ってくる。フェリー出航までには4時間程あるので、それらのオーナーはどこかへ行っているようだ。

今日(正確には明日)乗船するフェリー「すいせん」は既に入港しており、トレーラーの頭が頻繁に出入りを繰り返している。驚いたことは、フェリーの後方、車両甲板入り口の高さとトレーラーのそれがかなり近いことだ。タラップから少々乱暴にフェリーに出入りしているので、当たりはしないかと心配したが、当然そのようなことはなかった。

 

まずは乗船手続きを行う。夜10時近いが、若い女性の係員がにこやかに応対してくれた。いままで二輪を運転していたので思わず「萌え」というところであろうか。ここでは旅行代理店で事前に購入しておいたクーポン券と、往復の乗船券を交換してもらうのであるが、旅行代理店が「往復割引」を忘れていたことが判明。結局不乗船証明書なるものを発行してもらい、後日代理店に出向いて支払い超過分を払い戻してもらうこととなった。どうやら、旅行代理店が盆期間中の往復割引の扱いを間違えていたようだ。管理人の場合、出発がお盆期間中であるが、帰りがお盆期間外なので帰りのみ割引が適用されるようだ。

 

不乗船証明書(赤の下線は管理人加工)

 

親切なフェリー会社の応対でいささか気分が良くなった管理人であったが、どうも落ち着かない。しまった夕食を忘れていた。既にツーリングハイ状態に陥っていることを自覚し、かつ今後のツーリングの安全を再認識したわけだが、敦賀港の周りには店は無い。仕方ないのでターミナルの喫茶店でカレーライスを食べてごまかしておいた。尚、管理人はコンビニの弁当はめったに食べない。フェリー内のレストランで豪勢な朝飯を食う予定だ。酒は飲まないし、菓子も食わないので、そんなに痛手ではない。しっかりと栄養を摂取してツーリングに臨んでいく所存である。

 

バイクを乗船口まで移動させてのんびりとくつろぐ。その間、続々とバイクがやってきた。特筆すべきはNV750である。ゴテゴテとステッカーが貼ってあり、さも年季が入っているように見える。珍しいので良く観察しているとタイヤは純正品と思しき古いもので、山がたっぷり残っているし、距離もさほどいっていなかった、どうやらあまり使用されていない機体のようだ。フラフラとしていると豊橋ナンバーのF650ダカールの方と目が合い、挨拶をして少々話をした。今回の渡道の日程を尋ねてみると、帰りも管理人と同じフェリーのようだ。また、ダカールは冷却水が漏れ気味なので心配だと言う。そうすると彼は唐突に「携帯型のGPSデータ記録装置」を見せてくれた。丁度カメラの35mmフィルム位の大きさで、なんと10万プロットを記録できるそうだ。通常の走行なら10日弱はいけるらしい。電源は単三電池ということだ。今や常識なのであろうが、管理人は超アナログ人間なので大いに驚いてしまった。いや、アナログ人間でも「なんとなくアナログ」よりも、「積極的アナログ」人間を標榜したいので、今後勉強をしていく必要があろう。しかし、林道探索などでこのような装置は大いに活躍することは間違いない。帰還したら購入検討か?

 

本日の走行 120km

1.1日目(8月14日)

 

乗船開始が案内されたので、慎重にバイクを進める。いつもながらにタラップが怖いのだよ。係員の指示により、バイクを停止、ギアを入れて荷物をバイクから降し、船の荷台に載せ,、船室へ向う。おっと、その前に船室を二等寝台に変更をしておこう。風邪は完治しているが、気になるので少しでも体力を温存しておこうという作戦である(いつもながらにおおげさだ)。

 

車両甲板にて、固定されるバイクたち

 

船室変更も終わり、寝台にてくつろぐ・・・前に風呂があった。フェリーの風呂は混みあうので、寝る前に入浴するなら乗船直後に浴室へ向うことが、ライダーの常識のようだ。浴室で体を洗っていると、続々とライダーと思しき人がやってくる。それ以外の方はやはり少ないようだ。この場はさっさと入浴を済ませて寝台に戻り、メモをつけて就寝した。

 

ああ、良く寝た。8:00ごろに起床し朝風呂に入る。管理人は風呂が大好きだ。既にフェリーは大海原に出ており、風呂の窓からは海しか見えない。天気も良いようだ。よくよく雲を見てみると、一定の高さで帯状の、やや背の高いものが見える。おそらく前線であろう。

風呂では疲れをとるためにコキコキと肩をまわしたり、腰を指圧したりしてマッタリと過ごす。そんなに大した仕事をしているわけではないのだが、普段の生活ではやはり時間に追われているのだなぁと再認識した。しかしここは旅の途中のフェリーの上、焦る必要など微塵もないわけだ。

 

さて、風呂で目を覚ましたら飯だ。朝からモリモリと食って体力をつけておきたい。故に1000円払って船内レストランを利用する。朝食はビュッフェ形式で、和風と洋風の料理が並んでいる。話は逸れるが、ジムに通うようになってからというもの、腹が減って仕方ない。この日も例外ではなく、グーグーと音を立てているので、軽く2人前を平らげてしまった。内容としては洋風にしてみたのだが、アスパラとベーコンのソテーが絶品であったと報告しておこう。また、朝の果物は金、ということでオレンジも大量に腹に詰めておいた。

 

朝食時の一コマ。ビールは飲んでませんよ。

 

腹が一杯になったら眠くなるのが人情というものだ。寝台で地図を眺めていたら寝てしまっていた。

 

再び目覚めた時刻は午後の12:00ごろであった。朝飯を大量に食べてしまったので昼飯は見送ることとし、走行計画を立てようと思うが、まずは今晩の寝床を確保する事の方が優先だ。天気が良いならばテントを張ることもヤブサカではないが、どうも天気が下り坂であるようだ。仕方ないので、千歳空港近くのライダーハウス、「ライダーハウスちとせ」に予約を入れておいた。それにしても船体が動揺しているぞ。夏の日本海は基本的には穏やかであるが、この日は低気圧があり、その影響を受けていると船内放送が流れていた。暇なので船内を回ろうと思っていたが、廊下を真っ直ぐ歩けないほど船体が揺れているので、それを理由にまた寝てしまった。

 

再び起きたのは15時頃で、丁度船内放送で龍飛岬沖を航行中という旨が流れていた。ここまで来れば北海道は目前である。デッキに出てみると天気は悪いが、陸が見える。おお、いよいよかと高揚する気分を抑えられない。とか言っているくせにまた寝てしまった。

17時30分頃に起きて、軽く晩飯を食べた後、前出のダカール氏、TT‐R氏などと談笑して苫小牧東港到着を待つ。

ところで、最近のライダーが電子機器を活用していることは前述の通りだが、TT-R氏(南区在住だそうです)はWillcomのキーボードのついた携帯電話機を所有しており、かつ任天堂DSにGPSアンテナを接続し、ナビ機として用いていらした。地図はこれ以外に0円マップのポケット版のみというから驚きだ。前者は当然の如くパソコンに近い使用方法が可能であるらしい(電話機としてはイマイチということだ)。DSの方はなかなか正確な地図を表示していた。うーん、マップルとコンパス、紙切れにメモを記し貼り付けるなんて、竿竹屋でないが20年前のやり方だろう。

しかし、管理人は選んでこうしているので、特に不自由は感じていないのであった。

 

いよいよフェリーが苫小牧東港に接岸した。最初に四輪の乗用車が下船し、その後が二輪車の番なので、30分から1時間は待つこととなるのは常識だ。皆ロビーで用意を整えて案内放送を待つ。別に船室で待っていればよいのだが、はやる気持ちを押さえられないというところだろう。

いよいよ二輪の下船が指示されたので車両甲板へ降り、荷物をマシンに搭載、準備が完了した者から順にタラップを降りていく。2年ぶりに北海道に上陸だ。やはり気温も湿度も低く、サラリとしている。なんかこの瞬間がドキドキするね。ひとまずフェリーの写真を撮ったり、上陸記念にまた一枚と興奮気味にカメラのシャッターを押す。

 

 

新日本海フェリー所属のすいせん

(全長が190m以上もあり、写真に収まらない)

 

北海道に降り立ったのはよいが、この苫小牧東港は真っ暗で何も無い、寂しい港だ。どっちに行けば千歳市なのかもわからないが、そこはお得意の計器飛行で国道235号へ出る。そこからはheading330で進み、国道36号へ乗り換えて千歳空港へ向う。さっそく国道は真っ直ぐな道であり、ひんやりとした空気がヘルメットの中に入ってくるではないか。ああ、北海道にやってきたと実感が沸いてきて、なにかジーンときた。

さて、今晩の宿、ちとせライダーハウスは自衛隊側の滑走路の方にあるらしい。まずは千歳の管制塔を左に見ながら進んでいく。丁度B767クラスの旅客機がファイナルアプローチにはいっているのが見えた。どうやら方向的には間違いないようだ。さらに国道を進んでいくと、街が途切れてしまった。どうやら行き過ぎたようで、元来た道をもどり、コンビニで再度地図を確認しようと思ったら、TT-R氏が店内にいるところを発見。氏も同じライダーハウスに宿泊するとかおっしゃっていたので、すかさず近寄り場所を尋ねた。するとすぐそばであるが、わかりにくいということで案内をしていただいた。

 

こうしてライダーハウスに到着したわけだが、既に10台程のバイクがカバーをかけた状態で止まっている。カバーは宿側で用意していただいているものであった。ちょうど明日は天気が悪いようなので、愛車を雨から保護できるというわけだ。にくいサービスである。

荷物を降ろしてライダーハウスに入ると、オーナーのおばちゃんが出迎えてくれた。ここでは料金が前払いなので、まずこちらから1000円を支払っておいた。部屋であるが、今日は女性がいないので女性部屋をTT-R氏と2名で使用してよいとのこと、4畳半を二名とはなんとも有難い話である。ライダーハウスは雑魚寝が基本であるので、これは得した気分だ。

 

ちとせライダーハウスにて、TT-R氏と共に

 

さっそく先住民の方々に顔見世をする。どの方も非常に「濃い」雰囲気を醸し出している。結構強烈な方が集まるライハのようだ。ちょっと失敗か?また、おばちゃんも口数がやけに多い。うーん、まあ仕方ないね。管理人の考えでは、オーナーはもう少し全体の様子を監視するような態度に徹する方が良いと思う。なぜか、旅の主役はライダーであるからだ。低料金で泊めていただいているので文句は言うまい。親切なオーナーであることは間違いないので、良しとしよう。ところで、このオーナーおばちゃん、この地域で行われる、ねぶた祭りの山車に飾る巨大提灯の図柄を描いているそうだ。そう言って実物を出してきて、披露していただいた。

 

おばちゃん作の図柄

 

説明によると、顔の凹凸などには「溶かしたロウ」を塗ってアクセントをつけるそうだ。そうすると提灯の光に照らされて浮き出て見えるそうだ。この写真でも、目鼻立ちが浮き上がって見えるところがお解りいただけるものと思う。そしてこのロウで描く部分は一発で決めないと、ロウが濁ってしまい、きれいに浮き出てこないそうだ。

この後は他の方と交流会になったが、話が濃すぎてあまり理解できなかったと告白しよう。とりあえずその様子を写真に撮って、寝ることとした。ツーリングに夜更かしは禁物である。二年前もそれで失敗してしまったしね。

 

本日の走行 30km

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