シーズンイン!リハビリと技量維持合宿?

(第一日目)

 

2010年3月21日〜22日

 

鬼才の画家と共に

管理人(左)とR1-Z氏(右)

 

1.はじめに

 

2009年末〜2010年2月上旬まではかなり寒かったように思う。気象庁の発表では、「寒暖の差が激しかった」が「暖冬」とうことであったわけだが、何回か積雪もあり、最高気温が5℃前後なんてこともざらであった。やはり数値のみで判断することはあまり良いとはいえないだろう。

 

そのようなわけで、1月と2月の走行時間は40時間程度と極端に少なく、ライディングの感覚が薄れてしまった。まあ、だいたい冬はワインディング路を走行する機会が少ないので、春の訪れと共にリハビリと技量維持訓練が必要なことは言うまでも無い。ということで、管理人が勤務する会社の貸し別荘「シマハ」へ行く「リハビリ&技量維持合宿ツーリング」を開催した次第だ。

 

参加者はWRT連合会のメンバーを予定していたが、W氏が仕事の都合で欠席となってしまった。次回またお手隙の時にでも。また、R1-Z氏も都合で20日(土)は無理ということだったので、3連休のうちの21日〜22日が開催日となった。

 

 

WRT連合会は義務感を持っていただく必要は全くございません。

義務感の発生する計画は絶対に立案しません。

 

2.集合・出発

 

それにしても、ここのとこ雨続きだ。菜種梅雨の様相を呈しており、週間予報もあまり好ましいものではなかった。これは訓練は中止かと思っていたが、当日午前には雨もあがり、晴れることは晴れた。ツイてるじゃんと思っていたが、春の嵐ということでかなりの強風が吹いていた。場所によっては30m/秒程度のところもあったようで、大きな被害も出ていたようだ。まあ、走れないことはないし、風も徐々におさまる傾向なので、午後から予定通りに2輪で出かけることに決定。集合場所はいつものM山13時30分と相成った。ただ、今回はR/W09の松坂屋ストア前ではなく、27、つまりは西向きのザ丼前とした。

 

さて、この時期いつも服装で失敗することが多い。大抵の場合は天候を甘く見てしまい、薄着になってしまい寒さに耐えられず、モモヒキを現地調達するという失態を演ずることが多かった。しかし、「暑けりゃ脱げばよい」の発想を基本として服装を整えたおかげか、最初はちょっと暑いかとも思ったが、風が強いせいで寒く感ずるようになり丁度よかった。アホでも多少学習したようだ。

 

管理人が到着して、程なくR1-Z氏もやって来た。氏は業務の都合上、かなり忙しかったようで、当方同様にあまり時間数を稼げていないとのこと。ただしっかりとタイヤは新品のα10に交換されており、今回の訓練に対するやる気を見せていた。因みにいつもはツーリング寄りのタイヤを選択しているのだが、今回は思い切りスポーツ志向のタイヤにされたようだ。

 

走行前ブリーフィングで流鏑馬(やぶさめ)と動物保護団体の抗議で揺れる、多度経由農道ルートのフライトプランを提出、承認された。またコントロールについては、街中はスペシャリストのR1-Z氏が先導機長、市街地を抜けたら当方がコントロールという形でいごく、ということで決定し、出発した。

 

3.プラン変更は当たり前

 

西へ向かう場合は街中を走行する必要があるので、先導機長はR1-Z氏にお願いをする。別項にも記載したように、氏はバイトで街中を走り、タイヤの配達をしていたことがある。それだけに車線変更のタイミング、信号の読みは上手いし、複雑な道の繋がりもばっちり記憶されている。故にスイスイと魚が泳ぐが如く都市部を走り抜け、いつの間にか名古屋駅前を通過、市街地を抜けていた。毎度ながら氏の走りには驚くばかりだ。もっとも、氏はワインディングでも鋭い走りをしていることは言うまでもなかろう。

 

こうして、外堀通りをheading270で走行して、庄内川を渡る。そして東名阪道の甚目寺I.C.を通過するのだが、この道路の正式名称は県道79号線ということらしい。ここからはheading180に針路を変更して、細かい道を織り交ぜつつ東名阪道沿いの道を目指す。どうやら、R1-Z氏お得意の高架下の道で次々に現れる市街地を回避しようという作戦開始だ。

 

それにしてもこの辺りはペースが上がらず、移動に時間がかかる。既に1時間以上走行しているが、実際には30km程しか進んでいない。このままでは到着が遅くなってしまう。一応の目標は18時頃着としている。これは明るい内にという希望から割り出した時刻である。明るい内に到着することがそんなに重要か?その通りだよ、ヤマトの諸君。というのも、オートバイの夜間走行には、安全性という観点から見ると、利点が無いからだ。ワインディングを楽しむにしても、街中を通過するにしても、明るいのと暗いのでは道路状況の判断要素となる視認性、周りから認識される対視認性が共に大きく落ちる=安全性が著しく低下すると思われるからだ。さらに、暗くなることにより、ライダー自身の心理的萎縮も避けられない。不思議なもので、交差点通過時などでは、ライダーの気持ちが強いと右折車は割り込みを躊躇するようなことが多い(あくまでも個人的な感覚で、統計的資料は無いと思われる)ように感ずるが、そういう経験をされた方は多々おられるのではなかろうか。ライダーが日没で心細く感ずることは、意外な形で影響を及ぼすものなのかもしれない。

 

ということで、蟹江I.C.横のコンビニで一度休息を入れ、フライトプランの変更を検討する。状況の進捗に従ってプランを変更するとはいかにも場当たり的だと批判を浴びそうだが、我々は趣味でツーリングというちょっとした旅行を楽しんでいるわけである。仕事でなはないんだから、義務は発生しないので、気楽に楽しみたいものだ。

 

また、ナビがあればそんなことしなくても楽できる、という発言も聴こえてきそうだが、それもちょっと違う。というのも、小説家の斉藤純氏も著作「オートバイ・ライフ」のなかで「・・・オートバイに乗ることにより、野生に目覚める・・・」という記述をしている。また、「オートバイに乗ることは知の営み」とも。この記述を管理人的に咀嚼し、やや具体的に表現すると、頭で考え、方向感覚という野生のひらめきと地図から得る情報を組み合わせ、ルートを選択するというところだろう。もちろんオートバイに乗るためには、ある程度の体力も必要だ。さらに、先に記載したように一定の精神力のようなものも求められる。

 

こういった第六感的な感覚を刺激されることは、ある種快感であることは言うまでもなかろう。旨い飯を食う、眠くなったらウトウトする、魅力的異性に出会う、これらが嫌いな方はまずいない。 もともと人間には方向感覚などの本能が備わっているのだから、それを機械にとって代わられるとはあまりにも侮辱的ではなかろうか。それじゃあ効率も落ちるし、迷うこともある。問題ない。趣味ですから。さらに付け加えるとオートバイという輸送機械を操縦するには、バランス感覚、タイヤと路面の接地感覚など多数の感覚も刺激される。

 

先述の斉藤氏も同著書の中で「寄り道した場所が印象に残ることも多々ある」と述べている。オートバイでのツーリング、楽しくない訳がないよね。

 

4.高速かぁ

 

ここからは変更したプランで走行を続けていく。また先導機長は当方に交代でI have control.ひとまず蟹江I.C.から東名阪道を西向きに乗り、エンジン内に付着したガソリンの燃えカスを吹っ飛ばそう。これが何を意味するかは各読者のご想像に任せるとして、バイクの各部をさりげなくチェックしておく。タイヤの空気圧、チェーンの張りは今日出発前に調整しておいたし、エンジンオイルもまだ交換目安62,000kmまでは1,000km以上ある。ステアリングステムも昨年夏に修理しているし、フォークも同様だ。ただ、フロントタイヤの溝がかなり浅くなってきており、ちょっと路面状況に引きずられて振られることがある。さらに横風も相まって少々怖い。

 

しかし、そこはフロントタイヤ18インチ、長い脚のTDMである。安定感は抜群だ。高速というと大抵「俺が一番」的な走りをする者がいることは珍しくないが、そういう車にちょっとくっついていくとペースも上がって楽ができる。大体の場合、追い越し車線を法定速度付近(ということにしておこう)で走行していると、後方から明らかに速度の違う車両が来る。ミラー越しで確認できるのだから、相当速いということなんだろうが、こういった際、当方等はひとまず走行車線に戻る。そしてその車両が抜き去るその時、加速しながら背後に回りこむ。この瞬間においては、排気量や型に関わらず、2輪車の加速性能を例外なく体感できる。そしてそのまま車間を置いてくっついていく。

 

ミラーを確認して、R1-Z氏の位置を確かめるが、珍しくかなり後方にいる。いつもならピタリと狼煙走法で追撃してくるのだけど、やはり激務で消耗しているのだろう。もちろん無理は良くないので、一旦コバンザメ走法を中断して通常走行に戻る。

 

四日市付近の上り車線の渋滞を横目に走行していると雨が落ちてきた。どうやら、鈴鹿山脈から吹き降りてくる風に乗ってきているようだ。俗に言う時雨だなぁ。対向車も濡れていないから、大雨ではないようだ。心配はなかろう。

 

そして亀山辺りである重大なことに気がついた。「別荘の鍵って持ってきたか?げ、忘れた」俺は一体何をするために志摩へ向けて走行しているんだ。鍵を忘れるとは何事だ。一気に自己嫌悪に襲われるが、ここは冷静に対処方法を考えなければ。とりあえず非常事態を宣言。Affirmativeと自らの中で返答。さてどうするか。

 

戻るとすると、さっき見てきた渋滞の中を走行する必要がある。一般道の1号線も23号線も丁度夕方で混雑する。戻るのは却下。仕方ない、現地の管理者に連絡しよう。あ、電話番号知らない。そうだ、オークラ氏が知っている筈だ。頭の中でこんな思考がグルグルと回っている状態だし、また雨を一旦やり過ごす為に亀山スマートS.A.へ滑り込んだ。

 

5.非常事態

 

イレギュラーの休息であるが、仕方ない。R1-Z氏に事情を説明、また謝罪してオークラ氏に電話する。すると、氏はあっさりと「番号をメールで

送るわ」と快く回答してくれた。大感謝の方向性で、再びお礼を述べた。 

 

電話番号を入手したので、早速電話してみる。が、いつものように留守電になっている。これはいつものことなので、時間をおいてかけなおすこと数回、やっとつながった。カクカクシカジカと事情を話すと、「管理者本人が出かけているので、かけなおす」とのことだった。やれやれ、これで最悪の事態だけは防ぐことができた。さて、R1-Z氏には平謝りであるが、「けっこうそういうことってあるもんだよ」と気軽に流していただいた。まったく申し訳ない。

 

これで問題は解決したが、天候の回復が思わしくない。体も冷えてしまったので、雨雲の動きを観察しつつ温かい飲み物で疲れを癒す。雨雲は北西方向からどんどんと流れてくるが、我々が向かう方向は雲が切れている。少し我慢すればなんとかなりそうだ。因みに二人とも「雨は降らない」という解釈で、カッパは持参していない。

 

6.さらに南下

 

ひとまず落ち着いたので、エンジン始動を要求し、許可を得て走行を再開する。走り出して本線に合流するが、路面が少し濡れている。丁度降り始めに臭う程度である。しかし、暫く走行していると雨は上がり、路面も乾いてくる。これはよかった、やはり予想通りに天候も回復してきた。そして、ちょっとバトルを楽しんだ後、紀勢道の分岐に到着した。この辺りまで来ると、雨が降った形跡が無かったので、亀山辺りの山間部のみ天候が悪かったようだ。

 

この後は伊勢I.C.まで走行していくが、時刻が既に17時近くになっている。しかも急に寒くなってきているので、今日はまたまたプラン変更が必要だなと考えていたら、覆面パトカーにやられていた車両を発見。危ない危ない。確かに、この辺りは交通量も少なく、かつ見通しの良い直線が続く区間だ。こういうところは比較的安全なはずだが、そこを取り締まるというその考えが解らない。それは警察殿の常識であって、理論的に考える我々庶民の感覚とはかけ離れているものだ。まあ国家権力をふりかざしている警察様はお偉いので、仕方が無いのだろう。

 

こうして伊勢I.Cで国道23号線に合流する。するとそこには丁度ジャスコがあるので、中に入ってフードコートで作戦会議をすることに。ついでに冷えた体を温めようとスガキヤのラーメンを食する。これがけっこうイケるんですよ。また、この際に別荘管理人から電話も入り、現地で鍵を開けてくれるとのことであった。

 

さて、この先のルートであるが、伊勢志摩スカイラインを抜けてから、パッパッパパッパ、パールロード(金井克子風に)を通る予定であった。しかし、暗くなっては楽しみも半減なので、伊勢神宮をかすめてから県道32号、61号線でパルケエスパーニャや渡鹿野島等を左に見ながら、現地入りするプランに変更する。

 

それにしても、こういうスーパーのフードコートにはなぜか中高生がたまっている。いつの時代も変わらぬ光景だ。

 

7.現地入り

 

こうして再び走行を開始して、予定通りに県道32号を南下していく。ここは通り慣れた道で、適度なワインディングになっている。とここまではよかったが、その先、パルケエスパーニャが見えた辺りで県道32号線を逸脱してしまい、安乗崎の方まで行ってしまった。別に渡鹿野島へ行こうというわけではなく、マジで間違えてしまったのだよ。ひとまず月を見ながら方角を見定め、パルケエスパーニャが見える場所まで復帰。その後はパッパッパパッパ、パールロード(くどい)を通り、国道167号線へ合流。南下して、懸案の県道36号線に乗り換えて、やっと現地着。丁度薄明かりの残る18時過ぎになってしまった。

 

こうして、ここで管理人さんに電話をすると、いかにも海女ですという風格のおばさんが、手には畑で収穫したネギ、海で採れたわかめを持って登場された。鍵さえ忘れなければこんなこともなかったので、怪我の功名ということで有難く頂戴したことは言うまでもない。ところで、この管理人のおばさんであるが、当方の名前を覚えておられた。というのも、しばしばこの施設を利用しているからだ。特に最近は利用者も少ないそうで、そんな中、チョイチョイ訪れているものだから、覚えられても不思議はない。

 

この後はいつもの「巴寿司」へ向かい、うまい寿司を堪能するが、相変わらず店主のオヤジは怖い。オークラ氏でもそのように感ずるのだから、余程のことだろう。さらに、店がガラガラで、いかにも開店休業状態のところに我々が来たものだから、仕方ねぇなぁという様子で寿司を握っていたことが印象的だ。でも寿司は旨かった。さらに、幸いにもこのあと客が数組やってきたので、たまたま閑散時間だっただけだと判明した。

 

腹が一杯になったので買い物をし、後は風呂に入ってウダウダするだけだ。本当は温泉に行きたかったが、今回も果たせず。一体いつになったら、地元の温泉に入れるのか。そしていつものジムネタなどで笑いながら、夜は更けていく。

 

今日の走行 200km

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