2015年 夏の北海道ツーリング

 

2015年 7月29日~8月8日

フェリーアカシアのロビーにて

 

 

7月30日(1日目)

 

1.フェリー上にて(午前)

 

朝の船内放送で目が覚めて、7時40分に起床する、昨日購入したカロリーメイトを食べて水分を補給する。先週から食欲が落ちていて、あまり腹が減ったという状態ではなかったのだが、ツーリングは体力勝負なので何とか食べておくことにした。

 

それにしても体がだるいので、そのままゴロゴロしていたらまた眠ってしまった。再び目が覚めたのは10時過ぎで、ビンゴ大会があるという船内放送であった。今まで何回か参加したことがあるのだが、これが一回も景品にたどり着いたことがない。ただ、参加しないことには何も当たらない。期待せずに後方デッキへ行ってみた。

 

既に人が集まってはいるが、まだ職員は準備中と言う様子である。まあ、ちょっと待っていれば始まるだろうと立っていると、一人の背の高い外国人がやってきた。たぶんヨーロッパ系の方だろうと思っていると、まだビンゴが始まらないとわかり引き上げていった。

 

それから10分ぐらい過ぎて、カードの配布が始まった。ちょうどその時に、さっきの外国人がやってきたので、今カードを配布しているよという旨助言しておいた。すると、ここで一気に距離が縮まって、いろいろと話してきた。こっちも暇だったので、何とか応戦?してみるが、どうも口頭表現は苦手である。もっとも、英語の運用能力そのものが、元々大したことがないことは言うまでもなかろう。

 

結局、リーチにもならないままビンゴは終了した。絵葉書ぐらいは当たってほしいのだが、その願いは今回もぶち壊された。

 

その後、この外国人氏との話を楽しむが、彼はアイルランド出身のデリーという名前だった。今回は、アレックスという友人と北海道を自転車で旅するそうだ。話をしていくうちに、当方の叔父、叔母、祖父母の戦争体験が話題になった。今年は戦後70年であり、おりしも日本では新案保法案が可決されたばかりだ。また、世界的にもそういう認識があるようで、実際の話を聞きたいということだった。

 

当HPでは機会がある毎にそれらの話題を掲載しており、ダブるものもあるが、いくつか紹介してみよう。まずは祖父の従軍体験であるが、彼は2回召集されている。1回目は日中戦争で南京へ、2回目は太平洋戦争で南方のフィリピン辺りへ派兵されたそうだ。そして、石工職人であった祖父は「工兵」という兵隊で、任務は部隊が進撃するための道や橋を整備することだった。

 

つまり、実際の戦闘が行われるその先で木を切ったり、地面をならしたりしていたってことだよ、ヤマトの諸君。当然であるが、戦争にありがちな危険な任務であったことは間違いない。傑作なのは、天皇陛下から賜った小さな日章旗を腰に差しているので「弾は当たらない」と教育されていたことだ。そんなわけないじゃん、事実その旗には弾が貫通した穴が2つ空いていたそうだ。おいおい、ちょっとでもズレていたら俺がこの世に生まれていないってことか。

 

さらに加えると、南京虐殺の写真も残されている。祖父がカメラを持っていたわけではないのでその入手経路はわかからないが、首が無い、手足が切られている、今まさに首がはねられようとしている、そういった写真が何十枚もあったな。管理人が小さい頃、叔父が見せてくれたのだ。

 

さらにその叔父であるが、焼夷弾を束ねていた(焼夷弾は束ねられた状態で投下され、途中でバラバラになって広範囲に落ちる)針金を工作に使いたくて、空襲後は拾って回ったそうだ。さらに、不発弾を分解したこともあると。ああ、恐ろしや。

 

また、祖母も銃後の家で危ない目に遭っている。戦争末期の空襲時に逃げる準備をしていたら、焼夷弾が屋根を突き破って畳に突き刺さったのだが、この際におでこに爆弾が接触したらしいのだ。「これがその時の傷だよ」とおでこを見せられたこともあるんだなぁ。まだよくわかっていなかったけど。

 

ただ、その焼夷弾は不発で、油が出てはきたものの火が付かずに終了となった。この時、2番目の叔母が慌てて、ものすごい重い下駄箱などを一人で家の外に出したそうだ。ただ、元に戻すことは一人ではできなくて、皆で移動させて「火事場のXX力」を知ったそうだ。

 

2.フェリーにて(午後)

 

そんなことを話していたら、昼になった。デリーは友人のアレックスと食事に行ったので、当方は風呂に入って寝台に戻った。そして、いつの間にかウトウトしてしまい、再び目が覚めたら15時を過ぎていた。水分補給をして、後方のオープンデッキでくつろいていたところ、再びデリーとアレックスがやってきて「Play cards?」「Sure, off course」と相成った。

 

トランプと言えば7並べだが、若い人たちは大富豪だそうである。もちろん、当方も知っているよ。ちょうど涼しくなってきたデッキで熱い戦いをするのだが、今回は当方のカード配布がとても運が良く、最初に貧民になっただけで済んだ。一方、デリーがかなり苦戦しており、アレックスがそれを上から見ていた。

 

18時にトランプもお開きになり、寝台に戻ってまたウトウト。19時30分頃に起きて、天気の確認をしておく。それによると明日は雨傾向であったが、その後は持ち直すとなっていた。明日さえ何とか凌げば、後は北海道晴れが待っているということか。そう考えただけでもウキウキしてしまい、なんだか落ち着かなくてウロウロしてしまう。全くの子供である。

 

下船前にアレックスとデリーと3人で記念撮影をする。実は、同じ部屋の通路を挟んだ向かいの寝台にいたとは、この時に発覚部屋。最近は一番格下の客室がツーリストAという寝台で、その寝台も2段ベッドではない。壁で区切られ、上下に配置された寝台である。通常の2段ベッドならば4人収容のところを2名収容にしているというわけだ。それ故にプライバシーが十分に確保されているので、上記アイルランド人達と同じ部屋とはわからなかったというわけだ。

 

左からアレックス、管理人、デリー

 

3.下船

 

今回はにわか友達と楽しく過ごすことができたので、フェリー上でも退屈しないで済んだ。お二人には感謝である。因みに、彼らは自転車で北海道を走るそうで、ニセコ経由で函館方面に向かうということだった。

 

こうして、2人とは握手をして別れ、当方は車両甲板でTDMと再会する。これから来週の金曜日まではこいつと濃密な時間を過ごすのだから、大事にしないといけない。タンクをポンポンと軽く叩いて、親切になったフェリー会社の係員の指示でタラップを下りていく。

 

通例ならここで「北海道の空気」を感じるのだが、今年は熱帯的な生暖かい風が吹いている。ちょっと違和感を持ちつつ最初の信号を左へ曲がり、川を渡ってから右折する。そして、次の交差点で県道17号線へ合流し磁方位300°で小樽の中心街方面へ走り出す。

 

小樽上陸後の楽しみは、回転寿司の「和楽」で食事をすることだ。すぐに着くと思ってゆっくりと進んでいくが、なかなか見えてこない。道を間違えたかと思った頃に、サンクスの向かい側に特徴的な建物が見えてきた。ああ、北海道に来ているので、地図の縮尺が本州とは違うんだった。風は温いが、地面はやっぱり北海道だ。

 

そんなことに関心しつつ和楽に入店すると、「すいません、本日オーダーストップとなりました」と。あー、しまった。21時までに入店しないといけなかったんだ。仕方ないなぁ、向かい側の「トッピー」に行くか、数軒先の「すいしざんまい」へ行くか。前者は2011年に行ったが、ちょっと安っぽかったので、今回は値は張るが後者へ行ってみよう。

 

それにしても暑いなぁ、そう思いながらヘルメットを取る。そしてエアコンの効いた店内へ入ると、「いらっしゃい」と威勢の良い職人さんのあいさつで歓迎される。

 

ここは回転寿司ではないので、単品で注文して握ってもらうか、おまかせの握りを頼むかを選択する。普段ならばおまかせといきたいところだが、梅雨明け後の暑さで少々バテ気味である。おまかせを完食できる自信がなかったので、単品でいかや生たこ、えんがわ、いくら、鉄火など定番のネタを注文しつつ、丁寧に握られたものを一貫づつ味わっていく。

 

そしてしばらくすると、隣の席に若い女性が一人でやってきた。店の職人さんが「バイクですか」とたずねた後、「こちらの方もバイクですよ」と話をこちらへ振ってきた。おお、いきなりかよ。俺が女性と話す時はあらかじめ台詞を用意しておくのだが、そんな暇はない。

 

そこで、バイクネタで日程や道程、気持ちが動いた時などをいろいろ聞いてみた。この方は初めてのバイク旅だったらしく、霧で視界が悪かったこと、旅の途中で知り合った同じ境遇の方とテントに泊まったこと、全てが初めての連続だったということだった。また、これから当方がのってきたフェリーに乗って、舞鶴へ帰るということだ。その表情には嬉しさや自信が見てとれたので、この方は「変態」ではなく、至極常識的な女性であるのだろう。

 

「お互いに気を付けて」と挨拶を交わし、1,500円程度を支払って店を出る。やっぱり暑いよなぁ、今年の小樽…。

 

4.渡り鳥哲也

 

腹も膨れたので、気持ちも落ち着いた。しかし、バイクには荷物が満載なので、気を抜かないように気を付けよう。また、今日の宿は少し急な坂の上にあるので、ここも気を付けていかないと。

 

県道17号線を磁方位300°で運河沿いに走行していく。街はぼんやりとガス灯のような明かりに照らされて、良い雰囲気である。また、居酒屋なんかも多数あり、まあまあ賑わっている。苫小牧東港だとこういう安心感が無いので、上陸時は小樽の方が好みである。若い女の子と話す機会が得られたりもするしな。

 

大きく道が左に曲がり、国道5号線に乗り換えて磁方位270°で進んでいく。ああそうだ、お金をおろしておこう。郵便局は閉まっているので、ATMのあるコンビニに寄る。ついでに朝に食べるこんにゃくゼリー、そして水分を購入しておかなくちゃ。

 

手数料を取られるので、フェリーに乗る前に現金を準備しておくべきだったか。まあ、明日以降は昼間に郵便局を利用するだけのことか。

 

こうして、トンネルを越えてコープのある信号の所を左折し、さらに坂を上っていけば今日の宿、渡り鳥哲也へ到着である。このネーミングは一度聞いたら忘れないので、非常に良いと思う。

 

TDMを止めて荷物を下し始めようと思ったら、女将さんが出てきて出迎えてくれた。今日は当方のみなので、ゆっくりできるよということだった。そいつはありがたい。前金で宿泊費の1,500円を支払い、荷物を部屋に入れて一息つく。すると、早速女将さんがやってきて、色々と北海道の近況などを親切に教えてくれた。それによると、やはり今年は蒸し暑いようである。しかし、1ヶ月前くらいまではかなり寒く、ストーブを使っていたそうだ。

 

また、今回ここに泊まるのは4回目なので、女将さんも「顔は見覚えがある」と当方を少しは覚えているようだ。それ故だろうか、明日は雨かもしれないので、昼までゆっくりしていっていいよということだった。これまたありがたいことだ。

 

しばらく女将さんと世間話をするが、なんだかほっとしてしまった。今までの当方だったら面倒だと思ったことだろうが、歳のせいだろう。人嫌いの当方だが、最近はそうでもなくなりつつあるのかもしれない。

 

こうして今日が終わっていく。昨年落石岬で、カラスにほじくられた銀マットと寝袋を用意し、天気図や雲の動きを確認してメモをつける。24時頃就寝。明日からは走るぞ!!!

 

本日の走行 10㎞

 

7月31日(2日目)