職業訓練校修了旅行

~コウノトリに会いに行こう~

 

2016年 6月1日~6月3日

 

出発時に自宅アパート前にて

(無職のプレッシャーで表情がさえない)

6月1日(1日目)

0.近況報告

 

管理人43歳、無職、教育も受けていない。いわゆるNEATというやつになってしまった。実は昨年12月から昨日まで職業訓練校で勉強をしていたのだが、それも終了してしまったのだ。もちろん就職活動はしていたのだが、予想に反してまったくダメである。それというのも、自分では「向いているかも」と思って受講していた機械設計科だが、実はとても苦手な分野だったことがわかってしまったのだ。

 

理由として、図面は絵であるが、絵を見ることがあまり得意ではなかったということ。もう一つは強度などの計算も苦手だったという2点だ。しかし、それは最初からわかっていたことなので、努力して克服しようと誓っていた。しかし、結果はそいういうレベルではなかったということだった。

 

管理人はしょっちゅう挫折しているが、この段階では精神的なダメージが大きい。しかし、学校が終わってしまってのだから失業給付金も同時に切れてしまう。この先どうすればよいのだろうか、暗中模索の日々だ。

 

1.出発から問題発生

 

しかし、実際に行動してみなければわからないこともあるし、嘆いていても何も始まらない。そこで一応最後まで訓練校へ通い、修了した記念ということでツーリングに出かけることにした。実は5月の連休は、上記のようにかなり落ち込んでいたので何もできなかったのだ。今回はその代わりということである。

 

当日は朝6時30分頃に起床して、旅行を決行できる精神状態かどうかを自己診断してみる。もちろん、そんなに良いというわけではないが、先日の山道周遊ツーリングで「出かければ案外気分が晴れる」ということもわかっていたので、無理のない範囲で行くことにした。

 

昨日用意しておいた、荷物を入れたリアバッグをTDMに装着する。これは昔購入したのだが、あまり使用していなかったものだ。しかし、今回はキャンプではなく、安い宿を使ってのツーリングとしているので、荷物はこのぐらいのバッグでちょうどよい。あとは地図を入れるタンクバッグも忘れないようにする。あ、昨日炊いたご飯が結構残っているので、おにぎりにして持っていくことにしたことも補記しておこう。

 

いつもの記念撮影をして、7時30分過ぎに出発する。冒頭の写真がそれだが、不安に満ちたさえない表情であることがおわかりいただけることと思う。さて、まずは燃料を搭載しなければならないので、いつものスタンドへ向かう。

 

入れにくいなぁと思いながら燃料を入れていると、どんどん油面が上がってくるのに、ノズルからもどんどんガソリンが出てくる。このスタンドは最近給油機を更新したらしく、ノズルが短くなってとても使いにくくなった。そのくせ、給油中に握りから手を離してもよいようにストッパーが付いている。つまり、そのストッパーが知らないうちに掛かっていたのだ。それに気づくのが遅くて、100㏄ぐらい燃料をぶちまけてしまった。ああ、引火しなくてよかった。しかし、ここで心が折れそうになってしまう。

 

やはりツーリングは辞めようかと思ってしまったが、綺麗に拭いておけば問題はない。そう言い聞かせて、改めて出発する。

 

まずは県道236号線で北へ進み、本郷交差点を右折してそのまま東名高速名古屋I.C.へ入る。今日は日本海側を通る予定なので時間がかかることが予想されることから、いきなり高速を利用することにした。因みに往路も復路も平日であるし、現金で払った方がわかりやすいのでETCは持参していない。

 

ランプから本線に入り、アクセルを開けて50ノットまで加速する。累積走行距離が11万㎞に迫っているTDMだが、エンジンは快調で加速も強烈で気持ち良い。ただ、ちょっとスプロケットが減ってきているせいか、チェーンが緩くなってきているようで、やや音が大きくなってきた気がする。

 

速度を維持して守山P,A.から小牧J.C.を過ぎて、名神高速へ車輪を進めていく。小牧と言えばつい昨日まで通っていたポリテク小牧だが、この施設は名神高速道路沿いにある。昨日まではここの受講生だったのだが、既に懐かしく感じてしまうのは気のせいだろうか。そう考えつつポリテク前を通過しようとした頃、追い越し車線が規制されていて渋滞が始まった。そういえば昨日見た時、中央分離帯を工事していたな。そう思いながらハザードを出して速度を緩めて、そのまま車の列の横をすり抜けをしていく。

 

小牧I.C.を過ぎて一宮I.C.を過ぎる頃には渋滞も解消されていて、木曽川を渡る時には並走する新幹線と走れそうなくらいだった。しかし、どうもそんな気にはなれないので、50ノットを維持していく。それに川を渡る時、新幹線は向かいからやってきたので並走はできなかった。

 

時折就職のことが頭をよぎり憂鬱になるが、友人や親戚、親が当方を励ましてくれる。独り者とは言えども全くの孤独ではないな、そう思うとありがたい気持ちになり多少楽になった。せっかく出発したのだから、これからツーリングを大いに楽しもうではないか。

 

東海環状道の養老JCTを過ぎて、ちょっと寒いし、疲れてきたので養老P.A.で休息とする。時刻はまだ9時前なので閑散としている。まずは出発直前にバッグに入れておいた長袖Tシャツを持って、トイレに直行する。やはり岐阜県に入ると気温がぐっと下がるし、この先の関ヶ原は標高も高くなるのでここで休息を取り、長袖を着ることは必須だ。因みに、今後ほとんど長袖を着るほどの気温だったので、本当に持ってきて良かったと思うのであった。

 

熱いコーヒーを購入してマシンに戻り、マップルを見ながら今後のルートを検討する。おや、メールの着信だ。発信元は友人の梅さんで、それとなく当方を心配してくれているような内容だった。ありがとう。

 

2.日本海側へ

 

再び走り出して快調に進んでいくと、米原JCT付近で再び渋滞に入る。この時期は集中工事があって時折こういう渋滞が発生しているので、注意が必要だ。しかし、米原を過ぎて北陸道に入れば道はガラガラで、超が付く快走だ。それにしても今日は日差しもあまりないし、寒く感じる。それに心に引っかかることがあるので、あまり飛ばす気にもなれない。

 

米原からは磁方位360°に針路を変えるのだが、この辺りはいつも北海道への往復路として夜にしか走行しない。それ故に気がつかなかったのだが、なかなか見晴がよろしい。それもそのはずで、並行して通る国道365号線や8号線は時々街を抜ける以外には、田んぼしかないと言っても差しつかえないからね。

 

こうして木之本I.C.を過ぎて、敦賀の手前0.5海里付近にある敦賀J.C.に分かれて、北陸道を離れる。ここからは舞鶴若狭道になるのだが、ここも前述の通り夜に走ることが多い。そして分岐してすぐに敦賀の街が見下ろすことができる地点では、驚いてしまった。昼に走ると全然見え方が違うのだ。

 

ここからはトンネルの区間が多く、舞鶴東I.C.までは27本のトンネルがあるようだ。確かに、夜に走った際にトンネルが多くて、2013年の北海道ツーリングの際は雨降りで助かったという思い出がある。

 

そんなことを考えつつ、いつも使用する舞鶴東I.C.を通過した。この先へ行くのは、2006年にR1-Z氏と渡道した時以来だ。もっとも、あの時は「舞鶴東で降りるところを間違えて、舞鶴西まで行ってしまった」だけの話だ。あの時はフェリーの出航時刻が迫っており相当焦っていたし、氏との打ち合わせがうまくいっていなかった。ご迷惑をおかけしました。

 

さて、時刻が11時を回って腹が減ってきたので、舞鶴P.A.に滑り込む。ここまでで家から200㎞以上を走ってきたのだから、疲れてきたな。衰えてきた体を憂いつつ、家から持参したおにぎりを食べながらルートの確認をする。この先は天橋立でお馴染みの、京都府宮津市を通ることになりそうだ。

 

綾部P.A.にて

やはり表情がさえない

 

空は相変わらずの曇り空であり、長袖がちょうどよい気候である。梅雨入り目前なので、雨が降っていないだけでも良しとすべきであろう。気合を入れて、走行を再開する。まずは舞鶴若狭道を綾部J.C.まで走り、そこから京都縦貫自動車道で北上する。関係ないが、前の会社の昨年の新卒社員に、この綾部出身の人がいた。典型的なオバサン顔だったと補記しておこう。

 

案内標識では与謝天橋立I.C.が終点となっているが、当方の持っているマップルが古いせいで、そこが掲載されていない。たぶん終点まで行った方がよいのだろうが、安全を見てマップルに記載のある宮津天野橋立I.C.で降りた。ここまでの料金は4,680円であり、前述のようにETCは持ってきていないので、現金で支払った。

 

さて、天橋立の街である宮津市市街地を府道9号線で通過して、国道178号線に乗り換えて磁方位を270°に変えて走行を続ける。読者諸氏においては「天橋立は行かないのか」という疑問を持たれると思うが、行きません。10年ほど前に駐車場でちょっと嫌なことがあったので、遠望したいと考えているからだよ、ヤマトの諸君。

 

そんなことを思い出して国道178号線を追いかけていくと、いつの間にか進行方向が360°になっている。でもそれは地図で確認しており、途中で府道651号線に乗り換える予定だ。注意しながら進んでいくと同府道の案内標識が現れたので、すかさず左折して路地のような街中を抜けていく。すると峠道になり、大内峠という看板が出ていた。ここなら天橋立が遠望できるものと思い、一宇観公園に入り休息をとることにした。

 

ここはキャンプ場のある公園であり、バンガローなんかも建っている。ただ、規模的にはそれほど大きくないようだ。こういう所、実は結構好きなんだよね。小躍りしながら見晴が良い東側に開けた場所へ行くと、おー、ちょっと雲が多いが、阿蘇海に横たわる天橋立が良く見えるぞ。高速の出口でもらったガイドを参照すると、松並木の中を道が通っていて、自転車は通れるようだ。また、パワースポットである天橋立神社があったり、海水浴場まであるのか。もっと神聖な場所かと思ったら、そうでもないのだな。

 

天橋立を西から望む

あまり天気が良くない

 

また、この峠は与謝野町という場所にあり、国語の授業で一度は聞いたことがある、与謝野晶子や高浜虚子の歌碑なんかも近くにあるようだ。彼女らは天橋立の姿を見に、ちょくちょくこの辺りを訪れていたようで、縁のあるということだった。

 

話は変わるが、最近どうもバイクの挙動が安定しない。これはライダー側の問題であり、右側のニーグリップが弱いせいだと思われる。また、つま先を内側に入れすぎていて、結果かかとがステップホルダから離れていることも発見した。

 

4.西へ西へ

 

この辺りに気をつけながら峠を降りていくと、天気がまた悪くなってきて、雨にならないか心配であるが、そこまでは至らないようだ。そして、丹後大宮地区にて国道312号線に乗り、heading270の指示の下京丹後市、そして豊岡市へと車輪を進めていく。時刻は14時前だし、豊岡は明日訪れることにして、このまま西へ向かう。

 

街を過ぎれば田んぼばかりの風景に癒されつつ、速力は30ノット付近を維持してのんびりと走りを楽しむ。こういう所でスローライフを営むことも良いだろうが、現実はそんなに甘いものではなかろう。就職先が見つかるだろうか・・・。いやいや、今日は楽しみに来ているので、その件は後日考えることにして走りに集中しよう。

 

さて、佐津地区からは海沿いの走行になる予定なのだが、この辺りはバイパス路が整備されつつあるようで、新しい道が山間にドンと掘られている。途中で「香住」という街を通過したが、ショートショートで有名な「阿刀田高」の小説に、ここが登場していたことを思い出した。内容はあえて書かないでおこう。

 

新しい道を鉄橋で有名な「余部」まで行くと、ここからは旧道に戻る。そして海の方へ道が伸びていくのだが、この先に鉄橋が見えた。ああ、あれがそうか。マップルのコメント通り「山陰本線の難所」であることは、一目瞭然である。冬の強風吹きすさぶ日本海、そこにこんな高い場所を通る鉄橋、難所でないわけがなかろう。

 

その鉄橋下の道の駅に入り、休息と観光を楽しむ。この頃になると天気がかなり回復してきて、強い日差しで暑く感じるようになった。ええと、ああ、昔の鉄橋と今のそれは違うのか。現在使用されている方は鉄橋ではなく、コンクリート橋だ。その横には一部解体を免れた古い鉄橋が残っている。これは典型的なトラス橋であり、味のある見た目である。もちろん、力学的な強度はお墨付きだろう。曲げや引張りの力に対して、常に三角形の部材が効いてくるのだから、単純に計算しても単体の梁よりも2~3倍は強いはずだ。

 

余部鉄橋(コンクリート橋)

 

道の駅の横には私設の記念館のような建物もあり、そこでは写真や小物が販売されている。もちろん、当方は見るだけだが、トラス橋の現役時代の写真は何か美しさを覚えるほどだ。おそらくこれが「機能美」というもので、無駄なく高機能ということがその姿から感じられる。

 

余談だが、件の鉄橋は1912年から2010年まで、100年近く現役だったようだが、保守のため建設当時の部材はほとんど交換されていたらしい。また、1986年には列車が転落する事故も起きている。これは橋脚の根元をコンクリートで固めたために、全体のたわみ量が大きくなった結果、列車が振り飛ばされたという説がある。逆を言うと、建設当時の設計がいかに優秀だったかということだろう。

 

真下から見た余部鉄橋

 

5.鳥取砂丘

 

余部を出発し、さらに西へ進んでいく。ここからは海沿いの道が多く、気持ちの良い風が吹いていた。

 

こうして、兵庫県から鳥取県に入り、鳥取砂丘の看板に従って国道178号線、県道319号線を伝って車輪を回していく。すると、知らないうちに、左手が砂浜、否砂丘になっているではないか。ここが鳥取砂丘かぁ、結構遠かったなぁ。積算計を見てみると、370㎞となっている。あれ、案外近いじゃないか、気持ち的には500㎞は走行した気分だ。

 

土産物屋の駐車場を借りてマシンを止めて、砂丘の方へ歩いていく。午前中と違い、天気が良くて暑くなってきた。長袖を脱いだ方がよかったと後悔しつつも、海から吹いてくる風がとても心地よいので問題は無い。

 

さて、砂丘を歩いて周りを見渡すと、入口付近にはラクダが待機している。砂漠といえばラクダ、そういうことか。それにしてもこの砂丘は草が生えていたり、オアシスがあったりして砂漠の規模としてはどうなのかと疑問を持った。つまり、地元の中田島や浜岡の砂丘の方が大きいではないかということだ。

 

だんだん足が重くなってくるが、砂地を歩くことは体力が必要なことを忘れていた。しかし、ここまで来て海を見ないで帰るのは悔しいので、なんとか馬の背と呼ばれる丘を越えて、日本海を見渡せる場所までやってきた。ここに来て初めて、遠くへきたなぁという旅の気持ちになった。

 

入口から馬の背方面を見る

 

なかなか風が冷たいので、そそくさと元来た道を引き返す。往路でも足元をすくわれ気味だったので、復路は結構ヘロヘロだ。毎日鍛えていても、体は確実に衰えているのだろうか。駐車場に戻って時計を見ると、30分強の砂漠滞在だったことがわかった。

 

馬の背の上から日本海を見る

 

6.着陸

 

さて、駐車場だけ借りて店で買い物をしないわけにはいかない。ただ、土産を買う金も、搭載場所もないので、梨ジュースを購入した。これは20世紀梨を原料にしているようで、さわやかな甘さと酸味の調和が、渇いたのどにはちょうどよかった。

 

梨ジュース

 

さて、時刻はまだ16時30分なので頑張れば先へ行けるが、そろそろ宿を探さないといけない。前述の通り、今回はテントは持ってきておらず、安い宿を利用するつもりだ。こういう時にも役に立つマップルで探してみると、砂丘のすぐ近くに「砂丘の家」という安い宿があることを発見した。早速電話してみると「空いている」ということだったので、今日はここまでとする。

 

エンジンを始動して、2㎞程度地図に従って進むと・・・ありました。宿というか、合宿所ですな。大きな木の看板に「砂丘の家」と書かれていることを確認し、中に入って受付と支払を済ませる。税込で2,800円であり、個室なのだから十分だ。最初はライハ的なものを想像していたので、随分得したとさえ思った。

 

砂丘の家にて

 

また、この時に風呂の時間を聞かれたが、いつ入ることができるかわからないので返答に困ってしまった。すると受付のおじさん曰く「今日は貸切だから、18時以降はいつでも入れるようにしておく」ということだった。えー、この広い建物に俺一人なんだ。

 

鍵を渡されて、2階の階段近くにある部屋へ向かう。部屋は普通の和室であった。窓を開けて外を見てみると、この宿は砂丘に面していることがわかる。明日はまた砂丘に行ってみても良いな。そう思いながら横になって少しウトウトする。気温差があったせいか、今日は走行距離のわりには疲れた。

 

部屋の様子

 

30分程してから市街地へ出て、食事と買い物のために街へ出ることにした。バイクに乗って県道を進み、途中で国道53号線へ切り替えてで県庁まで進む。そしてそこから右折して商店街というか、駅前通りを行き、一旦左折してもう一度県庁方面へ戻る。さて、なかなかこれという店が見つからないまま、一度通り過ぎた鳥取の市役所へやってきた。時刻が17時30分頃だったので帰宅する職員が多く見られたのだが、駐車場は特に料金を徴収しているわけでもないので、こちらにマシンを止めさせてもらう。ここからは歩いて店を探す作戦を採ってみた。

 

そして歩き出してすぐに、ブギという店が目に入った。腹も減ったので、ここで良いなと思い入店する。ここは、カウンターとテーブルが2、3あるだの小さな店だ。メニューを見ると「砂丘カレー」なるものがあり、気の良さそうな店主に注文する。因みに、ネット上で「砂丘カレー」と検索してみると、鳥取県民はカレー好きという事実があるようだ。それはそうと、いったいどんなものが出されるのであろうか。ドキドキしながら、店主の手さばきを見守る。

 

果たして、運ばれてきたカレーであるが、サラダと錦糸卵のご飯が同じ皿に盛られており、カレーは別の入れ物に入っている。えー、何これ。カレープレートってところかな。しかし、何でこれが砂丘カレーなのか、イマイチ理解できない。

 

鳥取砂丘カレー

 

早速食べてみるとあまり辛くはないものの、コクがあっていけるじゃん。また、この錦糸卵だが、カレーと一緒に食べるとマイルドな味わいとなり、良い仕事をしている。こんなの初めてだ。変なものが出てきたらどうしようという心配は杞憂に変わったので、空腹にまかせてガツガツと完食してしまった。ご飯を大盛りで頼んでおいて正解だった。

 

今日は朝から興奮気味だったのだが、腹が満たされて気分も落ち着いた。やれやれと料金700円を支払って、店を出る。時刻は18時を過ぎたばかりなので、まだまだ明るさが残っている。もう6月なのだから、こんなに日が長いのだろう。

 

TDMに乗り市役所の駐車場を出て、元来た国道53号線を戻っていく。そして、県庁前の交差点を左折して、宿のある鳥取砂丘方面を目指す。それはそうと、当方は現在失業中であり、職業訓練が終わってしまったのだが内定ももらっていない。そこで、バスの運転士も職業の一つに考えているので、この辺りのバスがどんな様子かを、時々すれ違う車両が気になって仕方ない。と言うのも、バスには「乗務員募集」の広告がでているものなので、それを期待していたのだ。すると、「募集」どころか「急募」になっている。そりゃそうか、地元のバス会社でも人手が足りなくてヒーヒー言っているのだから、地方ならばなおさらだろう。

 

おっとっと、明日も朝から活動するので燃料を搭載しておこう。396㎞で15.1Lだから、26.2㎞/Lと好燃費を得ることができた。もうすぐ累積走行距離が11万㎞になろうとしているのに、エンジンについては全く問題が無いようだ。やっぱり信頼と実績のTDM号である。

 

こうして宿に戻り、管理人さんから「お風呂が沸いてますよ」と声をかけてもらった。ああ、そうか。もう18時30分近くになっているので、少し遅くなってしまった。まあ、今日は貸切なのだから、焦ることもなかろう。

 

早速風呂に入り、一日の疲れを癒す。いつも独りきりで暮らしているので、風呂を用意してもらえるなんて天国のようだ。しかも、足を伸ばすことができる、大きな湯船なので気持ちが良い。

 

貸切ならではのショット

 

部屋に戻る時に談話スペースがあったので、少し冷ましていくことにした。そこには雑誌がおいてあるのだが、その中に「ぺんぎんのゆうえんち」という絵本を見つけた。当方はあまりこういう本を読んでもらったことがないので、こんな歳になっても絵本に興味があるのだ。内容は至って単純なのだが、読んでいる当人も、読んでもらう子供も共に楽しむことができる内容だろう。

 

随分と心をほぐしてもらい、部屋に戻る。そして。普段は観ないテレビを観て過ごす。ちょうど「笑ってこらえて」を放送していて、劇的な出来事を経験した夫婦を取り上げていた。後はメモをつけて、10時30分に就寝した。

 

本日の走行 390㎞

 

2日目へ続く