剣山スーパー林道ツーリング

 

2015年 9月19日~9月21日

 

出発時に自宅アパート前にて

9月19日(1日目)

1.ついに四国へ

 

実は、管理人と四国は繋がりが深い。新しい読者諸氏はご存知ない方も多いだろうが、管理人はバツイチ中年42歳である。え、じゃあ昔は嫁さんがいたのか。その通りだよ、ヤマトの諸君。今を遡ること13年前の11月に離婚したが、その前3年間は所帯を持っていたのさ。

 

それと四国がどう関係あるのか、実は元嫁は四国の人なのだ。馴れ初めは徳島県内の某大学に進学した際、同じ科にいた彼女に猛烈アタックを受けてしまい、なし崩し的に結婚してしまった。まったくもって、管理人の人生においては最大の汚点と言える。何がそんなにまずかったのか、そんな女にひっかかった当方がヴァカだった、それだけである。話にならんなぁと、自分に対する苛立ちが募る日々が続いた。

 

しかし時は2015年、あれから干支が一回りしたことだし、一昨年にはオフ車のSL230も購入しているし、今年のシルバーウイークは土日を合わせての5連休だ。もう何のわだかまりも無く、徳島県にある「剣山スーパー林道」へ行くことができるというものだ。逆に言えば、今までどんなに重い、心理的なひっかかりを抱えていたのだ、と指摘を受けそうだ。本当にきつかったのだよ、ヤマトの諸君。なんだか「四国」と聞くだけで気が重くなっていたのだ。

 

2.出発

 

大きな心理的負担を吹き飛ばし、9月上旬から構想を練っていた剣山スーパー林道ツーリングだ。唯一の心配事であった天気も見事な秋晴れ(夏晴れ?)であり、離陸支障なしである。朝は日の出と共に5時30分に起床して、前日に用意しておいた荷物をホンダ式MD33型機に搭載する。これについては、2013年、2014年の北海道ツーリングを走りきっているので、その様式を再現すればよい。

 

記念撮影をして、6時30分に自宅を出発する。予定では10時35分に和歌山港発のフェリーに乗る予定だから、あまりゆっくりしてもいられない。まずは14ポンド程燃料を搭載して、最大離陸重量で国道153号線へ飛び出した。そして名古屋方面へ進み、高針I.C.から名古屋高速2号東山線に乗る。この2号線は半地下構造の道で、風の影響を受けずに走ることができる。しかし、薄暗いので2輪車は見落とされる可能性があるので、こちらが周りを気をつけなくてはならない。

 

吹上からは地上に出て、5号万場線を走行していく。この名古屋高速を利用すれば、市街地を8割減の時間で通過できる。しかし、料金が1回770円であり、2輪料金の設定はない。文字通り時間を金で買うという感覚だ。ETCの割引は存在するが、残念ながらSL230の配線に不具合があるようだ。元々はSL230に装備されていたこのETC車載器だが、なんで動いてくれないのだろうか。全くもって運が悪いね。

 

ほぼ20分で東名阪道の名古屋東I.C.に到着し、そのまま走行を続ける。有料自動車道は退屈なのであまり好きではないが、和歌山港の到着時間が決まっているので55ノット維持で進んでいく。まあ、たまにはこういうツーリングもよかろう。

 

ところで、今日のマシンのホンダ式MD33型機は、カタログ出力が22ps/7,500r.p.m.である。通常のロードツーリングで使用する機材である、ヤマハ式5PS式は86.2ps/7,500r.p.m.である。最高出力の発生回転数が同じなだけで、1/4の力しか持ち合わせていない。走行車線を上記速度で進むことも、結構大変である。もう少し速度を落とすと風圧が減って楽なんだけど、エンジンから細かい振動が出て腕が痒くなってくる。

 

順調に積算計を回しているので、和歌山港には10時には着くことができるかもしれない。そんなことを考えていたら、四日市J.C.付近で渋滞にはまってしまった。毎度恒例だが、湾岸道からの車が流入して交通量が急に増えることが原因のようだ。そして、鈴鹿I.C.付近でまったく動かなくなってしまった。金を払っているのに渋滞とは腑に落ちない。こういう時はその区間の料金を払い戻してくれる、というサービスは無いものか。あるわけないだろう。

 

亀山I.C.で東名阪道の料金を支払うが、この際に「ETC車載器はないのか」とたずねられた。「あるけど、調子悪いんですよ」と実情を告げると「点検しておいてくださいよ」という条件付きで割引料金が適用された。ああ、そんなもんなんだ。まあ、不便なので電源系統を点検しておきたい。

 

国道25号線の名阪国道へ入る。ここは「高速道路ではない」と看板が出ているが、立派な高速道路だろう。亀山からはずーっと上り坂が続いているので、40ノット程度を維持する。それでも、時々ギアを落として追い越しをかける時には、スロットルを90%以上開ける「戦闘出力」を使用しなければならない。これについては何回か記載しているが、SL230の通常アクセル開度では18psぐらいしか出ていないような気がするのだ。ところが、アクセルを80%以上開けていくと急に排気音が変わり、今まで感じたことがないような加速感が得られるのである。これを当方は「戦闘出力」と呼んでいる。

 

その昔、日本を焦土化したアメリカの爆撃機であるB-29も通常出力が2,200馬力で、緊急時はターボのブースト圧を上げて2,300馬力が許されている。それに因んで管理人が命名したというわけだ。余談だが、TDMはあまりそういう盛り上がりのあるエンジンではなく、スムースに吹け上がり、6,500r.p.m.以降はちょっと盛り上がるかなという程度だ。

 

戦闘出力を使用すれば、上り坂での追い越しもそれ程苦にはならない。速度も軽く60ノットは記録できる。最高速ならば70ノットはいけるだろう。ただ、このくらいになると、前輪の接地感が急激に落ちるので、あくまでも戦闘時の使用のみである。

 

こんな感じで順調に進んでいくと、標高が上がってきているせいだろう、だんだんと寒く感じてきた。特に伊賀を超えた辺はもう一枚着たいくらいなので、上着に装備されている、腕や胸のベンチレーターを閉じて対応した。

 

3.関西地区を爆進

 

天理I.C.手前の急坂アンド高速コーナーを楽しみつつクリアし、西名阪道へ入る。ここからの区間は前払いの均一料金なので、長く走った方がお得である。今日は和歌山まで行くので無駄は無いなと思いつつ、ETCカードで支払いをする。ここは車載器を使用しないと、割引してくれないのね。当たり前か。

 

西名阪道は交通量はあるものの、流れがすごく良いので距離を稼ぐことができる。おっと、新しく京奈和自動車道が開通している。そう言えば、オオクラ氏が「お得に通行できる」と教えてくれたことがあったっけ。ただ、和歌山までは開通していないということだだったし、詳細を調査していなかったので、今回は通常の西名阪道を行くことにしよう。因みに、現在のところ、御所市で国道306号線にぶつかる場所までしか開通していないと補記しておこう。

 

50ノットで飛ばし、柏原料金所、松原J.C.を通り、阪和道南行きに乗り換える。最近はあちこちに新しい道路が建設されていて、やけにJ.C.が多い。まずは南阪奈道路への三原J.C.を通過し、少し行くと阪神高速4号線への接続路である、堺泉北道路への接続点である堺J.C.がやって来る。今回は阪和道を和歌山I.C.まで行くので、迷うことはない。しかし、初めてここを走ったら誰でも動揺してしまうだろう。

 

鈴鹿の渋滞以降は料金所以外では止まることはなく、とても順調だ。岸和田本線料金所を9時40分に通過して、関西空港自動車道の泉佐野J.C.を過ぎれば、残りは約20kmである。ということは、和歌山I.C.の予定到着時刻は10時ちょうどぐらいになりそうだ。なんだ、うまくいけば10時35分の徳島港行きのフェリーに搭乗できるぞ。

 

予定通りに和歌山には10時ちょっと前に到着して、料金を支払おうと機械の前で停車する。ゴソゴソとETCカードを出していると「ETC車載器は故障ですか」と、スピーカーから声がした。「はいそうです」と答える。すると「今回は割引料金で結構ですので、(車載器を)点検しておいてくださいね」と再び嬉しいサービスを受ける。なんだ、最近はサービスが良いじゃないか。

 

こうして国道24号線に出て、和歌山港を目指す。結構混みあっているなぁ、間に合うかなぁ。そう思いながら進んでいくと、フェリー乗り場まで7kmの案内を発見した。時刻は10時5分、ここではあきらめの気持ちになるが、まあいいわ。焦って事故になっては全く意味が無い。接続する県道143号線で、和歌山市街地をゆっくりと進んでいく。時々バイク乗りを気取ったスクーター乗りに抜かれるが、珍しそうに(バカにしたように?)こちらを見ている。

 

和歌山城、県庁辺りは渋滞が酷かったのですり抜けを発動して、先を急いでいく。本当はあまりやりたくはないが、10時35分のフェリーを逃したら2時間待ちになるので、やっぱり間に合わせたい。もちろん、最大限の注意を払うことが前提である。

 

この段階で10時20分近くになっていたが、ここからは交通量が半分以下になった。また、信号の繋がりも良く、10時25分前には和歌山港のフェリーターミナルに到着した。既に乗船する車両の移動が始まっていたので、焦ってターミナルビルに入り乗船申し込み書を書く。「まだ乗れますよねぇ」と受付の職員にたずねる。すると「まだいけますよ」と返答があった。この「いける」という言葉は「大丈夫」の意味で使われる方言だ。ああ、四国が近くなってきたと実感する。

 

4.海の向こうへ

 

旅客運賃2,000円、特殊手荷物運賃1,900円の3,900円を支払い、10時27分の印字が入った乗船券を購入する。いやいや、ギリギリだったね。それにしても、小樽や苫小牧東に行くフェリーの1/10程度の値段かぁ。まあ、乗船時間が2時間とこちらも1/10なので、妥当なセンであろう。

 

随分と簡素な乗船券

 

マシンに戻り、係員に従って道路を渡り、乗船口まで行く。ここはなぜか、ターミナルと乗船口がやけに離れている。ちょっと変な感じだが、何とか出港に間に合ったのでヨシノチャンである。いやあ、ここまで休息無しで走行してきたので、随分と疲れてしまった。

 

やれやれと思っていたら、すぐに乗船開始となり、先に4輪が乗り込んでいく。2輪はその後だが、新日本海フェリーみたいな大きな船ではないので、待ち時間はほんの10分程度である。係員の指示で指定の位置にマシンを止めると、すぐに固定作業が始まる。ここは荷物を下ろす必要が無く、ハンドルから床面へロープが張られる。あとは輪止めがかまされて作業は完了だが、距離が短い割には案外しっかりと固定される。

 

車両甲板のひとコマ

(隣はカタナ)

 

階上の客室へ向かうと座敷が10箇所程度あるのだが、どこも満員である。その中でも比較的大きなスペースがある場所を見つけて、荷物を置いて陣取る。前述のように休息無しでここまで来たので、少し寝るとしよう。このフェリーには風呂は無いので、これが正しい?過ごし方であろう。ただ、隣の乗客と距離が近いので、何となく落ち着かない。それでも、1時間程度はウトウトすることができた。

 

口を開けて寝ていたのだろう、喉が渇いたのでお茶を購入するために座敷を離れた。ここは狭いのでどこか良い場所はないかと探したところ、自販機前の椅子がわりあいと大きいので、ここで過ごすことにした。因みに、この前には椅子席があるのだが、ほぼ満席で座ることは困難だったと補記しておこう。

 

ちょっと元気が出てきたので、船内を散策してみる。まず驚いたのは、萌えキャラ?が客室入口横の壁に描かれていることだ。ターミナルでもらった時刻表を見てみると、「阿波野まい」、「高野きらら」と名前まで付けられている。こういうのが流行りなのだろうか。

 

南海フェリーの萌えキャラ

 

展望デッキもあるようなので、階段を上っていく。風が強く吹いていて、帽子が飛ばされそうだ。ここからは遠くに淡路島と鳴門大橋、そして徳島が見える。ああ、久々に来たのだなと、ここで初めて旅の実感が湧いてきた。おっと、上空を徳島空港へアプローチ中の、BOEING737-800が飛んでいく。

 

話はそれるが、最近どうも遠くへ出かけても、実感が出てくるまでに時間がかかることが多い。先の北海道ツーリングでも、最初は旅に出ている感覚があまりなかった。歳をとって感性が鈍ってきたのか、ただ単に北海道へ行った回数が増えただけだろうか。北海道には山ほど宿題があるはずなのだが、慣れると人間はそんな風に感じるのだろう。

 

旅情に浸りながら強風に吹かれて船旅を楽しんでいると、どんどんと徳島港が近づいてくる。それに伴い、四国に住んでいた18年前の事が次々と思い出されて、とても懐かしい気持ちになる。あの頃はまだ若かったので、現地の交通マナーについて許せない気持ちがあったが、そんなものこちらが承知しておけばよいことさ、と流して考えられるようになった。こうして期間を置いて再びやって来ると、また違った目で四国を見られそうだ。

 

少しだけ落ち着いた自分に気がついて風に吹かれていたが、下船の準備をしなければならない。階下の客室に戻り、下船の指示を待つ。ただ、こういう小さい船だと運行規定も大雑把なのだろうか、港へ入るかどうかという時点で車両甲板が解放された。そして、既に固定ロープを外している途中のマシンが、ゆらゆらと揺れている。おいおい、大丈夫かぁ。

 

遠くに見える鳴門大橋

 

5.いよいよ上陸

 

こうして4輪が下船した後、我々2輪軍団も四国の地を踏む。関係無いが、カトショウが所属するのは、ナガノトモヒサに率いられているアーモン軍団である。それはそうと、徳島港は沖洲地区にあるのだが、20年前と全く変わっていない。沖洲川沿いに市街地方向の西へ進んでいくと、末広地区にある末広大橋が見えてくる。今は無料開放されているが、住んでいた頃はいくらかを徴収していたと思う。

 

この辺りは交通の流れが悪いのは毎度のことなのだが、さすがに暑くなってきたので、少しだけすり抜けをして国道55号線へ出る。今日は思ったよりも気温が高いので、早めにコンビニに入り、水分補給をしつつルートを確認する。おっと、マシンの方も燃料補給が必要だ。それに、現金も入手しておきたい。腹が減ってきたので、昼飯も食べたい。こういう時は混乱しがちだが、一つずつ必要事項をこなしていかなくてはならない。お茶を飲みつつ、工程を組み立てていく。

 

走行を再開して、すぐに見えたガソリンスタンドへ入る。ここは鳴門に住んでいた時にも利用した事があり、床が滑りやすいと記憶している。慎重に燃料を補給して、245km走行して8Lの搭載となった。燃費は31km/Lとあまり良くない。高速で戦闘出力を使い過ぎであり、また全体にアクセル開度が大きい時間が長かったようだ。因みに、TDMでも30km/L近い数値を記録することがあるので、この数値がどのくらい良くないか、おわかりいただけると思う。

 

1つ目の問題を解決して、次に目的地である弁天山へ向かうために、国道55号線から県道136号線へ乗り換える。狭い市街地を進んでいくと、郵便局が見えた。ここで現金をおろすことにするが、時刻が13時近くになっており、取り扱いの時刻が過ぎている。ああ、しまった。仕方ないので、現金は通常利用している銀行のキャッシュカードを使い、コンビニで調達しよう。

 

6.最初の目的地

 

ひとまずは市街地を通り抜けて、県道209号線に乗り換える。この時に文化の森という施設が近いことに気がついた。ここは遠い昔にデートできたことがあったなぁ、いやいや、あんな女のことを思い出すのは正直不快なので、さっさと通り過ぎよう。そう考えていたら、いつの間にか周りは田んぼばかりになっている。そして県道210号へ繋いだところで、最初の目的地である弁天山へ到着した。

それはそうと、腹が減った。山に登る前に昼食としよう。この山の近くにはラーメン屋があることが、調査済みである。情報源はアウトライダー誌で、この山を取り上げていたことがあり、それを読んでいたのだ。

 

そのラーメン屋である「チーアン」に入ると、昼を過ぎていたせいだろうか、店内はガラガラであった。そして、そのおかげで、注文した中華そばは10分以内に提供された。

 

チーアン外観

 

ところで、徳島のラーメンと言えば「徳島ラーメン」だろう。特徴はやけに醤油の味が変に目立っていて、豚の細切れ肉、白いメンマが入っていることだ。食するのは18年振りであり、ちょっとどうかなと思っていたが、なんてことはない。ここのスープは醤油の味がとてもまろやあであり、尖っていない。1998年頃、しばしば食べに行った徳島市内の某店のものは、本当に醤油の味しかしなかった。また、居住していた鳴門市にある某有名店も同様だったので、徳島ラーメンてこういうものかなという認識だったのだ。

 

 

チーアンの中華そば

 

思うに、こちらのラーメンは、塩味がまろやかな醤油を使用しているのだろうと推測できる。こんなことならば大盛りでもよかったか、そんな後悔をしつつあっという間に完食となった。そして、店主にその旨、感想を伝える。それに対して、先代と今の店主(息子さんだろう)はとても喜んでくれた。また、当方が中部地区から来たことを話したら、遠くからありがとうと、弁天山の登山証明書をサービスしてくれた。定価が10円なのだが、その気持ちがとても嬉しかった。

 

腹も落ち着いたし、日本一低い山の証明書も頂いたので、食後の運動を兼ねて山に登る。因みに、この山はラーメン店から歩いて1分もかからない場所に位置している。南側へ回り、鳥居のある階段を10段程度登るともう頂上だ。そして、そこにはこの辺りの氏神様が祀られていて、山というよりは神社の趣である。

 

日本一低い山

弁天山

 

今後の旅の安全を願い、また十数歩歩いて山を下りる。尚、この弁天山は「自然に形成された」日本で一番低い山である。「人工的に形成した」日本で一番低い山は、仙台市の日和山であると補記しておこう。また、大阪の天保山は、人工的に形成した2番目に低い山である。

 

7.いよいよ林道へ

 

さて、ここからはいよいよスーパー林道の入口である、月ヶ谷温泉キャンプ場を目指して走り出す。県道210号線で南下し、国道55号線、県道16号線に乗って進んでいく。この道はマップルにも「一路スーパー林道へ」と記載があるので、だんだんと胸が高鳴ってくる。こんな気持ちになるのは珍しいのだが、昔はツーリングへ行くといつもこんな感じだった。それはそうだ、経験が浅い頃は行く所が全て「行ったことがない所」なんだから。

 

小松島市、勝浦町と山の中へ向かって行く。それにしても暑い、たまらず勝浦町の久国地区のコンビニへ飛び込む。さらに、ラーメンを食べたからだろう、喉がすぐに渇いていしまう。お茶を購入してガブガブと飲んでしまった。本当はチビチビと補給する方が内蔵にもやさしいのだが、2輪では難しい。こまめな休息で対応するのがよいということか。あと、ここで懸案だった現金の入手、そして今日のキャンプの食事も購入しておく。早めの行動は旅の常識である。

 

地図でルートを確認し、再び走り出す。県道に並行する川沿いにheading270で行くと、山々しい景色となってくる。早く林道にと気が急くが、焦ることはない。月ヶ谷温泉まではあと20km程度だ。

 

そう自分に言い聞かせながら慎重に車輪を進めていくと、谷間にあるキャンプ場が見えてきた。時刻は15時過ぎであり、中途半端だ。今日はここでキャンプ予定だが、まだちょっと早い。それならばと、スーパー林道の前半の旭丸峠までの区間を覗いて行くことにする。因みに、そこから先は雲早山の登山道までしか開通していないので、折り返してくることになる。

 

看板に従ってスーパー林道へ突入である。SLでは北海道を代表する函岳スーパー林道を走破したが、今回は西のスーパー林道の雄である、剣山スーパー林道を走ることができるんだ。このマシンを購入した時、バイク屋の奥さんから「あまり林道を走られる方はみえませんよ」と言っていた。それからすると、当方はやっぱり変態なんだろう。

 

ついに来たぜ

 

さて、この看板の地点は入口の入口に過ぎず、林道の起点はまだ10km近く先にある。舗装路をスイスイと進んでいく。さて、徳島の山奥に来るといつも驚くのだが、山に張り付くように家が建っていて、人が生活しているということだ。この辺りも例外ではなく、家や田んぼが山の斜面にうまいこと収まっている。また、途中に彼岸花が咲き乱れている場所もあり、人間の生命力のようなものを感じた。そして有名なこの看板の前に到着した。

 

お馴染みの看板前にて

 

ここを通らなくしては、スーパー林道は語ることはできないだろう。そう思いながら記念撮影を終え、早速走行に入る。ダート路はまだかと喜んでアクセルを開けていくが、最初は民家が並ぶ舗装路、次はガレた舗装路となかなかダートにならない。おかしいなぁ、道を間違えたかと思って何kmか進んでいくと、やっとダートになる。来たぜ来たぜと気持ちが高ぶってくるが、落ち着かないとコケてしまうぞ。

 

ここからが本番だ

 

橋を渡って進んでいこうと思うが、この川には大きな石がゴロゴロしている。こんなもんが洪水で流れてきたらどうするのか。

 

岩がゴロゴロ

 

前述のように旭丸峠で折り返してきても、片道20km程度の未舗装路が楽しめるのかぁ、すげえ~。ワクワクしながら車輪を回していくと、路面がコンクリートの舗装路に変わってしまった。あれ、上りが急な所だけかなと思っていたら、ずーっと舗装路が切れない。どういうことだ、道を間違えたかと疑念を持ちつつさらに進んでいくと、標高が高くなったせいか気温がグッと下がってくる。おお寒い、9月とは言え日が傾くと冷えるな。気温差には注意しよう。

 

いろいろ考えていたら、そのまま旭丸峠に到着してしまった。おや、日本最長の未舗装路を味わえるということでやってきたが、東側の最初の区間はほぼ全線舗装路ってことか。いやいや、何だか拍子抜けしてしまったが、これも時代の流れである。マシンを止めて記念撮影をする。因みに、この先1kmは進むことができるようだが、予定通り今日はここまでにしておこう。

 

ここからは北側と南側、両方の景色を見ることができる。北側は四国の中央にそびえ立つ山々、南側は今走ってきた道筋、どれもなかなかお目にはかかれないもので、剣山スーパー林道に来ているんだと実感する。

 

旭丸峠にて

 

峠から、今来た道筋が見える

 

時刻は16時、今から山を下りてキャンプ場に入るとしよう。今来た道を慎重に進んでいくのだが、これだけ急な勾配だと舗装化したい気持ちもわからなくはない。しかし、未舗装最長路を自称する剣山スーパー林道だから、なるべく砂利道を残して欲しいと思う。長い距離の未舗装路って貴重だからね。

 

先程通った起点の看板を通り、県道16号線に戻る。ここで、営業しているガソリンスタンドがあることに気がついた。さて、徳島市内で燃料を再搭載しているのだが、ここまでで77km程度走行している。明日の朝は早くから活動したいので、燃料を満タンにしておきたい。やれることはすぐにやる、これがツーリングの鉄則である。特に燃料については、ほぼ確実に後で後悔することになる。そう考えるとすぐにスタンドへ入り、燃料を入れておく。2.5Lの搭載となったので、30.8km/L・・・。上り坂ばかりだったので、こんなもんでしょう。

 

8.キャンプ場入り

 

数値に納得して、県道から勾配のある細い道を下りて、月ヶ谷温泉キャンプ場入る。管理人の部屋を探すが、なかなか見つからない。仕方ないので、コテージに泊まる人に聞いて場所を教えてもらった。

 

それはそうと、実はちょっと心配がある。一応ネット上で予約しているのだが、確認の返事が無かったのだ。大丈夫だろうかと思い「予約した者ですが」と事務所に声をかけた。すると「・・・、ああ管理人さんね。返事が遅れてゴメンネ。今日返信したんですよ」ということだ。おいおい、3日前に予約しておいたのだから頼みますよ。

 

さて、料金であるが、キャンプ場使用料が1,050円ということだが、向いの「月ヶ谷温泉 月の宿」の入浴券が半額の250円は必要かと聞かれた。もちろん、答えはYESである。温泉無くしてツーリングは成り立たないからね。合計1,300円を支払って、サイトへ向かう。なにぃ~、地面が砂利ではないか。困ったなぁと立ち尽くしてしまったが、一番隅に芝か雑草か、わからないものが生えていう場所を発見した。もうここしかないので、ここへモンベル クロノスドームⅡ型を設営する。

 

ほぼ無風なのでペグを打つ必要はないのだが、天候の急変が怖いのでペグを打つことにした。ん、地面がメチャクチャに硬いので、ほとんど無理やりだ。付属の安物ペグだから、曲がっても別にかまわないと、ガンガン打って設営を完了した。

 

ゆっくりしたいが、腹が減った。引き続いてコッヘルを取り出し、米を研いで火にかける。先月も北海道でキャンプツーリングをしたので、手順は体が覚えているようだ。火加減を調節して沸騰するタイミングをなるべく遅くして、ちょっとかき回してから火を強めて一気に炊き上げる。そして、レトルトカレーの箱を台にして、鍋をひっくり返して蒸らす。

 

今日の晩飯

 

今日の炊き上がりはかなりうまくいった、自画自賛しつつ手早く食事を終える。んー、腹がいっぱいになったので、ちょっと落ち着いた。やれやれ、やっと今日の業務というか、想定していた項目というか、手間のかかる事は概ね終了した。後は風呂に入ってメモを付けて寝るだけである。そう思うと気が抜けて、ドッと疲れが出てきた。もうちょっとしたら温泉に行くとしよう。前述の250円の半額券があるから、何となく得した気分だ。いや、実際は抱き合わせ商法なので、そんなことはない。

 

19時30分頃にテントを出て、川に掛かるショートカット用の橋を渡って、月ヶ谷温泉 月の宿へ向かう。この川はなかなかの急流で、ゴウゴウと音がして少し怖い。そんな気持ちで橋を渡ったら、今度は急な階段を上って温泉の入口を探す。こんなのお年寄りだったら絶対に上りきれないぞ、もうちょっと親切な設計はできなかったのだろうか。いや、お歳を召した方はキャンプ場なんて利用しないでしょう。

 

10分程度歩いたところで、入口に到着した。テントからは目の前に見える建物だが、以外に遠かった。これで今日の汗が流せると思うと、時間をかけてやってきた甲斐があるというものだ。

 

温泉の入口

 

なかなか綺麗な建物で、内湯が2つある。因みに、どちらも貸切り状態であったと補記しておこう。連休で宿泊客はたくさんいるはずなのだが、どうしたのだろうか。今思うと、ちょうど夕飯時であったと思われる。何にしても運が良かった。ただ、ここでハプニングが発生した。T字のひげ剃りを誤って落とした際、刃を紛失してしまったのだ。結局この旅ではヒゲを剃れなくなくなってしまったのだが、死ぬわけでもない。ま、そんなこともあるでしょう。

 

湯船に入って股関節や腰椎、頚椎などを動かして筋肉を緩めていく。SL230でのツーリングは少々疲れるが、オフロードを走るのだから選択の余地はない。それに、SLは取り回しがTDMよりも格段に軽いのだから、メリットは十分にある。

 

それにしても離婚して13年、やっと四国の地に入ることができた。いや、四国には罪はないのであり、当方の心持ちだけの問題である。しかし、もう引っかかることは何もない。これからはもっと自由に自分を解放していくべきで、それが自分の為である。辛い時もあったが、友人やバイクが自分を支えてくれたし、今でもそれは変わらない。ということは、それを大事にすることが、自分の人生を良くしていく源であるということだろう。

 

お馴染みのノボシビルスクになる前に風呂から上がり、扇風機で少し体を冷ます。また、テントの中ではメモを付けにくいので、ここで書いていくことにしよう。そして、20時30分頃に終了して、テントに戻る。

 

あとはシュラフにくるまりながら、マップルを見て明日の予定を立てる。前述のように、スーパー林道は通行止め区間が3箇所あるので、全線を通して走破することができない。いろいろと効率よく走るために計画を考えてみるが、東側から順番に行くことにした。

 

22時就寝。今日は疲れたよ。

 

本日の走行 340km

 

2日目(9月20日)へ続く