記憶の中のバイクたち番外編

 

レーサーNSR50と歩んだ日々

(レース総括)

 

整備が完了したばかりの2号車と共に

(左から赤ディー氏、管理人、三吉氏、福田氏、兄貴、村上氏)

 

0.管理人はメカニック?監督?レーサー??

 

大学に入学した管理人、当時は原付免許しか所有しておらず、NS50Fに乗っての飛行時間はおそらく350時間程度であったと思う。その頃、丁度兄貴とその友人がNSR50でレースをするということで、管理人も参加。主にはホンダのクラブでH.A.R.T.という団体が主催するレースに参戦していた。年間4戦くらいあり、山奥の自動車学校と鈴鹿の南コースが会場となっていた。

レースはリミッター付きのノーマルクラス、1時間耐久に参戦し、完走をめざすという目標の下、兄貴、その友人がライディングした。一方管理人は雑用、ピット管理などの監督業務を行っていた。さらに途中から兄貴の友人、赤ディー氏もカメラ班として合流するようになる。

その時に使用していたバイクがここで紹介する'88NSR50だ。エンジンはNS50Fとほぼ共通の水冷単気等、2ストロークだが、車体構成は全く異なっており、12インチタイヤにツインスパーフレームを採用していた。乗ってみると地面が近く、スピード感がNS-Fとはまるで違う。バンク角はそれなりにあり、足を出せば膝すりは朝飯前であった。また、ブレーキがすばらしく効き、ジャックナイフもラクラク。強烈な減速Gに耐えるには腹筋、背筋の強化をしたいくらいであった。

管理人は上記の監督業に加え、バイクの整備全般、エントリーの手続き、部品の調達などのメカニック業務もこなしていた。

また、時々ライダーがいない時には自らスロットルを握り、コースを駆けた。おりしも限定解除審査に合格した後であったので、乗り方がいかにも試験場乗りであったと指摘があった(乗り方が体に染み付いているようだ)。

そしてまた、時にはライダーの調整もしたことがある。大学の友人とその友人に話をしたところ、是非ライディングしたいということだった。彼らは元カートのドライバーであったので、レース慣れしていたのであろう。真ん中位の成績で完走した。彼らが一番良い成績を残したものと思われる。

 

1.伝説のレーサー登場

 

レースは準備から始まる。車両はノーマルでないといけないので、できるだけ新車に近い状態にすることが肝要だ。具体的にはチェーンを灯油で洗い、しっかりと注油。張りもバッチリ調整する。タイヤの空気圧も規定どおりにし、ブレーキは分解、清掃、更にはパットとディスクの引きずりも意識して整備する。当然エアクリーナーは清掃しておく。また時々フロントフォークのオイル交換、エンジン腰上オーバーホール、キャブレターの分解整備も行っていた。

ところで、通常は我々のマシン一台のみのエントリーであったが、年に1回長野からの遠征者がいた。その名は福田士郎。言わずと知れた伝説のレーサーだ。彼は管理人の高校の友人の隣人であり、'90NSR50を所有していた縁から参戦を希望してきた。そこで丁度9月の鈴鹿南コースのレースがある、という誘いに反応したわけだ。

管理人の友人によると、相当に熱い走りをするらしく、ひょっとしたら我々1号車よりも遥かに良い成績を残す可能性もあるという。万年ビリッカスに毛の生えた成績を打破できるかもと期待を寄せた。結局部品代、参加費用等の実費のみ徴収し、整備、運搬、などは無料で提供するという契約を交わし、彼をチームの一員として迎え入れた。

果たしてレース前日、長野県伊那市より自走して福田氏はやってきた。我々の1号車は前日までに整備を済ませ、2号車の整備に取り掛かる。この時はエンジン、キャブなどは手をつけないで、駆動系、ブレーキのみを整備した。

レース当日、福田氏は妙に無口だ。元々口数は少なく、どこかボーっとしている彼だが、この日は何かが違った。一方我々1号車のライダーは兄貴と非常勤メンバー村上氏。笑いながらウォームアップ走行を続行中。適度に力が抜けて調子は良いようだ。

 

 我らが1号車(足は兄貴と思われる)

 

福田氏も走行開始。周回を重ねているが、戻ってこない。転倒だ。もっともサーキットであるし、皮ツナギにブーツとフル装備であるから大したことはない。バイクの損傷も砂が付いたくらいか??どうやら熱くなり過ぎて冷静さを失っているらしい。

この流れは最後まで変わらず、福田氏は何回転倒したか数え切れないでレース終了。一応二台とも完走。おまけに兄貴の友人に借りたブーツをぶっ壊すというおまけ付きであった。この日から福田氏は伝説のレーサーとして我々の脳裏に深く刻まれた。

 

2.福田士郎の逆襲

 

翌年福田は帰ってきた。しかも今度は自走ではない。管理人の友人の先輩、三吉氏と彼の軽トラックに同乗して現れたのだ。しかもレース2日前の夜中に到着というきつい日程だ。

翌日、常勤、非常勤のメンバー総動員で準備にかかる。1号車は前日までに管理人が済ませておいたので、軽い点検を残すのみであったが、今回2号車は重整備となった。割り振りとしては、カウル修正は板金担当村上氏、シャシー担当は赤ディー氏と三吉氏、エンジン担当と2号車最終点検は不肖管理人、来客の応対とトーク担当は我が兄貴

作業は全て同時進行で行われ、エンジンはおろか、ステアリングステムまで分解されたそのお姿、兄貴の来客に「本当に元にもどせるの?」と言わしめた程だ。

人海戦術の結果、午後の早い時間には作業完了、早速福田氏の慣らしも兼ねてシェイクダウン。「なんか別のバイクみたい。直進性もエンジンパワーもすごく良い感触」とは本人談。明日のレースが楽しみだ。

レース当日は秋晴れと絶好のレース日和だ。カメラ班赤ディー氏、1号車は兄貴、村上氏、2号車は三吉・福田両氏のライディングとなる。車両は2台とも管理人が注意を払い、ライダー交代等の指示も行う。ウオームアップ走行は2台とも絶好調だ。特に2号車は昨日の整備が効いているようだ。

レースがスタートして、二台とも順調に周回をこなす。1号車はレース慣れしているメンバーのライディングであるので、心配はいらないが、2号車は初出場の三吉氏、伝説の男福田氏である。前半担当の三吉氏は案外冷静に周回しているので良いが、はたして後半は大丈夫だろうか?

ライダー交代の時間だ。最初に2号車を入れる。福田氏にチェンジ。ここからは目が離せないぞ。一方1号車はハイテンションになった兄貴が飛び出していった。案外と言っては失礼であるが、やや危なっかしいながらも福田氏は順調だ。兄貴の方はいつになく攻め込んでいる。このままいけそうかな。

 

3.福田士郎、またやりました

 

2号車は数回の転倒があったが、福田氏も完走目前、兄貴の前に福田氏とランデブー走行だ。このままゴールかと思っていたら、なんと福田氏が前走者のインをついて絡んだぁーーー。幸い転倒は間逃れたが、コースアウト。兄貴ライディングの1号車が先にゴール、2号車もその後なんとか完走。やっぱりやってくれました。伝説の男福田士郎。

 

4.まとめ

 

レースを総括してみると、12戦を闘い、完走11戦、キャブレター不調によるリタイア1戦とまずまずの成績であった。それよりもレースに出場するという行為を通して学んだ事の方が何百倍も重要だ。

というのも、レースは金も手間もかかる。部品は常に新品を使用するし、交換しないものでも洗浄や調整を頻繁に行う。それも精度良く作業することが重要だ。しかし、これら作業は今になってみると整備知識・技術の向上に大いに貢献したものと思う。実際管理人は現在でも自分で作業できる部分は自分で行っている。知らない人から見れば、管理人所有工具や、整備風景はちょっとしたバイク屋に見えるそうだ。そんなに世の中甘くはないんですけどね。

また、レースでライディングするということで、運転理論の習得や、技術の向上を図るきっかけができたと思う。上には上がいるという言葉の本当の意味を知ったのはこの期間であったのだ。限定解除してはいたが、そんなのは腕を磨くきっかけにすぎないのであろうという考えには、今も変わりは無い。

NSR50と共に駆け抜けた青春の日々、現在のバイクライフの充実には確実にその風が吹いていると実感できる今日この頃である。

 

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