管理人 海外へ行く

~オーストラリア編~

2017年11月13日~2017年11月21日

初めて見る赤茶けたオーストラリアの大地

第2日目(11月14日)

1.起床

いつもの飛行機旅行のように、強め揺れで目が覚める。最新の機体だが、気流の乱れはやむを得ないことだ。さて、時刻を確認すると香港時間の午前3時過ぎだ。しかし、オーストラリア東部時間は3時間進んでいるので、朝の6時ということになる。このためちょっと寝不足だが、朝飯の時間なのでここで起床としておこう。昨夜配られたメニューによると、卵か鶏肉から選択できるようだ。

CAさんに選択を迫られるので、強気に「EGG」と告げ、飲み物はオレンジジュースを頼んだ。何回も述べているように、機上の食事はとても気持ち良いものだ。外気はマイナス40℃にもなる高度4万フィートを、時速500ノットで移動するという非日常の環境にいるにもかかわらず、機内は快適である。そのような中で食事をしているとは、何とも贅沢である。また、丁度夜明けのタイミングであり、さらに気持ちが盛り上がってくる。

朝の機内食

窓から下を見ると雲が晴れてきて、初めてオーストラリアの大地と対面する。それは赤茶けていて、火星のようだ。そういえば「自称旅行家」の兄貴が表現をしていたものと全く同じであり、不覚にも弟である自分も同じことを思ってしまったのだ。遺伝子の共通性というか、血は争えないものだ。

食事のトレーが回収され、オーストラリアの眺めを楽しむ。前述のように飛行機は高速で移動しているので、赤色の大地はあっという間に過ぎ去り、次はきれいに区画された農地らしきものが見えてくる。そうかと思えば大きな川が流れていたりして、コロコロと表情を変えていく。

水資源も豊富そうだ

2.着陸

そうこうしていると、機は高度を下げはじめ、翼上にはスピードスポイラーが立つ。いよいよ着陸態勢に入るようだ。景色も次第に街らしきものが見えるようになってきて、メルボルンのタラマリン空港が近づいてくる。ウイリアムスタウン辺りで左旋回すると、高層ビルが立ち並ぶ大都会が目に入る。あれがメルボルンの中心地であるCBD(中央ビジネス区)かぁ、と感心しているとさらに機は高度を落とす。

遠くにメルボルンのビジネス街(CBD)が見える

フラップが全開になり長~い主翼をたわませて、香港から管理人他乗客を乗せてきたA350型機は穏やかにタラマリン空港に着陸した。ところで、ここで気になるのは、どんな航空会社が乗り入れているかということだ。もちろん、オーストラリア会社である「JET STAR」や「VIRGIN AUSTRALIA」の機が多く見られるが、一時は利用を検討した「中国南方航空」や「TIGER AIR AUSTRALIA」の姿も見える。

タラマリン空港に着陸

この空港はまずまず大きく、設備もしっかりと整っている。それ故、今回は搭乗橋にあるスポットで降機できるようだ。ただ、当方としては、沖止めでターミナルビルから遠くに駐機し、止まっている(場合によっては移動中)の飛行機群を縫って、巨大バスに乗って建物まで移動する方が好みである。だって、その方が空港の様子を観察しながら楽しめるというものだ。

いつものように周りの人が降りて行った後、重い腰を上げて降機する。タラップを歩いて、順路に従って建物を移動する。んー、香港や成田、中部などに比べると、この空港は随分と簡素な造りで、ちょっと古めだな。そう思いつつ、入国審査の列に並ぶ。もちろん、パスポートにスタンプを押してもらうため、わざわざ係員がいる列を選択したのだが「お前はこっちだ」と係員に言われて、カメラや指紋を取る機械がある自動入国の列に回されてしまった。なんだよ、余計なことをしやがって。

笑顔で顔写真を撮影しゲートを通り過ぎると、次は機内で書いた入国カードを提出して荷物検査の列に並ぶ。「常備薬などは原則として申告しないといけない」とガイドブックに書かれており、その通りにしたのだ。しかし、当の係員は

「お前は滞在期間が短いから、次の機会でいいよ」

と言われて、無検査で入国となった。「おいおい、次の機会っていつだよ。そんなことでいいのか??」と突っ込みたくなるが、俺が麻薬を持っている人間に見えなかったのだろう、あっさりと入国できた。

この後、預けておいたスーツケースを拾いに行くが、ここも設備が古くて狭い。自分の荷物を探す人々で、ターンテーブルの周辺は混み合っている。オーストラリアと言えば立派な観光立国なので、空港も立派だろうと思い込んでいた。しかし、この空港に関してはそれ程でもないようだ。

そういう訳で、荷物の回収に成功したので、待望のオーストラリアへ踏み出す。

3.いざ、メルボルン市街地へ

ロビーは土産物屋やカフェが立ち並び、多くの人で賑わっている。空港と言う場所にいると理由もなく嬉しくなるものだが、ここでもそれは例外ではない。それはそうと、まずは通貨を手に入れなければ話にならない。おお、目の前に両替でお馴染みの「TRAVELEX」があるじゃあないか。それじゃあとりあえず、この「ダカールで違法両替商から手に入れた米ドル」のうち、残りの48ドルを豪ドルに交換しよう。え、手数料が7ドルってえらく高いなぁ。結局47豪ドルしか手に入れることができなかった。日本円換算だと4,500円くらいだ。これじゃあ米ドルと大して変わらないじゃあないか。空港の両替はあまり比率が良くないと言われるが、全くその通りだ。

だが、そんなことは些細なことだ。俺は今、南半球の国、オーストラリアのさらに南の街に降り立ったのだ。そう思うと、とても気分が高揚してくるじゃあないか。しかし、ここは外国なので浮かれていてはいけない。安全なオーストラリアと言えども、日本にいる感覚ではダメなのだ。

気合を入れて空港ビルの外へ出ると、日差しがとても眩しく明るい雰囲気だ。これがオーストラリアの第一印象であり、ガイドブックが言うようにサングラスが欲しくなる程の眩しさだ。しかし、空気はきれいだし、並んでいるタクシーも新しい車両が多く、運転も荒くない。海外と言うと、なぜか「セネガル」の印象を引きずっている管理人としては、とても安心できる。もちろん、強引な客引きも違法両替人もいないよ。ここは事前に仕入れた情報通りに平和で、これから安心して旅ができそうだ。

整列したタクシーの列

さて、空港はメルボルン市街地から25㎞程度離れていて、1時間弱を要する。これはもちろん調査済みで、ここからは「スカイバス」に乗って街まで行くのだ。ええと、切符売り場はこの辺りになるはずだが、ありました。ここで、片道を19豪ドルでで購入する。一応、往復で切符を買えば2ドルお得だが、失うと嫌なので、帰りは帰る時に購入することにした。

切符も買って、いざ出発

因みに1豪ドル=90円程度であるから、バス代は1,700円ぐらいか。これも事前情報通り、ちょっと高いという印象だ。というのも、ポルトガルではリスボン-ファティマ間が150㎞程あるのに、料金は1,300円ぐらいだったからだ。オーストラリアは給与水準が高いのだろう。

停留所で待っていると、連接バスがやってくる。もちろん、オーストラリアはイギリス人が入植した土地なので、左側通行の右ハンドル、つまり日本と同じ通行帯だ。この点に関しては香港も同じで、ちょっと「海外に来た」感が薄くなるところだ。

巨大バスに乗って

スーツケースを荷物置き場に置いて、座席に座る。これがヨーロッパならば肌身離さず座席まで持っていくところだろうが、ここではその必要はないようだ。ただ、管理人は心配症なので、荷物の近くの座席を確保したのは言うまでもなかろう。ただ、本当は一人で座席を占領したかったがそうもいかず、VIRGIN AUSTRALIAのパーサーらしき人の隣となってしまう。航空会社の職員だから何かと情報を得られるかとおもうが、スマホに夢中だったので声はかけなかった。

出発時刻となり、バスは豪快なエンジン音と共に高速道路を快走していく。車窓からは「流石オーストラリア」と思わされる広ーい草原が遠くまで見えて、国土の広さを感じる。あれ、ここにも空港があるジャン。この件について後日調べてみると、これは「エッセンドン空港」と言う名前で「タラマリン」ができるまではこっちが主要空港だったようで、現在でも細々とローカル空港と定期便で結ばれている。地元で言えば「県営名古屋」みたいなものだろうか。

そんな感じで流れゆく風景を楽しんでいると、突然立ち並ぶビル群が見え始めた。あれがメルボルン市街地か、超がつく大都会じゃあないか。だんだんと近くなる巨大な建物に圧倒されていると、バスは高速道路を下りて渋滞の一般道に入っていく。そして、その都会の中心部であるサザンクロス駅に到着した。

バスを降りる段になって、おもむろに隣のパーサー氏が「どこから来たの?日本?どの方向へ行くの?」と話してくる。ここで早速、豪英語の洗礼を受けることになる。前述の質問なんだが、直訳だと「どの方向に行くのか」ということだったのだ。この状況で「方向」だから「ホテルの方向は西だ」と答えるのは明らかにおかしい。つまり「この後どこへ行くのか」をたずねているのだろうと推測ができた。まあ、今回はすぐに分かったから良かったが、豪英語の語彙の使い方が明らかに違うのだ。これは日本で予習をしている時、観光協会とチャットで話した時から既に「オーストラリアで使われる言語は英語ではなく、豪(オーストラリアの意味)語だ」と気づいていたが・・・。この先が心配だ。

話を元に戻そう。「ホテルにいくところだ」と答える。「行き方はわかるのか?」と親切に聞いてくれるので「日本のガイドブックには、無料で送ってくれるサービスがあると書いてあるよ」とホテルの地図を見せる。すると彼は納得して「ああなる程」という顔で「俺が手配してきてやるよ」と言って、バスターミナルの事務小屋にわざわざ行ってくれた。ここがセネガルならば力ずくでも彼を止めるだろうが、今回はオーストラリアだ。多分大丈夫だろう。

無料送迎を受け付けるブース

すると、その事務所から大きな男が出てきて「そこに座って待っていろ。(送迎の)バスが来たら教えてやるからな」と当方に声がかかる。そして、パーサー氏は「じゃあな、いい旅を」とさわやかに去って行った。最初っからこんな親切にしてもらえて「ここは良い国だな」と心が和む。ダカールの時とはまるで正反対だよ。

さて、人と話して感じるのは「豪語」は前述のように「語彙の使い方」が違うことに加え、発音も米語とは異なる。これは、英連邦の北部で話される発音に似ているのだ。というのは、移住してきた人々がその地方出身だったいうことに由来している。そして、この地で独自に変化してきた言語が「豪語」ということになるようだ。

この「豪語」から「俺は今、このオーストラリアやって来たのだ」と強く感じつつ、バスを待つ。おいおい、この段階でそんな呑気なな事を言っていて大丈夫かと思われる方々、もちろん、この後「豪語」には苦労することになるのだよ、ヤマトの諸君。

事務小屋から人が出てきて、バスへ移動する。このバスだが、日本で使っていたんじゃあないかと思われる、古い「三菱ローザ??」だ。また、このマイクロバスには10人程乗っていて、それぞれ別のホテルに向かう。いわゆる、乗り合いタクシーサービスと言うわけだ。これは先ほどの空港送迎バスが行っているもので、観光都市ならではのものだ。

車窓から街を眺めると、最初は高層ビルが立ち並ぶ大都会だが、徐々に商店や住居が並ぶ幅の広い郊外風の道路を進んでいく。割と皆さん安全運転をしているようで、アフリカとはずいぶんと事情が異なる。ただ、ここでも日本車の多さは顕著であり、少なく見積もってもシェアが50%ぐらいではなかろうか。なかでも憎むべき「T与太」車がやはりかなりを占めていると補記しておこう。

さて、当方が滞在する「マイアミホテル・メルボルン」には10分もしないうちに到着した。大した距離ではないのかもしれないが、2㎞弱はあるので歩くと大変だろう。運転手にお礼を言ってバスを降り、ホテルに入る。

メルボルンの拠点となるホテル

挨拶をして「日本から予約した者だが」と告げると、すごく太っちょの女性が笑顔で歓迎してくれる。ただ、時刻は午前10時30分とチェックイン前の時刻だ。そこで、荷物だけを預けて再び街へ出る旨を伝える。この件については、事前にメールで確認・依頼しておいたので、問題なく事が運んだ。

ここで面白かったことは「(泊まる人はあなた)一人だけなの??」とたずねられたことだ。もちろん他にはいないので「Yes」だけど、これは部屋に入ってからその理由が理解できたので、その時に述べるとしよう。

3.大都会へ繰り出そう

再び外へ出て、バスで来た道を歩いてサザンクロス駅へ戻る。それにしても今日はとても暑く、陽射しが強い。それもそのはずで、南半球の11月は日本で言えば5月と初夏に当たるわけだ。そんなことを思いつつ、ラ・トロブ通りにかかる橋の上から景色を眺める。やはり、ここは大都会で、競技場やガラス張りのビル、何十本もある引き込み線の線路には圧倒される。

橋の上から見た市街地の様子

一方、道路には路面電車がゆっくりと走っており、都会のせわしなさとは違う速度で時間が流れている。また、中にはレトロな型もあり、観光客を呼び込むアクセントとして良い味を出している。

市内を走るレトロな路面電車

それにしても、今日はとても暑く陽射しが強い。それもそのはずで、南半球の11月は日本で言えば5月と初夏に当たるわけだ。そう思いながらスペンサーストリートに入り、南方向へ進む。ここはサザンクロス駅前の通りで、セブンイレブン等お馴染みの店も見られる。ああ、ちょっと喉が渇いたので、脱水症状に陥らないようにスーパーの「COLES」に入って水を購入する。ついでにどんな商品があるかを見て回ると、以外にも日本の出汁の素やしょうゆなど食材が数多く見られることに驚いた。

さらに通りをブラブラと歩いていると、既に時刻は12時になろうとしている。ちょっと腹が減ったと感じていたところ、偶然にもフードコートを見つけたので見て回ることにする。おいおい、どれも10ドル、15ドルと良い値段が付けてある。日本円にすると900円から1,300円くらいだから、フードコートとしては高いんじゃあないか。この件については、ガイドブックにも「物価は割高感がある」と書かれていおり、全くその通りだ。

フードコートの様子

何か安いものはないかと探していると、メキシコ料理店を見つける。そこで、5ドルの「チャコス」というものがあるので、これを食べることにしよう。「サワークリームは要るか」と言うので、つけてもらった。ところで、この料理はトウモロコシの粉を薄く延ばして焼いたもので、タコスに近い、手軽に食べられて美味しいものだ。ただ、もらったちらしを見てみると「子供向け」と書いてあった。安いのはそういう理由だったのか。

「子供向け」のチャコス

4.次はどこへいこうかな

さて、補給も済んで、午後の活動準備も整った。引き続き、街を見て回ろう。前述のように、メルボルンの市街地は路面電車が通っており「MyKI」というカードに課金して、その料金を支払うことになっている。これは、観光客用に時間制の料金が設定されている。しかし、今日は中途半端な時間から活動を開始したので、ビジネスエリアから出ないようにする。というのも、このエリアには「Free Tram Zone」が設けられており、文字通り「タダ」で乗り降り自由なのだ。

まずはサザンクロス駅から35系統の環状線右回りに乗り、ビジネスエリアの北側を行く。ここで何か違和感を感じる。というのも、北側を走っている電車の北側から日が入ってくるのだ。いやいや、ここは南半球のオーストラリアだから、北側から陽が差してくるのは当たり前である。

渋滞気味の道路を路面電車は停車と発車を繰り返してゆっくり進み、エリアの北東部にある「ビクトリア図書館」に到着だ。ここは「レドモンド・バリー」が創設した図書館で、天井がドーム状になっているオシャレな図書館だ。彼の銅像を横目に中へ入ると、、歴史的、文化的な雰囲気が漂っている。当方が住む街の図書館とは大違いだ。皆さん、真剣に調べものをしたり、勉強をしていたり、これが本来の図書館の姿だろう。

ビクトリア図書館

階段で上の階へ上がると展示スペースがあり、本の歴史を紹介していたり、印刷機も展示してある。これらを見て「書誌学を極めていた大学時代の恩師が好きそうな場所だなぁ」と先生のことを思い出した。今も福岡の某大学で研究に励んでおられることだろう。

吹き抜けから階下の閲覧室へ目を移すと、放射状に机が配列されているのが見える。これならば四角い机が並ぶ日本の図書館より多くの人が座れるので、無駄がなさそうだ。こういうのを「機能美」と呼ぶのだろう。管理人もそのうちの一つに座って、ガイドブックを見てみる。やっていることは旅行者の行為だが、学術的な雰囲気を大いに感じることができる。これならば、研究や勉強が捗ることだろう。

図書館の閲覧スペース

さて、この次はどこへ行こうか。フリートラムゾーン内で考えてみると、2,3駅向こうの王立展示館が面白そうだ。そう考えて図書館を後にし、目の前の停留所から35系統で右回りの電車に乗ろうと画策する。しかし、運が悪く反対回りしかやってこない。炎天下とまではいかないがかなり暑い中、立ちっぱなしは辛い。そこで、歩いて展示館を目指すことにする。これも十分に暑くて辛いのだが、待ちぼうけよりはマシである。

汗をかきかきあるいていくと、電車が道路を通っていく。もう少し待てば乗れたのだが、これも運命かと思って歩き続ける。すると、Yの字の交差点の左手に森が見えてくる。飛び込むように木陰に入り、さらに歩くと立派な庭と建物が見えてくる。これがカールトン・ガーデンに建つ「王立展示館」だ。ガイドブックに拠れば、これは1880年に開催された国際博覧会のために建設されたもので、2004年にオーストラリア初の世界文化遺産に登録されたようだ。

おお~、噴水はでかいし、複雑な細工が施されていてかっこよく見える。また、建物そのものもドームが印象的なヨーロッパの教会を思わせるような造りだ。なるほど、博覧会のために建設されたという意味がよく理解できる。

それにしても、この暑さはなんだろうか。日本では既に初冬の装いだが、こちらは既に夏だ。当たり前の事だが体は正直であり、すぐに順応できるほど若くはないようだ。森の中のベンチに座り、涼やかな風を楽しむ。そう、暑いことは暑いのだが、湿度が低いので日陰は別世界で誠に快適だ。

王立展示館

遠くから建物を眺めていると、「内部はどうなっているのか見てみたい」と思うのが人情というものだ。しかし、そのためには、裏にある博物館のガイドツアーに参加しなければ見られない。それは14時から始まるのだが、既に時遅しだ。うーん、残念だが見送りだ。そう思いながら建物をよく観察しながら裏側へ回り込んでいく。博物館が見えてくるので入ろうかと思うが、この先にある「州議事堂」も気になる。展示館に入れないのならそちらに回った方がよさそうだ。そういうわけで、路面電車をつかまえてさらに2駅ほど先にある議事堂へ行くことにする。

木陰から出て、再び炎天下にさらされて停留所へ行く。何だよ、また電車が来ないじゃあないか。地図を見ると、ショートカットする道もあるようなので、結局歩くことにする。さて、オーストラリアにも押しボタン式の信号があるのだが、そのボタンがやけにでかい。こんなことはどうでもよいのだろうが、やはり異国に来るとそんな小さなことでもいちいち嬉しくなってしまう。

どでかい歩行者信号の押しボタン

エキシビション通りを少し行き、左に曲がって議事堂通りへ出る。目の前には背の高い「セントパトリック大聖堂」が見え、さらに行くと議事堂が見えてくる。おお、何だか歴史の重みがあるなぁと感心するが、この建物は1901年から1927年まで、オーストラリア連邦の首都が置かれていた期間に議会が開かれていたのだ。関係無いが、当方の祖父は1900年の12月(実際には3か月ほど前)に生まれたと記録されているのだが、その頃に建てられたものか。動力付きの飛行機も飛ぶ前なのだから、歴史があるわけだ。

ビクトリア州議事堂

入口に行って、中に入ろうと列に並ぶ。ちょうど遠足か修学旅行かの小学生が入場するところだったので、その後ろについていた。「次は俺の番だな」と思っていると、係員が「今日は旅行者は入れないよ。来週来てね」と入場を拒否されてしまった。「ええ、はるばる日本から来たのだから入れてよ」と思うが、そんなことは関係ないよね。

議事堂には入れなかったし、暑さで少々バテ気味なので、前述の35系統の電車に乗ってCBD地区を1週回り、街の様子を探ることにする。また、電車の乗客の動きを観察して、人気のスポットを探すこともできそうだ。しかし、炎天下の中、待っていてもなかなか電車が来ない。すると、メキシコかチリか、南米からと思われる家族連れのお父さんから道をたずねられてしまった。ええー、俺も今日この街に到着したばかりの「ストレンジャー」なんだけと前置きをしつつ、35系統の電車が環状線であるが、右回りに乗れば近いよというような答えをしておいた。

そうこうしていると両方向から電車が来て、左回りに乗る。図書館やらサザンクロス駅を通過していき、ドックラン地区で折り返し、ETHIHADスタジアムを通過。地区の南側の「ヤラ川」沿いを電車は進んでいく。そして、そのフリンダーストリートの名がついた駅では、多くの人が入れ替わっていく。そして、当方もなぜかここで降りたくなってしまい、降りることにした。

文章にすればこんな感じだが、今日来たばかりの街では全く土地勘がなかった故、頭の中ではどうやってここまで来たかを理解できない。そこで、再び同じ左まわりの電車に乗車して、もう一度同じ道を、地図を見ながら辿ることにする。しかし、入館を拒否?された議事堂の前で止まったきり、動かなくなってしまった。10分ぐらい「どうしたのか」と待っていると、運転手が「ちょっと前を走る車両が故障して、立ち往生している。もう、2、3分は待ってくれ」と説明をしてくれた。だったら、もうちょっと早く言えよと思うが、まあそんなカチカチにやっても疲れるだけなので、そんなもんでしょう。

5.今日はこの辺りにしようか

電車は運転手の言うとおり、数分で動き出す。そして、図書館前を通り、スペンサーストリートに到着した。ホテルへ帰るのは、ここから歩くのが一番早いからだが、その前にちょっと腹が減ってきた。ちょうど昼に子供向けの「チャコス」を食べたフードコートがあるので、そこへ行って何か食べるとしよう。軽くでいいんだけどなぁ、ピザとかフライドチキンとか、結構重いものが多い。そう思っていると、サンドイッチを売っている店を発見した。ここでチーズとハムのトーストサンド、紅茶を10ドル弱で購入する。

今日の晩飯

今日は暑くて喉が渇いていたせいか、紅茶が旨い。それにしても、メルボルンの物価は高い。10ドルとしても900円程度なのだ。日本なら500円か600円だろう。そうなのか、日本はバブル崩壊以降「国際競争力の維持」とか「十分に高水準」とかもっともらしい言い訳をして、どっかの自動車会社が圧力をかけて、給与水準が徐々に下げられてきた。一方、この国では人件費が高騰したり、豪ドル高となったりして、そのどっかの自動車会社も採算が合わないということで、生産から撤退した。どっちが良いのかわからないし、それが原因かどうかわからないが、少なくとも、オーストラリアの人達の方が表情は明るく、幸せそうだ。それにひきかえ、日本人の働く人々の表情は・・・。

帰りは歩いてホテルに戻るが、道に迷ってしまう。地図を見て自分の位置を確認しようと試みるが、今一つ性格に把握できない。どうするかな、と思っていると人が通りかかった。「すいません、マイアミホテルを知ってますか」と地図を見せる。すると「おお、知っているぞ、おれが案内してやるよ」と一緒にホテルまで来てくれることになった。

彼はかなりの日本好きらしく、今まで2回の渡航歴があるそうだ。そして、岡山、広島、長崎、鹿児島など、多くの都市を巡っているらしい。「桜島は知っていますか。鹿児島にあるんだけど」とたずねてみる。すると「大きな火山か?」と答えていた。また、彼は「今年も(日本に)行く予定だ」と嬉しそうに話していた。そうこうしていると、見慣れた通りに出てきた。「あそこがマイアミホテルだよ」と教えてくれた。ありがとう。

部屋に戻って、風呂に入る。今日の出来事を思い返しながら、疲れた足腰を温める。まあ、何とか意志疎通は図れているものの、語彙や発音が大きく違う「オーストラリア語」には苦労するなぁと反省する。流は把握できているものの、話の詳細では所々正確さに欠く場面がある。こんなことならば、もっといろいろと聴き込んでくるべきだったな。そう思いつつ風呂から上がり、メモをつける。ちょっと喉が渇いたので、備え付けのインスタントコーヒーを飲む。これがなかなかうまいので、夜なのについつい飲んでしまった。

現在21時30分過ぎだから、日本時間で言えば19時30分だ。時差はサマータイムを採用しているオーストラリアが2時間進んでいる。香港からは3時間差とポルトガルやセネガルに比べたらかわいいものだ。そんな早い時間なのに、やけに眠たい。そろそろ寝るとしよう。明日からはいろいろ動いて、いろいろ見て回ることにしよう。

本日の移動距離 4,500海里

第3日目(11月15日)へ続く