管理人 海外へ行く

~オーストラリア編~

2017年11月13日~2017年11月21日

メルボルン クリケットグラウンドを指す管理人

第3日目(11月15日)

1.起床

あんなに早く寝たのに、起きたのは7時30分だ。日本時間では5時30だから、そんなものだろう。今日は積極的に街中を動き回りたい。テレビでニュースと天気予報を観ながら、昨日買っておいたビスケット、そして備え付けのインスタントコーヒーで軽く朝飯とする。また、通貨の種類を確認しつつ、所持金額を把握しておく。それにしても、こちらのお札は品質がイマイチだ。ペラペラだし「紙幣」ではなく「フィルム幣」なのだ。米ドルの紙幣もそれなりだが、日本円はそれらに比べれると遥かに精巧である。

オーストラリアの貨幣

100豪ドルを携え、気合を入れてフロントへ下りていく。朝から太っちょの女性が快活に応対してくれるので、とても助かる。そこで、市街地の交通機関に乗り放題となる「Mykiカード」についてたずねると、地図をくれて「最寄りのセブンイレブンで買えばいいよ」と教えてくれる。また、そこには中心地である「フリンダー・ストリート」へ行くトラムの停留所等についても詳しく書かれている。どうもありがとう。

2.活動開始

ホテルのある「ホーカー・ストリート」、そしてその先の商店が並ぶ「イーロル・ストリート」を歩いていく。昨日道を教えてくれた男性は「この通りには店や飲食店がたくさんあるから、便利な所だよ」と言っていた。全くその通りで、スーパーや喫茶店、レストランなどがびっしりと並んでいる。さて、通りの一番端にある、大きな時計塔の向かいにセブンイレブンに入り、件の「Myki」カードと水を購入する。このカードは一週間有効で、近郊の電車、バス、トラムが乗り放題で41ドル、日本円だと3,500円とかなりお得な設定だ。しかし、水は2ドルと激高い。ただこれについては、後日スーパーで同じものが90セントで売られていることがわかり、買う場所を間違えただけだと補記しておこう。

イーロル・ストリートの様子

トラム57系統に乗り、市街地中心へ向かう。だいたい10分少々で「フリンダー・ストリート」駅に到着する。この駅舎は1854年に建設されたものであり、スタジオジブリが1988年に公開した「魔女の宅急便」にも登場するようだ。つまり、この街は映画の舞台となったモデルの街ということらしいのだ。そう言われてみれば、メルボルンはとても賑やかで大きな街、いや大都会であるが、古い建物も共存する不思議な所である。

さて、その駅舎なんだけど、残念ながら補修工事中でカバーがかけてある。何だよ、ポルトガルの発見のモニュメントと言い、この駅舎と言い、俺に見せたくないのかよ。ちょっと残念だが、仕方ない。

フリンダー・ストリート駅

その「フリンダー・ストリート」を東へ少し歩いて行く。すると、移民博物館辺りからは大きな川が見えてくる。これは「ヤラ川」という名前であり、水質もきれいである。こんな大都会の川なのに、驚きだ。

今度は川沿いを東向きに歩いて、水面を吹いてくる涼しい風を楽しむ。朝から日差しが強くて、気温も30℃近くになろうとしているのだから、これは艶姿阿弥陀如来、ありがたいねぇである。ところで、メルボルンは「住みやすい街第1位」らしんだけど、それはこんな高層ビルが立ち並ぶ大都会でも、通りを一本外れればこんなに自然が豊かなことにも由来しているのかもしれない。

自然とビルが混在するCBD地区の様子

そんなことを思いながら、天然のクーラーを楽しんでいたら、いつの間にか「フェデレーションスクエア」に出てくる。ここは観光案内所やカフェもあり、大道芸を披露できるような広場となっている。そして、芸術の街である「メルボルン」が誇る、展示施設が集積する一画でもあるのだ。その代表が「イアンポッター・センター」という、原住民アボリジニーのものから、現代の美術作品が2万点も展示されているということだ。また「ACMI」という映像を発表する館もあり、その玄関はいかにも芸術好きな人々が好みそうな外観である。

フェデレーション・スクエアの様子

ただ、残念ながら、当方はその手のものは良くわからないので通過となる。しかし、古い建物は好きなので、通りを挟んで向かいにある「セントポールス大聖堂」の繊細かつ大胆な造りには圧倒されてしまう。因みに、こいつは1811年に建設された教会であり、この名前を持つ聖堂はイギリスとフィリピンにもあるようだ。

その先にも古い建物が並んでいるので「スワンストン・ストリート」を上ってみる。すると「コリンズ・ストリート」との交差点に、同じような時計台のある建物が見えてくる。これは「タウン・ホール」と呼ばれる、1870年に完成したものだ。その前に看板が立っており、それによれば「1854年に完成して、1860年代に一度壊されて、現在の姿になった」と言う記載がある。また、その当時の写真を見ると、古風な恰好をしたビジネスマンが談笑している姿が見える。「メルボルン」は既に、金持ちの街だったようだ。

さて、前述のジブリ映画「魔女の宅急便」は、時計台のある街が舞台となっている。ひょっとしたらこの時計台がモデルになったのかもしれないな、そう考えるとなんとも愉快な気持ちになっている。と言うのも、当方は映画のロケ地が好きであり、今までにも北海道の「直別」だとか、広島の「尾道」など、数々の街を訪れたことがあるのだ。そしてそこに立ち「ヒロインがここに来たのか」と思うと感慨深く想いを巡らせると、自分もその映画に出演しているように感じる時もある。

タウンホールの時計台

そんな自分の世界に浸っていたら、ちょっと遊び人っぽい兄ちゃんが「今からどこへ行くの??、俺たちとどう??」みたいなことを言って、ナンパしている声が聞こえてくる。女性の方は旅行者のようで、浮足立っているようだ。しかし、その手は食わないという様子で、つかず離れずの態度をとっている。完全に男の方が遊ばれている様子であり、試みは失敗に終わったようだ。

3.ああ、何てこった

そうだ、ここで現金をおろしておこうかな。ええと、ATMはないだろうかとさらに通りを上っていく。すると、セブンイレブンの向こうにATMを発見する。そうだよな、こんな都会に無いわけがない。そう思いながらカードを入れて、操作をする。しかし「残高不足」となっているではないか。おかしいなぁと思って残高照会をするも、やはり「応じられない」となる。

「チッ、何だよ」とATMを去り、通りを戻っていく。そして、再び「フェデレーションスクエア」の戻り、小腹がすいたのでコンビニでリンゴを1ドル、90円で購入した。随分と割高だけど、キロ単位で買ってもしょうがないのでこれでいいのだ。

店内の様子

広場の隅に座ってリンゴをかじりながら、何で現金をおろせないのか検討してみる。よくわからないので、広場にあるATMでもう一度試みてみる。あれ、カードがないぞ。

しまったぁ、さっきのATMでカードを取り忘れたぁぁ!!

慌てて戻るも、あとの祭りだ。カードはもうない。こういう時はすぐに取扱いを停止してもらわなくてはならいのだが、気が動転していたのでなぜか警察署へ行ってしまう。しかし、慌てた当方の取り留めもない話を聞き、警官はにこやかに対応してくれる。そして「日本への電話は0011、81をダイアルして、目的の番号を続けるのさ」と教えてくれる。「ああそうだ、ガイドブックにそう書かれているな」とここで正気に戻り、建物のすぐ隣に公衆電話を見つけた。「あれは使えるかな」とたずねると「ああ、大丈夫だよ。ただ、国際電話だから、大きい金額のコインを使うと良いよ」と教えてくれる。全くその通りだが、この時はそんなことすら思い出せなかった。情けなし。

警察署と電話

すぐさま電話に貨幣を入れてダイアルするも「非通知だからつなげません」って、そんなのアリかよ。仕方ないので自宅へ電話して、オヤジに中継してもらった。そろそろスマホにして、海外でも電話を使えるようにする時が近づいていることを、こんな所で実感してしまった。

4.休息から午後の活動へ

ちょっと落ち着いて時刻を確認すると、既に12時30分だ。テンパってたので、腹が減ってしまった。ここいらで食事にしようと周辺を歩いていると「6ドル50セント」をうたい文句にしているカレー屋を発見した。手ごろなので、ここにしよう。店に入ると、インド人の店員がいるので「おすすめは何か」と聞いてみる。すると、困った顔をして「ランチ皿なら、ナンとライスがついていてお得ですよ」となまりの強い豪語で答えてくる。豪語がなかなか難しいのは今に始まった事ではないし、意志疎通はできているのだが、細かい部分がよくわかっていないので、力の無さを感じてしまう。

カレー屋に入って一休み

カレーはなかなかおいしく、ペロリと平らげてしまう。その間、周りを見ると、やたらと「SUSHI」の店が多い。しかも、その「SUSHI」は日本の「寿司」ではなくて、単なる「SUSHI」である。つまり「寿司」と「SUSHI」は、全く別の料理だと言えよう。あと「WAGYU」と看板を出す店も多いのだが、これも「和牛」ではないようだ。つまり、20年ぐらい前に研究目的でアメリカに提供した「和牛」のタネが、オーストラリアに売られてしまったということがあり「WAGYU」が誕生したらしいのだ。日本はこの時に提訴すべきだったのだが、事なかれ主義で解決しようとした結果、それができなかったようだ。そして、今や本家の「和牛」ブランドが、オーストラリアの「WAGYU」に押されているという、わけのわからない事態になっているのだ。

さて、食事が済んだので、予定している「MCG(メルボルン・クリケット・グランド)」へ行こう。「フリンダー・ストリート駅」からトラム75系統に乗り「ヤラ公園」で下車する。今日からは前述の「Myki」カードがあるので、交通機関は乗り放題だ。さて、この公園は広大であり、広い敷地には多くの木が植えられており、芝生の広場も点在している。その割には混み合っておらず、とても快適である。

そして、その並木道の途中には、有名選手の銅像が建っており、このスポーツの人気の高さを物語っている。その奥に、大きな競技場が見えてくる。日本で言えば、国立競技場か、東京ドーム的な位置づけのものだろう。

銅像も建つ、公園とスタジアム

5.オーストラリアの熱き魂を

早速中に入り、22ドルでガイドツアーに申し込む。すると、もう一組のカップルと一緒に回ることになる。案内はボランティアのJhonさんであり、当方のようなそれ程英語がわからない者にも、丁寧にゆっくりと話してくれたので、半分くらいは理解ができたと思う。彼によると、観客の収容人数は世界で10番目、南半球では1番目ということだ。因みに、世界一の収容人数を誇るスタジアムは「北朝鮮」にあるということだった。

ガイドのJhonさんが説明をしてくれる

なるほど、何層にも観客席が設けられているこの競技場はとにかくでかい。また、この層、つまりは階のことなのだが、通常は「フロア」と言うのだろうが、豪語では「レベル」という単語を用いる。最初は違和感があったが、徐々に慣れてきた。

バッターの先に1席だけ設けられている黄色い椅子は、ホームランの球が飛んでいく方向だそうだ。また「レベル」毎に見える景色が異なり、それぞれに良さがある。因みに、管理人の好みは「レベル1」つまりは、一番下の席だろう。やっぱり、球場の広さや芝生の手入れの良さを感じることができるので「ここにいる」という実感を持てるからだ。

また、この時は試合中で、時々「カキーン」と球を打つ音が聞こえてくる。野球のものよりも甲高い音がするので、硬球よりもさらに固い球を使用しているのかもしれない。ルールはよく知らないが、とにかくアウトになるまではバットを振り続けることがきるようなので、一人で200点以上取ることもあるようだ。そして、試合は数日続いてからやっと結果が出るというもので、選手はとてつもなく体力が要求されるということだった。

試合の様子

次に施設の見学へ行くと、屋内練習場へ案内される。驚いたのはバッティングの練習場所で、投影された投手と球の映像を使うということだ。そうかそうかと納得していると、Jhonさんが「ここまで理解できたか」とたずねてくる。そこで、上記のことを要約して話すと「なんだ、わかってんじゃあないか」と微笑み、安心した様子だった。それもそのはずで、仕事として自分が説明したことを理解してもらえれば、そんなにうれしいこともなかろう。

話はクリケットから、スタジアムの歴史に移っていく。この球場は1956年のオリンピック会場をベースにしているので、それに関連する展示もあるのだ。どこかの国のように、建設会社と政治屋の癒着から、無理やり新しいスタジアムを建設していることとは大違いで、きちんと歴史のあるものを残していくという考えが根底にあるようだ。

廊下には、オリンピック時に使用された100m競技のスタートライや、幅跳びの踏切地点、着地点などがペイントとして残されている。ここで競技者が息を弾ませて競い合ったのかと考えると、何ともロマンがあることではないか。それにしても、走り幅跳びで5mも6mも跳べるとは。人間が鍛えるとそんな力を発揮できるようになるなど、にわかに信じ難い事である。

次にテラスに出ると、左に別の競技場、正面には水色のテニスコートが見える。Jhonさんは「メルボルンは外にも大きな競技場がいくつかあり、目の前のコートは全豪オープンの会場だ」と説明をしてくれる。そういえば、港湾地区の方にも「Etihad Stadiam」があるし、この競技場の南にも「オリンピックパーク」や「ロッドレーバーアリーナ」などドーム状の施設が並んでいる。

「線路の向こうにある水色のテニスコートは、全豪オープンテニス大会」の会場だと説明がある。そうか、あの「錦織圭」がエアケイを決めていたのはここかぁかと思うと、これもまたロマンを感じる。世の中広いなぁ、このような場所は世界中にあるのだ。この先死ぬまでにいくつ行けるのかわからないが、できるだけ多く、このようなロマンのある場所を訪れてみたいものだ。

全豪オープンの会場か

次に屋内へ戻り、クリケットの蔵書が豊富な図書館、ラジオやテレビの中継室、有名選手の使用したユニホームやバットなどの展示を見て回る。ガイドのJhonさんは物静かではあるが、これらの展示についてとても熱く語ってくれる。ガイドブックにも記されているが、クリケットやラグビーはオーストラリア人にとって、誇りと情熱を傾けるに値するものであり、彼もその1人であるようだ。こんなことならば、もう少しスポーツについて勉強してくればよかったと思うが、それは帰宅してからの宿題とした。

往年のスター選手たち

用具の展示

中継ブース

2時間が過ぎて、ツアーはお開きになった。記念品として、クリケット図書館謹製のしおりをいただいた。これは大学時代の恩師からもらった中世英語が書かれたものとよく似ており、マニアな一品だろう。

6.さらにスポーツについて

さて、次はどうしようかと思うが、このスタジアムには、スポーツ全般についての展示がある「スポーツミュージアム」が併設されているので、見ていくとしよう。ここでガイドブックで料金を確認すると、何とクリケットのツアーと同時購入するれば30ドル、ミュージアムのみだと22ドルの料金がかかる事が判明する。何だよ、こんなことならばツアーと同時に切符を購入しておくべきだったと後悔する。

そう思いつつ、販売のブースで料金を払おうとする。すると当方の腕にはめてある、ツアーの腕章を係り員が見つけてくれる。「クリケットのツアーに行ったのか」と気を利かせてくれて、9ドルのみの追加料金で済んだ。本当は30-22=8ドルの追加じゃあないのかと思うが、手数料か値上げ分かが加算されたものと納得する。

スポーツミュージアムもやはりクリケットがメインであり、この国での人気の高さを物語っている。スポーツは人間の営みであり、体を鍛えて競技に必要な能力を向上させる。そして規則に則り、球を投げたり打ったりするのだが、そこには人間故のドラマがある。それが観るものの心を打ったりして、歓喜を呼び起こすのだろう。

これは当方が愛好するエアロビクス・ダンスでも同じことで、インストラクターの情熱や喜びが参加者にも伝わるのだ。「レッスンはライブである」という師匠の言葉は、まさにそれを表した一言と言えよう。

さて、ここではオリンピックの歴史のコーナーがあり、興味を大いにそそる。その中でも、当方が11歳となった1984年に開催された「ロス・アンジェルス」大会のものは特別だ。と言うのも、これは物心ついた管理人にとって最初の大会だからだ。そうそう、マスコットは「イーグルサム」という鷲を主題にしたものだったっけ。また、話題の選手と言えば、何と言っても100m走と幅跳びの「カール・ルイス」だ。「たけしのスポーツ大将」でも「コカール君」なる、100m走マシンが活躍したものだ。

ロス・アンジェルス大会の展示

それはそうと、当時の日本選手団はあまり活躍できなかったのだが、思うに原因は「根性主義」によるものだったと推測される。水泳を例にとると、直前まで高地合宿を行っており、選手はヘロヘロで会場入りをしていたようだ。それ故に、世界選手権級の大会で大活躍をしていた、10代半ばの「長崎宏子選手」でさえ、8位以下決定戦に残るのが精いっぱいであった。つまり、第二次大戦中の「大和魂主義」を、戦後40年近くが過ぎていても引きずっていたわけだ。

話は逸れるが、戦闘用航空機であった「ゼロ戦」もアメリカに研究され、その優位性をどんどん失っていく中「大和魂」という大義名分を課せられて、無理な空中戦を強いられたり、果ては敵に突っ込んでいくなど、アフォの極みのようなことをしていたわけで、その考えを1984年当時も色濃く反映していたのだろう。いや、それは戦後70年以上が過ぎた今でも変わらないし、再びそれが正義であるような思想が復活しつつある。全くもって、この国はイカれているというか、過去に学ばないというか。

ちょっと嫌なことを思いだしたが、懐かしの映像コーナーでは、その「ルイス」や「たけし」がギャグのネタにしたルーマニアの妖精「ナディア・コマネチ」の映像が流れている。確かに、当時10代半ばだった彼女は「妖精」のように神秘的で、しなやかな動きをしていた。これを見られただけでも、ここに来た価値があると思われた。

また、ここは多目的施設でもあり「マドンナ」や「マイケル・ジャクソン」なんかも来豪して、コンサートを開いたこともあるようだ。

マドンナ他有名人も来豪している

それはそうと、ここへ来たもう一つの目的には「F1の展示」を見ることだった。これはガイドブックに記載されていたのだが、既に撤去されていた。わずかに「オーストラリアのスポーツ選手一覧」の展示に「アラン・ジョーンズ」を見つけることだできたのみだ。関係無いが、F1ドライバーと言えば、日本人にも我らが愛知の「サトル・ナカジマ」がいる。また、先日のダカールの会でも触れたが、ラリードライバーやライダーにも「ケンジロウ・シノヅカ」や「ヨシオ・イケマチ」など偉人はたくさんいる。しかし、どうも日本ではモータースポーツは曲解されているようで、その真の姿や選手の偉大さがなかなか理解されないでいる。どうにかならないものかと思うが、こうして個人的なサイトで訴えることが、当方にできる唯一の意思表示だ。

7.小休止を挟んで

さて、オーストラリアのスポーツを十分堪能できたので、メトロ線の「ジョリモント」駅からメトロに乗って「フリンダー・ストリート」駅へ戻る。もちろん、前述の「MyKi」カードを持っているので、運賃をいちいち払う必要はない。この電車は標準軌道を採用していて、客室内も広く、シートも幅広なのでなかなか快適である。

メトロ線に乗って

駅を降りて駅名の通りを横切り、下町の路地風の「Degraves通り」へ入る。歩く人々はアジア、ヨーロッパ、アフリカなど、人種に関係無く、様々な人々が歩いているので移民の国オーストラリアを肌で実感することが可能だ。少々疲れたので、狭い路地にテーブルを出している店でコーヒーを飲むことにする。一口にコーヒーと言っても、オーストラリアには数多くの呼び名がある。

まさに移民の国である

少し例を出すと、砂糖やミルクを入れないブラックと言っても「ロングブラック(俗にいうエスプレッソ)」や「ショートブラック(小さいカップのデミタス)」がある。少し量が欲しかったので前者を3.9ドル(350円)を注文した。静かな店でジャズなどを聴きながら楽しむことも良いが、こうしてさながら人種のるつぼの喧騒で飲むコーヒーもオツなものだ。

こちらで一服

何より、自分が今こうして日本から10,000km近く離れたメルボルンにいることひしひしと感じる。これは現実なのか、夢なのかと自分でもわからなくなる。そうだ、これこそが今、自分が地球上に存在している、つまり「生きている」という感覚なのだ。

8.もうひと頑張り

休憩しつつ、次の目的地を検索する。事前にネットで調べておいたのだが、メルボルン近郊でペンギンが見られる「セントキルダ」を模索する。ちょうど路面電車で行ける距離だし、街並みもおしゃれだ。時刻はまだ15時30分であり、夏を迎えつつある南半球ではまだまだ陽のある時間帯だから支障無しだ。プラン承認ということで「フリンダーストリート」駅からトラムに乗って「スペンサーストリート」へ出て、ここでトラム96系統に乗り換える。おおそうだ、ついでにF1のオーストラリアGPの開催される「アルバートパーク」にも寄って行こう。

停留所で電車を待っていると、警官が来たので「アルバートパークへ行きたいのだが」とたずねてみる。すると「路面電車で行くと、同名の駅があるよ」と教えてくれた。どうもありがとう。こちらの警官はベストに色々と道具を持っていてイカツイが、とても親しみやすい方々のようだ。そう考えていると、間もなく近代的な路面電車がやって来るので、これに乗り込み市街地を離れていく。因みに、この車両には「MADE IN MELBOURNE / FOR MELBOURUNE」と書かれている。また、製造は地域間旅客機で有名な「BOMBARDIA」社が行っていると補記しておこう。

かっこいい最新型のトラムで

メルボルンは大都会だが、ちょっと移動するだけで風景はがらりと変わる。名古屋駅周辺もそうだが、ほんの数百メートルで印象はがらりと変わるのだ。トラムで15分もすると、普通の住宅地となり、その中にある「アルバートパーク」という名前の駅に到着した。ここで下車して、スポーツセンターの周辺を少し歩いてみるが、F1のコースらしいものを確認することはできななかった。

公園の看板

また、この時普通の家々を観察してみると、やけにでかいことに驚く。日本で言えば2軒か3軒分の敷地があり、もちろん平屋の家が建っているのだ。昔「日本人はウサギ小屋に住んでいる」といったように揶揄されていたことがあるが、確かにそう言えなくもなかろうと納得してしまった。

人の家をジロジロ見ていると怪しまれそうなので、再び路面電車に乗り終点の「セントキルダ」を目指す。公園を通り過ぎると海岸沿いに出ると、ちょっと港町的な雰囲気となる。いや、ここには漁港や波止場があり、まったくの港町なのだ。

終点で下車して、ペンギンが現れる日没を待つ。ちょっと腹が減ったので、ショーケースに新鮮な魚を出している店に入り、食事をしよう。さて何を食べようかとメニューを見ると、やはり結構な値段が付けてある。しかしよくよく見てみると、7ドルの「Fish and Chips」を発見した。そうだな、港が近いので魚を食べるのが良いだろうし、何より安いのでこれに決定した。あと、野菜も食べたいので「ギリシャサラダ」を5ドル90セントで追加した。しめて1,100円ぐらいだから、値段的にも満足だ。

豊富な品ぞろえのショーケース

屋外のテーブルに座り、街の様子を眺めながら食事をする。だいたい通りで食事をするなんて、日本では考えられない事なので、とても新鮮で面白い事だ。街の人々も「そんなこと当たり前じゃん」と思っているようで、ちょっと恥ずかしく思う当方のことなど全く気に留めている様子もない。

ヒラメっぽい白身の魚とポテトフライ、そしてタルタルソースは相性も抜群でバクバクと食べてしまうが、やはり量が多い。カロリーが高い上に量もあるのだから、オーストラリアの人達が太っている事は当然だろうし、それ故に高タンパク低カロリーの日本食が注目を浴びるのは自然の成り行きだ。

今日の晩飯

そんなことを思いつつ、日本で調べてきたペンギンを見られる「セントキルダ・ピア(桟橋)」について、再度内容を確認しておく。その上で、インド人ぽい女性店員に最寄駅などの詳細をたずねてみる。すると「私も先月インドから来たばかりなので、よくわからないわ。店長に聞いてみるね」とわざわざ確認してくれた。店長氏によると「ルナパークから海岸に出ればわかるよ」ということだった。ご親切にどうもありがとう。

食器を返して、お得意のスーパーである「COLES」に入り、水を調達しておく。しかし、この間ほんの数分だったのだが、いつの間にか外は大雨となっている。これではペンギンを見るどころではないので、今日のところは泣く泣くホテルに戻ることにする。この天候の急変については、この後も悩まされることになると補記しておこう。

再び路面電車の96系統に乗り、再び市街地へ向かって行く。途中にガイドブックにも載っている遊園地の「ルナパーク」が見えた。その特徴的な外観から、わからないということは絶対にありえないね。

さて、ホテルに戻るには、路面電車の57系統に乗らねばならないのだが、まだよく路線や地理を把握できていないので、どこで乗り換えるのかがわからない。また、疲れもあり、ちょっと混乱してしまうが、落ち着いて地図とにらめっこし「エリザベス・ストリート」で57系統の電車を捕まえることに成功した。

ところで、海外ではよくあることだが、バスやら電車やらの停留所や駅をいちいち案内してくれることはあまりない。自分で降りるべく場所を把握して、よくよく窓の外を見るか、周囲の人にたずねるのが常だ。しかし、メルボルンの路面電車は停留所名はもちろん、乗り換えについてもきっちりとアナウンスが流れるので、よく聞いておけば乗り過ごすことはないだろう。

こうして、いつもの停留所である「PEEL St.VICTORIA St.」駅で電車を降り、コンビニに寄ってバナナとリンゴ、そして「エロ本」を購入してみた。すると店員が「あんた、純粋だね」とニヤニヤしながら言ってくるのだが、そんなことは余計なお世話だ。

ホテルに到着したら、時刻は20時近くになっている。ちょっと足を伸ばしたら、意外と時間がかかるものだ。やあやあ、今日も精力的に動いて疲れたね。風呂に入って汗を流し、水を飲みつつ今日の出来事をメモ帳に記していく。

このレポートをお読みの皆様はおわかりと思うが、臨場感を出すために、わりと細かく詳細記載している。もちろん、そのためにはこの作業がとても重要である。そのため、日に1時間近くかけて出来事をできるだけ細かくメモしているのだ。ただ、それだけではレポートを描くことは困難であり、それを補う形で写真がある。この写真はとても不思議なもので、ある一葉を見ると、その時の気持ちとか状況が頭の中に押し寄せてくるのだ。つまり、写真を撮ったということは何か心が動くものがあったからで、その心の機微が蘇るというものなのだ。

それにしても、豪語がよく理解できないことがあったり、カードを紛失したりと良い事ばかりではない1日だった。まだまだ修行が足りませんなぁと反省しながら、明日の計画も立案しておく。

本日の移動距離 50㎞ぐらいかな

第4日目(11月16日)へ続く