管理人 海外へ行く

~オーストラリア編~

2017年11月13日~2017年11月21日

フェデレーション・スクエアからサウスバンク方向を見る

第4日目(11月16日)

1.起床

朝は6時30分に起床する。歳のせいだろう、夏は起床が早くなるものだ。ダカールの時程ではないにせよ、慣れない環境ではそれなりに疲労するもので、昨夜も寝つきは非常に良かった。今日も無理なく、精力的に活動していこうではないか。

今回はホテルのプランに朝飯が含まれていないので、昨日購入しておいたビスケット、バナナ、リンゴなどを食べて簡単に済ませておく。朝食付きだと旨いののでついつい食べ過ぎて昼飯が遅くなったり、食べられないこともある。しかし、食べることも旅の楽しみなのだから、こうして胃に余力を残しておくことも重要な戦術なのかもしれない。

簡素な朝食

窓から外を見ると、生憎の雨模様だ。それならば、雨でも楽しめる場所へ行けばよいだけのことだ。そうだ、事前に調べた情報に「航空博物館」なんてのがあったな。これはガイドブックの地図に小さく書かれているのだが、詳細については一切の説明が無い。一応最寄駅やら、そこからのバスについては調べてあり、無料でもらえるガイドにも小さい記載があるのだが、今一つ不安が残る。そこで、出かける時にホテルのフロントでたずねてみることにした。

今日は太っちょのネエチャンではなく、アイルランド人っぽい女性が座っている。挨拶をした後「この航空博物館に行きたいんだけど」と切り出してみる。すると「よく知らないのよねぇ」という感じで、ちょっと困惑している。やはり、そんな所へ行く観光客はあまりいないのだろうから、ホテルといえども情報があまりないようだ。そりゃそうだ、当方の自宅近くに「五色園」という公園があるのだが、そんなの聞かれたら困ってしまうだろう。

また、野生のペンギンが見られる「フィリップ島」についてもたずねてみる。こちらについてはホテルでも予約を受けているが、支払はカードのみということだ。カードについては昨日、現金を入手する際に失っているので、現金払いにこだわるのもあまり意味の無いことだ。しかし、古い人間の管理人はどうも気持ち悪い。それならばと、ホテルの女性は「駅前の観光案内所ならば選択肢も豊富だし、現金でも受け付けてくれる」と教えてくれる。また、前述のフリーペーパーに記載のあった「空軍博物館」についても教えてくれる。何と「AIRCRAFT」という駅があるということだ。

2.ちょっと寄り道

結局「(航空博物館については)地図をもっているのだし、調べてあるのなら、その通りに行けば大丈夫よ」ということで、出発する。まあ、何とかなるでしょう。いつものように、通りを数分歩いて、路面電車の停留所へ向かう。今日は木曜日で時刻は9時前だから、電車は通勤客でほぼ満員である。それにしても、こちらには体のデカい人が多い。それも、日本だったら完全に「デヴ」の領域に入り、それも病院で「是正勧告」を受けるような人達だ。

ただでさえ混んでいる電車に、こういう人達が次々に乗ってくるのだから、車両はパンパンである。もっとも、この路線はラッシュ時には6分から8分に1本の電車が来るので、大きな問題にはならないようだ。こうして、終点の「フリンダー・ストリート」で下車して、お馴染みのスーパー「Coles」で水を購入する。

停留所付近の様子

さて、現金200ドル(手数料3ドル)をおろして「フェデレーション・スクエア」の観光案内所へ行き、番号札を取って順番を待つ。すると、すぐに呼ばれて席に着く。簡単な挨拶と会話の後「ペンギンパレード」についてたずねると「150ドルからツアーがあるよ」と教えてくれる。

え、管理人はツアーが嫌いなんじゃあないのかと突っ込みが入りそうだが、その通りだよ、ヤマトの諸君。しかし、ペンギンが見られるフィリップ島は、市街地から2時間以上かかり、ペンギンは日没時にしか陸に上がらないので、帰りの交通機関がなくなってしまうのだ。それ故に、観光バスで行き帰りの足を保障してくれて、割とお値打ちなツアーを選択するのは、ある意味賢い選択なのである。もっとも、自分でレンタカーを借りるなり、タクシーで帰るなりすれば問題はないが、前述のように料金的に割高になってしまうのだ。

いろいろ話を聞いて、188豪ドルのツアーを購入することにした。これは1日のコースで、途中に動物園に寄ってコアラやカンガルーを見て、南極の海を体験できる施設を通り、夜にペンギンに出会うというものだ。それでこの値段(日本円で15,000円)ならお買い得と言えよう。現金で支払いを済ませ、案内書と切符を受け取り「寒いから上着かカッパを忘れないでね」と言われて、終了となった。ここの係員はとても親切だし、豪語ではなく英語を話してくれるので大変助かった。

3.電車に乗って

これで明日の「フィリップ島」行きも決まったので、安心して航空博物館へ行ける。駅の改札を通り、駅員に「Cheltenhamはどうやっていくのか」と声をかけてみる。すると「え、どこへ行くって??」と聞き返される。「Cheltenhamです」と言いなおすと「ああ、それなら8番ホームから出るフランクストン線の電車に乗ればいいよ」とにこやかに教えてくれる。「航空博物館へいくのさ」と言うと「ああ、それでCheltenhamなのか。そいつは良いな、9時42分発だ」と返してきた。

お礼を述べて、8番線に来た電車に乗る。今日は雨降りで少々寒いのだが、車内はエアコンがガンガンに効いている。もっと緩くしてもよいのだろうが、前述のように太った人向けに設定してあるのだろう。

目的地は15駅向こう

車窓から雨が降りの郊外の様子を眺めると、ちょっと北海道に似ているなと感じる。また、車は日本と同じ左通行なので、違和感も無い。それよりも、乗り越さないように、ガイドブックにある路線図をしっかりと見て、停車駅を一つづつ確認していく。もっとも、当方は交通機関がすべて乗り放題の「Myki」カードを持っているので、乗り越しても全く問題は無いと補記しておこう。それにしても、やたらと駅間が長いので、各駅停車の電車であることを忘れてしまいそうだ。そう思いつつ、ゆったり過ごしていると45分程で「Cheltenham」駅に到着した。

4.こいつは困ったぞ

駅は無人駅で、案内板なども設置されていない。さて、調べによれば、この後バスに乗るのだが、そのバス停がどこなのかもわからない。ひとまず駅を出て、駅前通りをウロウロする。この街は郊外の田舎町という趣で、とても好感が持てる。店はいろいろあるし、極端に寂れている様子もない。また、適度に人通りがあり、治安も良さそうだ。あ、バス停を発見だ。しかし、この628系統のバスが博物館まで行くのかどうか、よくわからない。そこで、通りかかったジイサンにたずねてみる。

Cheltenhamの街並み

ええー、何言ってるのかさっぱりわからない。これは英語ではなく、まさしく豪語なのだろう。「もう一回言ってくれ」と頼んでみるが、やはり何を言っているのか3割ぐらいしか理解できない。まあ、話を総合すると「歩いて行けば良いじゃあないか」ということらしい。そうか、ありがとう。

地図を持っているのでおおよその場所はわかっているのだが、歩いていくにはちょっと遠い。どうしようかと考えていると、乳母車に孫を乗せたジイサン(オジサン)がやってきたので、こちらの方にも同じように道をたずねてみた。ああ、やっぱり言葉がよくわからない。それを察したのか、オジサンはスマホを取り出して「Google Map」で道を示してくれる。それによれば、歩いて45分かかるという試算が出されている。そうだろう、結構な距離があるからね、

礼を述べて、大きな通りを歩いていくと、今度は別なジイサンが「何か探しているのか」と声をかけてくる。「そうなんだ、航空博物館へ行くところなんだ」と返す、すると「おいおい、この先4㎞はあるぜ。ちょっと遠いよ」と心配してくれる。それを聞いて、やはりバスで行くことに決定する。

まあ、焦るわけでもないし、バスが博物館を通るかどうかは運転手にたずねれば済む事さ。そう思ってバスを待っていると、同時に2台到着する。まずは1台目の車両に乗り、運転手に「航空博物館へ行くか」とたずねると「いや、行かないよ」とあっさり言われる。「次のバスは??」と返すと「次のバスは行くよ」と。だったらそのように案内してくれればよいのだが、それを期待するのは「日本の標準」なのだろう。

バスが来たよ

2台目のバスへ行き、同じ質問をすると「降りるべきバス停がきたら、教えてやるよ」と親切に教えてくれる。まあ、運転手も人間だから、人によって親切の度合いも違うというわけか。納得。

運転手に近い座席に座り、街の様子を楽しみつつバスは行く。今日は大雨で、バスは盛大な水しぶきを上げて、ギャンギャンとエンジンを唸らせて進んでいく。ご存知の通り、管理人はバスの運転免許も所持しているのだが、こんな運転をしていたら永久に免許はもらえなさそうだ。しかし、ポルトガルでもだいたいこんな感じだった。そもそも、日本の運転手の技量が圧倒的に高いというわけだ。これは飛行機の操縦士でも同じらしく、日本の自家用ライセンスは、アメリカの事業用ライセンスと同じぐらいの技量だと言われることもあるのだ。

そんなことを考えていると、向かいに座っているバアサンが何か話してくる。しかし、今回は話が全くわからない。英語じゃあなかったのかと思う程だ。「すいません、よくわかりません」と謝ると「まあ、いいわ」と話すことを諦めてしまった。うーん、自分の英語の技量の無さを大いに知らしめられたし、さらに、バアサンと話ができなくてとても残念だ。もっと豪語について勉強してくるべきでした、反省。

停留所をいくつか過ぎて、15分ぐらい過ぎたところで「次のバス停だよ」と運転手が教えてくれる。果たして、大きな通りの何もない場所でバスを降りる。大雨だし、ここで良いのかと心配になるが、通りの向こうに郊外型の大型店舗「DFO」が見える。これは当方の持つ地図にも載っているし、そのさらに向こうに「Murbin Airport」がある。さらに、道沿いに博物館に関連する看板も出ている。やれやれ、何とか目的地に到着できる。

安心したら腹が減ってきたので、前述のショッピングセンターで食事をしていくことにしよう。この「DFO」という大型店は、日本で言えば「イオン」のようなものだが、各テナントの面積がだいたい倍ぐらいありそうで、ちょっとスカスカな印象だ。案内板に従って店内を歩くと、フードコートに出てくる。メニューを見ると、お気に入りの「今週新発売!! 11ドル50セント」の「Fish and Chips」があるので、早速注文する。

旨そうな料理が並ぶ

店員に呼ばれて取りに行くと、おいおい、こんなにたくさん誰が食うんだよ?という量が盛られた料理が出てくる。しかし、ここはオーストラリアなので、これが標準なのだろう。日本からすれば、ほぼ2倍の量と言えよう。さて、普通の「Fish and Chips」と言うと、白身魚のフライなのだが、こちらはエビやらイカもあり、なかなか食べ応えがあったと補記しておこう。

いつもの通りの山盛り

腹も膨れて落ち着いたので、博物館へ向かう。外は相変わらずの大雨であり、靴の中まで浸水してきた。当方は雨に濡れるのが大っ嫌いなのでこれには参ってしまうが、今さらどうしようもないので気にせず歩いていく。しかし、博物館は空港の中にあり、なかなかたどり着くことができない。そりゃそうだ、地方の小さな「Moorbin Airport」とは言え、ここはオーストラリアだ。短いながも4本も滑走路を備えている、本格的な空港である。広くて当然だ。

どこかなと思いながら、ウロウロしながら駐機してある飛行機を見て回る。どうやら、パイロット養成学校がいくつもあるようで、単発機だとセスナ172、Cirrus42、双発だとビーチクラフトのバロンといった、お決まりの訓練機が並んでいる。また、ジェットエンジン機だと、セスナ・キャラバンやビーチ・キングエアといった、上級の機種も見られる。

雑然と並ぶ飛行機

おっと、航空博物館へ行くんだった。いったいどこなのか。そう思っていたら、パイロット訓練生(教官?)らしき人がいたので、場所をたずねてみる。すると「ああ、この向こうの通りだよ」と教えてくれる。「楽しんでおいで」と親切なお言葉もいただいて、雨天で沈みがちな気分を晴らしてもらう。

5.航空博物館

さらに10分程歩くと、遠くに古めかしい飛行機が見えてくる。「あそこが博物館だ」とテンションも上がり、小走りになる。さて、その博物館はそんなに大きくないが、ペンキが塗られて小奇麗な外観だ。また、看板やプロペラが壁にかけてあるので、いかにもマニアが運営していますという雰囲気だ。HPを調べてみたところ、ボランティアで運営しているようなので、全くその通りだ。

この博物館の由来は1962年に「オーストラリア・航空機保存会」というボランティア会が「Beaufighter」という機体を保存するということが発端になっている。そして、それを皮切りに次々と歴史的な航空機を購入しては修復・展示をしている。最初は漠然と「死にゆく歴史的な機体を見るに耐えない」というメンバーの思いから始まった活動だが、年を重ねる毎に「オーストラリアの航空の歴史」をテーマとして所蔵機増やしてきているということだ。

中に入ると、マニアなジイサン達が集まっていて「見に来たのか」と声をかけられる。「そうだ、日本から来たんだ」と答えると「物好きだな」という顔をしている。そして、入場料の10ドルを払うと、写真紙でできたリーフレットをくれて、簡単に展示について説明してくれる。その中でもDC-9のシュミレーターや、B737のコクピットが興味をそそる。

展示機種はなかなかマニアなものが多いし、著作権ならぬ展示権?の関係もあるだろうから、すべてを紹介することはできない。ここでは写真を数点掲載する程度にとどめよう。

BEAUFIGHTER(奥)とBEAUFORTの頭部(手前)

この「BEAUFIGHTER」はこの博物館の原点であり、この機体を復元することが博物館の設立と大きく関係している。CAC社というオーストラリア製造会社製で、最も古い現存する自国社製の機体の一つだそうだ。

MIRAGE戦闘機

ご存知?フランスはダッソー社の戦闘機であり、いくつかの派生種が存在する。ダッソーといえばその昔「メルキューレ」という旅客機を製造・販売していたのだが、あまり売れなかったこともある。現在では「ファルコン」という3発のビジネスジェット機?を製造している。ダカールへ行く途中、成田空港でこの機体を見かけた事があると補記しておこう。

FIREFLY(奥)とDE-HAVILAND SEA VENOM(手前)

ちょっとわかりにくいが、SEA VENOMは尾翼の取り付けに特徴がある。つまり、胴体から2本の支えが生えており、その末尾に尾翼が固定されているのだ。また、FIREFLYは艦上に搭載される事を考慮され、主翼が折りたたみ式になっている。因みに、日本のゼロ戦も正式な名称は「0式艦上戦闘機」なので、空母に乗せられて発着する戦闘機なのだ。当然、折り畳み式の主翼を備えていた。

DC-9シュミレーター

DC-9と言えば、米ダグラス社の傑作旅客機だ。発売当時としては珍しく、100人以上の旅客を乗せいるにも関わらず、パイロット2名のみで運行されていた。写真の通り、コックピット内はアナログの計器で埋め尽くされ、パイロットの苦労がしのばれる。余談だが、同社のDC-8(羽田沖に墜落したあの機体)も、エンジンの数(DC-9の双発に対して、DC-8は4発)の違いはあるものの、基本的には同じような造りである。

屋外にも展示機があるので、ちょっと??紹介しよう。

VICKERS VISCOUNT

その昔、日本のANAでも運行されていた機種で、史上初のジェット旅客機である「COMET」とはある意味親戚と言える。というのも、イギリスでは戦後の航空輸送の激増を予測して「ブラバゾン委員会」という会議を開き、旅客機等の開発コンセプトを話し合っていた。その中に前述の「COMET」とこの機種が含まれていたのだ。また、ANAの売り文句には「タバコが立てられる」程に振動が少ない、というものがあったそうだ。

左からSAVORE、METEOR、GANNET、WESSEX

この中でも「SAVORE」は日本の自衛隊でも制式採用されていた。F-86と呼ばれたこの機体は、P51を製造していた「ノース・アメリカン社」の製品で、全天候型F-86Dはあまりにも有名だ。現在でも、航空自衛隊の小牧基地に展示されている。

この博物館はあまりにもマニアックであり、当方のような軽度の基地外には手に余るほどに充実した展示を誇っている。また、これがボランティアの人で運営されているということで、その熱意たるやまさしく規格外である。そのようなことは日本では考えられないが、海外では可能であるというその事実を目の当たりにし、驚くばかりである。

最後に事務所に戻り、書籍やらグッズを眺めて余韻に浸る。その中でも「B-29」に関する本がとても気になった。余程購入しようと思うが、部屋の本棚で色あせてしまってはもったいない。そう考えて、買うまでには至らなかった。しかし、今思うとこれは間違いであったと後悔している。

6.帰還

時刻は14時なのでちょっと早いが、明日は朝早くから「フィリップ島」へペンギンを見に行くので、ホテルに戻ることにしよう。相変わらずの雨模様の中、歩いて大通りまで行く。雨はますます酷くなり、道路も川のようになっている。当然靴の中はびしょびしょであり、とても気持ち悪い。こうして何とかバス停まで戻り、10分程待つとバスがやって来る。おや、往路と同じ運転手のバスだ。ただ、運転手は当方に気がついていないようで、淡々と運転をしている。

こうして駅まで戻って、電車に乗る。この後速攻で寝てしまったが、当方は終点まで行くので問題は無い。目を覚まして周りを見ると、相変わらずでかい人が多い。中には、ポテトチップスをバリバリと食べて、甘そうなでかいジュースを飲んでいる。そりゃ太るわけだ。

フリンダー・ストリート駅に到着し、路面電車57系統に乗り換えホテルに戻る。もう降りる停留所も覚えたので、さほど緊張することもない。人間には「慣れ」があり、わずか数日暮らしているこの街だが、昔から住んでいるような気になってくるから不思議である。

ホテルに戻ってくつろいでいたら、いつの間にか寝てしまった。2時間とはいえ、先に進むという時差のためか、ちょっと疲れていたのかもしれない。

7.まだまだ続くよ

目を覚ますと18時前だ。ちょっと腹も減ってきたので、食事をしたい。スーパーで食材を購入して自炊でもよいのだが、せっかくなので近所の商店街へ出かけることにする。さて、何を食べようかとウロウロしていると、レバノン料理を提供している店「Agraba」を発見した。オーストラリアは移民の国なので、様々な国から来た人々が暮らしている。もちろん、中近東から来ている人もいるので、こういう日本ではあまり見かけない料理の店も存在するのだ。

店と商店街の様子

ちょっと勇気がいるが、ボードには料理の説明が記されている。それによると「飯の上にのせられた魚の短冊に、粗挽きクルミ、コリアンダー、ニンニク、トウガラシがかけられていて、さらにその上にTahini Sauceがかけられている」ということだ。「Tahini Sauceとは何だろう??まあ、これなら食べられそうだな」という直観だけを頼りに、早速入店することにする。

席に着くと、いかにも中東の人という店員がやって来る。「ボードに記載のある、SAMEKI HARRAをください」とぎこちなく言うと、ボードに書いてある説明書きを丁寧に読んでくれる。そして「これで良いですか」と言うので「それを頼むよ」と返答する。店員は「ちょっと時間がかかるよ」と言い残して、オーダーを通しに戻っていく。だいたい、レバノン料理って何なんだろうか。レバノンって、首都はどこだっけ。ああそうか「ベイルート」だった。なるほど、ヨルダンやらイスラエルやらが隣国なのか、ちょっと興味があるのだが、国は渡航できる状態なのだろうか。

話は変わるが、以前勤務していた会社の取引先に、いつもぞんざいな返事をし、舌打ちをしながら話をする若造がいた。そいつはその行為が無礼であると気がついていないらしく、我々下請けの人間だけでなく、社内でもそういう態度をとっていたのだろう。いつの間にか「ヨルダン事務所」へ飛ばされていた。それは「ちょっと厳しい状況で揉まれてこい」という愛のメッセージだったのか、それとも「もう帰って来るな」という怒りの爆発だったのか、定かではない。

そんなことを思い出していると、料理が運ばれてくる。「え、Tahini Sauceってミルク??のソースだったの??」と驚いたが、今さら後へは引けない。意を決して食べてみると、んん、なかなかイケルじゃあないの。魚のフライは白身で淡泊だが、そのソースは甘みとトウガラシの辛味、ニンニク等の薬味が効いていて良く合っており、それらが食欲を増進させる。さらに、クルミの触感がアクセントになっていて、その風味も味に深みを加えている。これは今までに味わったことのない料理だ。

レバノン料理の「SAMEKI HARRA」

そうなのか、レバノン料理って米の上におかずをのせる「丼」的なものがあるのか。そういえば、セネガルでも「スプカンジャ」とか「ティブジェン」は米の上におかずがのっていたな。日本の丼が先か、西方からもたらされたものが日本で独自に進化したのかはわからないが、東洋の端から来た人間でも違和感なく受け入れられるものである。

さて、料理には薄く焼かれた「ナン」のようなものが添えられているが、こいつは別料金に違いない(ポルトガルでは、添えられているパンは別料金だった)。しかし、せっかくなので食べてみると、柔らかいタコスの皮という印象だ。こいつも前出のソースとも良く合い、なかなかイケル。

結局すべて完食して、オレンジジュース込みで24ドルを支払った。因みに、ナンは料金に含まれていたようで、別途の請求はなかったと補記しておこう。それにしても、24ドルとはよい値段だ。日本円にすると2,000円なのだから、いつも行く定食屋という感覚ではない。まあ、これがメルボルンの物価ということなのだろう。

腹も一杯になったので、スーパーに寄って明日の朝飯を仕入れていく。本当は牛乳とかジュースとか買いたいのだけど、やたらとでかいパックしかない。それはリンゴなどの果物や野菜も然りで、1㎏単位でしか売られていない。モノはすごく良さそうなものばかりなので、自炊して食べてみたいのだが、そんなに大量に買い込むと余る危険性が伴う。残念ながら、いつもの水と比較的小さな単位で売られているバナナを購入するにとどめておいた。そうそう、リンゴには「FUJI」と品種の名称が書かれている。そうか、日本のリンゴもいつの間にか、世界に進出していたのか。

やたらとでかい容器のジュースが並ぶ

店を出るといつの間にか雨はあがっており、明日は「フィリップ島」に遠出するのだから楽しみだ、と考えながら通りを歩いてホテルに戻る。テレビで天気予報を確認すると、にわか雨があるようだが、基本は晴れのようだ。よしよし、当方の「晴れ男パワー」が発揮されたかと浮かれつつ、風呂に入り、メモをつけて10時過ぎには就寝した。

本日の移動距離 100㎞ぐらいかな

第5日目(11月17日)その1へ続く