管理人 海外へ行く

~オーストラリア編~

2017年11月13日~2017年11月21日

ヤラ川にかかるClarendon Streetの橋上で

第6日目(11月18日)

1.朝からちょっと実験を

昨晩は遅かったが、7時には目が覚める。習慣とは怖いもので、こういうところで現れるのだ。いつものようにテレビのニュース番組を観ながら、行き先を検討する。午後から雷雨があると報じている。「こんなに天気が良いのにまさか」と思うのだが、これがよく当たるので、傘を忘れないようにする。

さて、話題変わって、南半球では洗面所などに溜めた水を流す時に、右回りの渦ができるのをご存知だろうか。「そんなこと常識だ」と思う方がたくさん見えると思うが、当方は実物を見たことがないので、今ここで実験してみようと思う。因みに、台風(オーストラリアではウイリー・ウイリーと呼ぶそうだ)の渦巻きも、赤道を境に北では左回り、南では右回りとなるのだ。これは地球の自転が関係しているのだが、この地球の自転を証明するために、フランス人の「フーコー」という人が巨大な振り子で実験をしたと理科で習ったことがある。

おお、確かに、水は右回りの渦を巻きながら流れていくではないか。初めて見たので写真を撮っておくが、残念ながらその様子を捉えることができていない。尚、動画サイトではこの様子をうまく説明しているものがあるので、興味がある方はご覧になると良いかなと思う。

右に渦巻いている

2.出発

さて、準備を整えて、9時頃にホテルのフロントで挨拶をして、路面電車の停留所へ向かう。今日は土曜日なのでいつも程は混み合っていないが、それでも通勤中の人々で少し混んでいる。運転台の様子を見ながら街の様子を楽しんでいると、ひときわ賑やかな通りへ到着する。ここは「Melbourne Central Station」駅で、終点の「Flinder Street」はまだ先だ。「今日はここで降りてみようか」という気になったので「降ります」と言って電車を後にする。

この通りには大きなバイク屋があるので、少し覗いてみる。もちろん、大半は日本製であり、CBRやYZFなどのSS系を多く展示している。どうもオーストラリアではこの系統が人気があるようで、日本と志向が似ているように思われる。このページのタイトルの通り、元々は主にバイクのツーリング記を掲載しているが、最近はこちらがイマイチであり、海外旅がメインになりつつある。これは、管理人の興味が移ってきているからであり、何か後ろめたい気持ちもある。しかし、管理人はそこまで原理主義的というか、厳密な人間ではないので、お許し願いたい。

通りのバイク屋の様子

バイク屋を過ぎると普通に店が並ぶエリアであるが、その中にオレンジ色でひときわ目立つ箇所がある。ここには網に入ったオレンジがたくさんぶら下げてあり、それを搾ったジュースを売る店のようだ。そう言えば、今日はまだ朝飯を食べていなかった。店頭に出ている黒板には「コーヒーとマフィンが6ドル」と書かれているので、ここで朝飯としよう。

ひときわ目を引く店

店内に入るとオレンジだけでなく、様々な果物を使ったスムージーがメニューにあることに気がついた。それも悪くないが、朝から甘いものもどうかと思うので、最初に決めたコーヒーとマフィンのセットを注文する。

お金を払いしばらく待つと、食事はすぐに提供される。そして、それを持って通りに面した席へ着いて、行き交う人や車を見ながらいただくことにする。今日は土曜日であり、クリスマスが1ヵ月先に迫っている。そのせいか、人々は浮かれ気分で楽しそうにしている。また、中国人を中心としたアジア人も多く見られ、当方がここにいるのもあまり違和感が無い。

通りに面した席から

3.知らない街を

食事を済ませて食器を返した後、通りを歩いて南下する。メルボルンは碁盤の目状に道路が通っているので、地図を見ながら通りの名前を確認していれば、自分の位置を見失うことはない。そして、角に「H&M」の建物がある「Bourk Street」との交差点に来ると、何やら騒がしい。それもそのはずで、イベントを行うために車両通行止めになっているのだ。ここは路面電車も通る交通量が多い、重要な通りなのだが、お祭りのために簡単に通行止めにしてしまうようだ。

お祭り騒ぎの「Bourk Street」

ああ、そういえば、電車の車両に通行止めのお知らせが掲示されていたな。そういうことだったのか。日本だったら経済活動優先で、こんなことはまずできないだろうが、ここはオーストラリアであり、それよりもクリスマスを楽しみ、人間らしい生活をしようというわけなのか。日本人って、いつまでたっても金がすべてなのかな。金は大事だが、たまにはそれを忘れてもよさそうなものだ。

そんなことを思いながら、その喧噪に紛れてみる。件のH&Mは派手に飾り付けられているし、通りに並ぶ店も同様に看板を出してお客を呼んでいる。当方は宗教を信じていないし、もちろんキリスト教徒でもないのだが、お祭り騒ぎの中に入るとなかなか楽しいではないか。別に何を買う訳でもないのだが、店に入って商品を眺めているだけでも嬉しく思われた。

H&Mも浮足立っている?

「Bourk Street」を東へ行き、1ブロック先の「Swanston Street」で南下、さらに「Flinder Lane」で西へ行き元の「Elizabeth Street」に戻ってくる。特に何をするわけでもないが、通りを歩くのは地元の人になったみたいでとても楽しい。まさしく「♪知らない街を歩いてみたい」である。そして、そのまま東へ歩いていくと図書館があることに気がついた。ここで調べものでもしてみようかな。と言うのも、友人にハガキを送るに際して、住所をメモした紙が行方不明であり、困っていたところだったのだよ。

その名も「City Library」と看板の出ている、やや古びた外観のビルへ入る。するとそこに受け付けがあり、ネエチャンがニコニコ !(^^)! して出迎えてくれる。

図書館の入口

図書館職員:ハア~イ

管理人:こんにちは。ちょっと調べものをしたいので、パソコンを使いたいんだけど。

図書館職員:いいわよ。登録はしているの?

管理人:いや、俺は旅行者なので登録はしていないよ。ちょっと調べものをしたんいんだ。

図書館職員:いいわよ。IDとパスワードはこれよ。3日間有効だからね。上の階(First level)の左に(パソコンブースが)あるから、どうぞ。

管理人:ありがとう。

豪語にもちょっと慣れてきて、1階は「Ground level」で、2階は「First level」ということも何とか理解できる。「Floor」でないところも、オーストラリアらしいのかな。そんなことを思いつつ、階段を上る。この図書館は思いっきり街中にあるのだが、館内は静寂に包まれている。さらに、この建物がとても歴史がある(ように見える)ので、その雰囲気もとても良い。こういうところなら、勉強もはかどりそうだ(嘘をつくなよ)。

確か左手にあると言っていたが・・・、あったあった。北側の窓際周辺にパソコンが並んでいるので、一番窓に近いものを選んで席に着く。そして、パソコンを立ち上げて、グーグルから友人宅の住所を調べた。世の中便利になったものだよ。そう感じつつ、ついでに街の観光地等を検索して必要な情報を手に入れておく。まったく便利な世の中だ。

4.移民博物館

1時間ぐらい情報検索をした後、再び喧噪の街へ飛び出す。さて、どこへ行こうかと地図を見ていると、目をつけておいた「移民博物館」が以外にも近くにあることに気がついた。ちょうど良いので「Flinder Street」へ出てから西へ歩いて、同博物館を目指す。

ここは何回も通っているので、そこに博物館があることはわかっている。それ故に迷うことはなかった。さて、博物館は外装の補修工事をしているようで、足場が組んであって雰囲気はイマイチだが、内部は影響なく見ることができるようだ。入口で入館料14ドル(1,300円)を支払い、早速館内を見て回る。因みに、建物は旧税関のものを利用しているということだった。

移民博物館

館内では移民が祖国から渡ってくる船に始まり、その所持品など興味深いものが展示されている。その船であるが、何か月も暮らす客室を再現したスペースがある。それはおよそ広いとは言えず、またベッドも木の板でできた簡素なものだ。ツーリングで北海道へ渡るフェリーの寝台よりも硬そうであり、部屋のスペースはその寝台通路、そして向かいの寝台を合わせたぐらい、約3畳ぐらいだろうか。そして船そのものも、小さなものではないが、嵐に遭遇したらかなりの困難が予想されるものだ。

また、移民の志を紹介する10分程度の映像がある。「移民は何を求めてやってくるのか」という部分では「自由、お金、希望」など、その人々それぞれに目的があったようだ。特に「ゴールドラッシュ」に沸いた19世紀の半ば、はとても多くの人がやってきたそうだ。もちろん、日本からの移民もいたようで、映像の端々に「日本人か?」と思われる人々が登場しているところがあり、ちょっと嬉しいではないか。

ただ、移民は新天地でもとても苦労しているようであり、原住民の「アボリジニ」との共生やら、土地の開墾やら、多くの困難に向かっていく必要があったようだ。また、移民により既得権が奪われる(先に移住していた人々の失業など)こともあり、特に中国人等のアジア系の人々の流入制限がなされた時期もあったらしい。これはまさに今後の日本が直面する事態であると想像できるので、とても興味深い話題である。因みに、現在は制限なく移民を受け入れてくれるようだ。

さて、もう一つ、とても興味のある展示を発見する。それは、豪語と米語の違いを示したものだ。それは、同じ文をそれぞれの言語で読み上げ、その違いを古めかしい再生装置で聴くというものだ。一応英語学を専攻していた人間としては、これは外すことはできない。早速ヘッドホンをかけて、再生音に注目する。なんだ、全く違うじゃあないか。詳細は書き留めていなかったので覚えていないが、まるで別の言語である。オーストラリアに来て、今までの海外旅行では、一番言葉に苦労しているのだが、ある意味わからなくて当然と言えそうだ(と弁明しておく)。

中学校の英語の授業で習った方も多いと思うが、オーストラリアには英国(厳密には英連邦北部)の人々が多く入植している。その地方の英語(北部方言)は、母音「a」(エィ)を(アィ)、「e」(イー)が「エィ」と発音されるだけでなく、単語の使い方なども結構異なる。

例えば、1990年代に活躍したWGPの王者「ドゥーハン」がよくインタビューで聞いた一文「I had a hard race」であるが、いつも「アィ ハド ア ハード ライス」って言っていた。友人が「コメを炊くときの水が足りなかったのか」と冗談めいていたが、そのように突っ込みたくなるのは自然の事である。

ここで思うのは英語と一口に言っても、その形態は様々だということだ。今まで旅をしてきた国々は英語を母国語としていない国ばかりだ。しかし、観光客の相手やビジネスでは英語を使わなくてはいけない場面が多くある。すると、正式に習ったわけでもないが、見よう見まねで英語を使うことができるように訓練する人々が誕生する。こういう英語を「ピジン」(ビジネスが訛った音)と呼ぶのだが、これは大学の授業で聞いたことがある。ダカールの旅で出会ったタクシー運転手はまさにその類に当てはまる、いや、彼の場合はそれよりも遥かに流暢に話していたから、既にその域は卒業していたか。

とにかく、言葉の違う国々を旅していると、管理人の今までの知識の蓄積なり、訓練なりが報われる気がしてくる。いやはや、単純に興味のある方向に向かって専攻を決めて、就職では大いに失敗しているのだが、こうして趣味の分野でそれらが花開くとは嬉しい限りである。

そんなことを思いつつ、ロビーに移動すると「Hope Tree」と題した、多くの短冊が取り付けられた笹飾りが展示してある。さながら、日本の七夕飾りであり、中国からの移民が持ち込んだもののようだ。

5.昼飯を求めて

時計を確認すると、既に12時を回っている。どうりで、腹が減ってきたわけだ。ということで、博物館を出て食事をしに行くことにする。ガイドブックでは「クラウンにフードコートがある」と記されている。この「クラウン」って言うのは、ホテルやカジノ、ショッピング街が集まる複合施設のことであり、テニスやF1の選手なんかも訪れるということだ。ここがちょうど近いので、歩いて行ってみることにしよう。

博物館から2、3ブロック西へ歩いて、水族館のある交差点を左折し「キング通り」を南下すると大きな橋を渡る。この下を流れるのが前述の「ヤラ川」であり、とても綺麗な川だ。そう思いながら橋の上で景色を眺めつつ、写真を撮る。すると、オバサンが「一枚撮ってあげようか」と声をかけてくる。「それはいいな、じゃあお願いしよう」ということで、写したものが冒頭の写真である。因みに、この写真はパソコンのデスクトップ上に表示しているよ。

さて、前述のフードコートに到着したのだが、今日は土曜日である上にちょうど昼飯時である。よって、ものすごく混んでいて席もない。また、結構やかましいので落ち着いて食事もできないだろう。そう思いながら外へ出で、川沿いに歩いて別の店を探すことにする。それはそうと「クラウン」の向かい側には「メルボルン・コンベンション&エキシビションセンター」がある。まあ、その名の通りで会合やら展示をする建物なんだけど、目下開催中なのは「SEXPO」と言うイベントのようだ。とてもでかい看板が出ているし、トラムにも宣伝の看板が出ている。帰国後に調べてみると「SEXPOは単なる性的なイベントではなく、あらゆるライフスタイルや性の選択を認めるものだ(管理人訳)」とHPに記載がある。ああ、なるほど。要するに性の多様性を認めようというものなのだろう。因みに、オーストラリアではその辺りはかなり寛大らしく、ゲイやらニューハーフやらのイベントが大々的に開催されているようだ。

SEXPOの看板

「SEXPO」にちょっと気を取られつつ、さらに川沿いに歩いていく。今日は天気が良くて、水際はとても気持ちが良い。そう思っていると、目の前には「ポリーウッドサイド」という船の展示が見えてくる。これは、1885年にイギリスで建造された貨物帆船であり、20世紀初頭にはオーストラリアとニュージーランドを行き来していた由緒ある船だそうだ。中も見られるのだが、今回は食事を優先するために止めておいた。今思うと後悔しきりである。

ポリーウッドサイド

その先には「サウスワーフ・プロムナード」と呼ばれる地区があり、ここには多くの店が軒を連ねている。中には「赤ちょうちん」を出している所もあり、興味深い。そして、その中に割と普通な店「Charlie Lovvett」を選択して、中に入る。ここで「シグニチャー・バーガー(17ドル)とレモネード(6ドル)」を注文する。ちょっと高く感じるのだが、これがメルボルンの物価水準なのだ。

川沿いのウオークボードの様子

注文後は立札をもらい、川に面したオープンスペースで友人達へのハガキを書いたり、景色を眺めては涼やかな空気を胸いっぱいに吸ってくつろぐ。すると、ハンバーガーが先にやってくるので、早速いただきます。おおー、バンズがパリパリで小麦の風味が良いし、パティは15㎜程の厚さで超ジューシーで肉の味が楽しめる。こんなのを食べると、マОドナルドのものなど食えたものではない(海原雄山風に)。しかし、脂分も豊富なので、飲み物が欲しい。おーい、レモネードはまだか。そう思いつつもハンバーガーを完食してしまう。

旨そうなハンバーガーでしょ?

さらにレモネードを待つが、一向に持ってくる気配がない。そこで、自ら注文カウンターに出向いて「レモネードが来ないぞ」と催促をする。すると店員が「え、他に何かたのんでいたのか?」と言うので、レシートを見せる。「ああ、申し訳ない。俺のミスだ。最優先で準備するから、待っていてくれ」と言い、厨房へ走って行った。人間誰にでも間違いはあるので、いいってことよ。

果たして、5分程でレモネードが出てきた。待ち焦がれていたぜと一口飲むと、メチャクチャ旨いじゃあないですか。だって、レモンの他にも、熱帯系果物(マンゴー?)も入っているようで、甘さと酸っぱさのバランスがとても良い。さらに、日本ではお馴染みの着色料や香料は一切加えられていない。これが本物の風味なのだろう。

こいつも絶品!!

6.川沿いを散策

レモネードを片手に、川沿いをウロウロする。そして何気にガイドブックを見ると「ビクトリア・ポリスミュージアム」を発見した。これはちょっと面白そうなので、それが入るビル「ワールドトレードセンター」へ向かう。この辺りは人通りが少なく、何となく薄暗い。川沿いの賑わいからすると大きな落差があり驚くが、特に危険はなさそうだ。そして、ビルに入り「ポリスミュージアムはどこですか」とたずねてみる。すると「週末はお休みなんですよ」と言われてしまった。なんだよ、週末に開いていてくれなくては困るでゴザルよ。

でも休みなのは仕方ないということで、トラム35系統左回りに乗り「フリンダー・ストリート駅」へやってくる。前述のように、ここは観光の中心地的な存在だ。だから、特に何もなくても、とりあえずここへ来て考えることにしたのだ。おや、向かいの「セント・ポールス大聖堂」は随分と賑やかだ。それもその筈で、結婚式が行われていたらしく、ちょうど新郎新婦が馬車で退場する所だった。そういえば、何日か前に馬車に乗った、結婚したばかりですよと言わんばかりの男女に出会い、管理人にも手を振って幸せを分けてくれたっけな。もっとも、それが何年続くかは疑問なのだが。また、馬車は2頭立ての「2馬力」であり、豪華仕様だ。また、周囲では多くの人が祝福しており、特に若い女性は羨ましそうに新婦を見ている。まあ、どこの国でもそういう傾向には変わりはないようだ。

賑やかな結婚式の様子

7.芸術家気取りで

その後、ちょっと芸術にも触れてみようと、昨日ツアーのバスが出発した場所にある「イアンポッター・センター」へ行ってみる。ここは大部分の作品が無料で見られるので、当方のような芸術音痴でもお金を無駄にすることがない。建物に入ると、係員がやってきて「背負っている荷物は、カウンターで預けてください」と注意される。おお、そうか。そりゃそうだ、大事な作品に何かされてもいかんし、盗まれでもしたら大変なことだ。もっとも、管理人は芸術はさっぱりわからない口なので、そんなことをするわけもなかろうに。

「フーン」と思いながら作品を眺めただけなのだが、それぞれが自分という存在を示そうと、作品にその熱い思いを傾けて製作したということはよくわかった。こういう作品が良い作品なのかもしれないな、とわかったような気になった。

因みに、ガイドブックによれば「シドニー・ノーラン、アーサー・ボイド等の有名な画家の作品が見られる。アボリジナルアートのコレクションも有名で・・・」とあるので、かなり価値のあるものが展示してあったようだ。

8.天気予報恐るべし

芸術を大いに楽しんだ??後、外に出てみると天気が悪くなっている。時刻は16時30分を回っているし、疲れたのでそろそろ帰るとしよう。また、いつものようにトラム57系統に乗って帰ればよいのだが、今日はメトロ線に乗って「北メルボルン駅」で下車することにしよう。Mikiカードを改札でかざし、北行きの電車で1駅行くだけなのだが、いつもと違う道程は新鮮に映るものだ。

そんな感じで駅を降りるが、天気はさらに悪化している。まさに「Thunder Storm(雷雨)」である。今日も天気予報は見事に大当たりである。しかし、これは酷い。傘なんて役に立たないじゃあないか。そう思いながら雨が弱まるのを待つが、増々ひどくなる一方だ。これではいつまで経っても帰ることができないので、意を決して駅を出る。ウヒャー、こんな大雨と雷はひょっとしたら初めてかもしれない。時間雨量が50㎜はありそうだ、などと感心している場合ではない。落雷で命を落とすのではないか、と心配になる程だ。

道路はまさに川のようになっており、足をすくわれないかと思われる程だ。そんな中でもホテルの方向を見失わないように「ホーカー・ストリート」の看板を見つけて、それに従って歩いていく。

土砂降りだ

上半身以外はビショビショになっていて、どうせならば街でコーヒーでも飲んでゆっくりしてくればよかったと後悔する。しかし、歩かなければホテルには着かないし、雨も雷も一向に収まる気配がない。必死になっていると、通りにあるアパートの1階で大きな男が手招きをしているのが目に入った。ホテルまでは500m程だが、これは好意に甘えるしかなかろうということで、ベランダから中に入れてもらった。

彼はこのアパートに住んでいる「アレキサンダー」という人で、会社員だそうだ。「俺は日本から来た管理人だ」と名乗り、握手を交わす。特に何かについて話したというわけでもないのだが、同じ四輪車を持っているとか、今日の雨は特別に酷いとか、そんなたわいもない会話を楽しんだ。

9.帰還

雨が弱まってきたところでアレキサンダーにお礼を述べて、坂を上ってホテルに到着した。早速部屋に戻って、濡れた服を着替える。また、ズボンは1着しか持っていないので、シャツと一緒に乾かそうと洗濯室で乾燥機にぶち込んでおく。その際、フィリピンから来たという男性と、これまた「今日の雨は酷かった」とか「1ヵ月滞在している」などと世間話をして楽しんだ。

部屋の前に来るとカードキーを部屋の中に忘れた事に気がついた。ああああーー、何てことだ。仕方ないのでフロントに行き、事情を話す。すると、あっけなく新しいキーを発行してくれた。どうやらそんなことは日常茶飯事のようで、お客の当方が気にすることでもなかったようだ。

かなり疲れていたようで、ベッドに横になると少し寝てしまったようだ。そして1時間ぐらいウトウトした後、喉が渇いて目が覚める。よだれを拭き拭きコーヒーを淹れ、ついでにビスケットで軽い夕食にする。

今日もいろいろあったな、と日記をつけて振り返る。やっぱり、今日は街で雨が止むまで時間を潰してきた方が良かったかも、いやいや、アレキサンダー氏の好意を受けることができて、それもまた楽しかったではないか。

さて、明日はどこへ行こうかな。

第7日目(11月19日)へ続く