管理人 海外へ行く

~オーストラリア編~

2017年11月13日~2017年11月21日

戦争慰霊館の入口に建つMARUIS of LINLITHCOW

第7日目(11月19日)

1.いつものように起床

今日もいつものように7時に起床する。テレビでニュース番組を観ながら出かける準備をするのだが、この頃になるとすこしずつ理解できる内容が増えてくる。これぞ、英語の学習効果というもので、人間の順応性について自ら自覚する。このように、できないことができるようになるのはとても嬉しいことであり、本来学習とは嬉しいものなのだと再認識する。しかし、それが強制されたものであったり、効果を実感できなかったりすると意欲も減退してしまうのだろう。教育の方法如何では、その人の能力を大いに向上させることができるのだろうが、今の日本にそんなものがあるのだろうか。

今日も贅沢に、朝食は近所の店で食べることにする。まあ、旅行に来ているのだからたまには良いではないか。そう思いつつ、近所の商店街にある「TOAST KICHEN」という店を選んで、道路に面した席に着く。

この店にしよう

すると女性の店員がやって来たので「朝飯のおすすめはあるかな?」とたずねる。すると「Bircher Muesliなんかどう?」と回答があった。「それは何??」と聞き返すと「ヨーグルトに浸した大麦で、オレンジジュースに浸したクランベリーがふりかけてある」ということだった。大麦(oats)は「オートミール」なんかで食べられているので、朝飯にはちょうど良さそうだ。

「じゃあそれを一つ。あと、カプチーノもね」と注文を済ませ、まぶしい日差しを感じつつ、今日の予定を考える。さて、どこへ行こうかな。地図を見ながら考えていると「サウスメルボルン・マーケット」なんてものがあることに気がつく。ああ、日曜日の市場なんておもしろそうだな、ひとまず行ってみようか。そう考えてトラムの系統番号を調べていると、件の「Bircher Muesli」がやってくる。おお、何か甘い匂いがして旨そうじゃあないか。いただきます。

今日の朝飯(カプチーノの模様はサービス)

ヨーグルトの水分を吸った大麦のジョリジョリした食感が新鮮で、説明のあったクランベリーが酸っぱさと甘さを同時に供給してくる。また、ココナツがふりかけてあるので、繊維質の食感がまた良いアクセントになっている。このような食べ物は今まで食べたことがないのだが、素直においしいと思える。いいじゃあないか、とバクバク食べていく。すると、だんだんと甘さが少しずつ腹にたまってくる。それ程量があるのでもないのだが、大麦も結構重くのしかかってくるので、ダブルパンチだ。

最後は少々苦しんだが、この「Bircher Muesli」を何とか完食し、カプチーノで甘くなった口の中を整える。やれやれ、残すは日本人のポリシーに反するので、完食できてホッとしたね。12.5ドル+3.5ドル=16ドルを支払って、店を出る。

2.いざ、出発

目の前は路面電車が通る道なので、その端にあるいつもの停留所からトラム57系統に乗車する。時刻表をよくよく見てみると、ウイークデーの朝は6分から10分間隔で運転されているようで、かなり利便性が高い。これならば車で出勤するよりもずっと効率的だと思われるし、環境にもやさしいことうけあいだ。そう思っていると、電車がやってくるので、早速乗車する。今日は日曜日なのでかなり空いており、座ることができた。

この後「Bourk Street」で96系統に乗り換えて、数駅行けば市場へ到着である。メルボルンの良い所は、大都会をほんのちょっと離れるだけで自然豊かな風景に変わる所だ。また、記載しているようにトラム網が充実しており、利便性もかなり高い。そんなことに感心しつつ歩いていくと、まずはでかい駐車場が見えてくる。また、密封されていない屋根の建物には「SOUTH MELBOURNE MARKET」と出ており、それと見てすぐにわかる。中に入ると、小さな商店が無数に軒を連ねており、まさに「MARKET」である。

SOUTH MELBOURNE MARKET全景

さて、ガイドブックによれば、この市場はメルボルンで一番古いそうだ。ホテルの近所にある「ビクトリア・マーケット」という大きな市場があるが、それよりも古いそうだ。また、火事になったりしたものの、1980年代に再建されたそうだ。関係無いが、火事と言えばアニメ「ちびまる子ちゃん」の「長沢君の家が火事になる」というお話だろう。まったくシャレにならない話であり、今だったら放映できないんじゃあなかろうか。

話を戻すと、ここには食料品はもちろんのこと、家具、雑貨など、欲しいものはここですべて手に入ると思われる程充実した品ぞろえだ。もっとも、それが安いのか高いのかはわからないが、この賑わいから推測するには多分「安い」のだろうと思われる。また、ちょうどクリスマスシーズン中であるからだろう、各店は「SALE」の札を出して客を呼んでいる。

まあ、別に何を買うわけでもなく、ブラブラと歩いて回る。その中で、かばんやスーツケース等を売っている店を発見する。ちょうど、今使っているバックパックがくたびれてきているので、新しいものを求めてもよいかなと思い、中に入ってみる。ええと、40Lぐらいのちょっと大きめのものを探すが・・・、結構な値段が付いているなぁ。確か今使っているものは2,000円程度だったと記憶しているし、十分に使えているのだからそんなに高いものを購入することもなかろう。そういうわけで、何も買わずに店を出る。

食品売り場が並ぶエリアへ入ると、さすがはオーストラリアと思わされる。肉屋ではでっかいソーセージなどが吊るしてあるし、野菜やくだものは区画毎にゴロゴロと並べてあり、いかにも市場という様相を呈している。そして、魚屋では大きなマグロやタイが、冷蔵ケースに窮屈そうに並んでいる。そしてその店の外にはテーブルが置いてあり、そこで買った魚介類を食べることができるようだ。

野菜は山積み

肉屋は豪快

魚も新鮮だ

これは見逃す手はなかろうということで、早速ケースの中を覗いてみる。刺身もあるのかと思い札を見てみると「SASHIMI TRAY」と書かれている。おいおい、いつから刺身が英語になったのだ??日本っていつの間にか、国際的に(この場合オーストラリアに限った話ではあるが)ここまでの影響力を持ったのだろうか。そんなことを思いつつ、刺身ではなくカキが旨そうだったので、これを食すことにする。

店員を呼び「カキを2つ」と言うと「たったの2つかい??」と言われてしまう。だって、1人なんだから、それで十分だろう。「そうだ、たったの2つだよ」と皮肉交じりに言うと、ケースから2つ出して「3.6ドルね」と。お金を払い、イートインスペースでレモン汁を振りかけて食べる。んーー、新鮮で超旨いじゃあないですか。潮の香りが混じったカキの味は絶品である。どうせなら10個ぐらい食べても良かったが、朝飯がかなり腹にきているのでこれで満足できた。

こちらのカキを2つくださいな

3.戦争慰霊館へ

市場の雰囲気も楽しんだので、再び街へ戻るためにトラムに乗る。さて、このトラムはなんと「ボンバルディア」製である。この製造会社の名前を聞いて反応する人は、おそらく飛行機にいくらか興味を持っている方だろう。そう、全日本空輸や日本エアコミューターが導入しているDASH8シリーズを製造している、カナダのあの会社だ。そして、この会社は電車なんかも造っているのだ。しかし、このトラムはメルボルンで製造されているようだ。いわゆる現地生産というやつだ。

さて、能書きはそれくらいにして、トラム96系統でホテル「クラウンプラザ」付近へ戻り、ここで環状線35系統に乗り換える。さらに、セント・キルダロードを走る64系統に乗り換えて「Shrine of Rememberance」の停留所で下車する。ガイドブックによると、ここは20世紀前半の戦争に行き、犠牲となったオーストラリア人の慰霊施設である。また、第一次世界大戦に出征して復員した建築家2名が設計に携わっているようだ。

両側に木が植えられた長い境内?の向こうにある、あれが慰霊館だ。今日は超がつく快晴だが、ここを歩いていると何か重いというか、寂しい空気が流れてくる。お、誰かの像があるな。これが冒頭の写真、最初のオーストラリアの統治者である「MARUIS of LINLITHCOW」の像である。

戦争慰霊館の境内

館内に入り、カウンターに行って「ガイドツアーがあると聞いたが」とたずねてみる。すると「ツアーは11時と12時30分からで、34ドルかかるよ」ということだった。あれ、ガイドブックの記載と違うし、34ドルってちょっと高過ぎじゃあないか。また、ツアーだとどんどん進んでいってしまうので、ゆっくり見られない。関係無いが、当方は高校ぐらいから授業の進行速度についていけなくなってしまい(要するに頭が悪いのだと思うが)、自分のペースを守るようにしてきている。その方が、結果として上手くいくことが多いからだ。

そういうことで、一人で銘板を確認しつつ内部を見学することにする。ホールから薄暗いトンネルみたいな所へ入ると、勲章が飾ってある場所がある。ここは「メダルのギャラリー」と呼ばれていて、ちょっと写真を撮るような雰囲気ではなかったので眺めるだけとしておく。壁に直径4、5㎝のメダルがびっしりと展示してあり、1899年のボーア戦争からの犠牲者に贈られたメダルを展示しているそうで、40mの壁に4,000個のメダルを展示しているそうだ。その眺めは圧巻であるが、これは犠牲者の数だと知るとちょっと恐ろしくなる。

上の階に上がると「忘れちゃいけないのギャラリー」では様々な展示があるが、まず目立つものとしては「救命ボート No.5」である。これは1915年4月に「ガリボリの戦い」で使用されたものだ。また、ヴィエトナム戦争時のオーストラリア空軍の空爆の様子を表した航空機(機種は不明)模型、さらには第一次大戦時の飛行兵の服装なんかもある。その一時対戦は航空機が使用された初めての戦争だが、その服装があまりにも旧式だ。革製のジャケットを着用しているのはわかるが、金属製の甲冑みたいなものも使用されていたようだ。軽量なことが求められる空の世界では、ちょっと考えにくいと言えよう。

あと、印象的なものとしては「戦地からの手紙」である。戦地の気候の厳しさ、戦闘の悲惨さ、そして兵士の郷愁の想い、それらが生々しく綴られている。今でこそ通信手段は多様化し、手軽に連絡ができる。しかし、戦争では手紙のみが唯一の手段であろうし、そのやりとりは唯一の精神的な支えとなったに違いなかろう。

さらに上の階へ上ると、中二階的な階で礼拝が行われているようだ。当然騒いではいけないので、こそこそとさらに上の展望台へ向かう。ここからはメルボルンの市街地が一望でき、涼やかな風が吹いてきて心地よい。ああ、メルボルンはすごい都会だ。しかし、ほんの少し離れればこのような自然豊かな公共スペースが存在する。「住みやすい街 No.1」と言われる所以だろう。

中二階から市街地方向を見る

慰霊碑を離れ、緑豊かな周囲を散策する。それもそのはずで、この慰霊館は王立植物園に隣接(いや敷地内にあるのか?)しているのである。しかも、こちらは53ヘクタールもの広さを誇り、しかも入場は無料である。

4.市街地の反対側へ移動

全部は見て回れないので、少しだけ楽しんだ後に通りに戻ってトラムのを捕まえる。そして「フリンダー・ストリート」で75系統に乗り換えて「ジョリモント・ロード」の停留所で下車する。ここには「キャプテン・クックの家」があるので、それを見に来たのだよ。

そのクック船長だが、ご存知の通りイギリスの船乗りであり、オーストラリアの東海岸やハワイ諸島に到達した人だ。また、それらを含めて3回の航海を基にして、海図の製作も行ったそうだ。そして、案内の銘板によると、そのクック船長がイギリスに暮らしていた時代の家を、今もメルボルンの通りの名前として残っている「ラッセル」さんが買い付けて、メルボルンに移築したということだ。

トラムを降りて公園案内所へ行き、家の入場券を購入する。え、係の人は日本語で応対してくれるではないか。「日本人なんですね」と話すと「そうですよ」と。彼女は7年前にオーストラリアに移住して、こうして仕事をしているということだった。「そうなんですか」と感心しつつ6.5ドルを支払い、切符と案内パンフレットをもらう。こちらはもちろん日本語版なのだが、できれば英語版の方が良かったが親切をありがたく頂くことにする。

クックの家

家の中には前述の3回の航海の概略図や、イギリスの生活の様子を再現してあり興味深い。その中で、寝室を再現してあるコーナーがあるのだが、ベッドの上にはバンジョーのようなものが置かれている。これはいわゆる「湯たんぽ」なのだが、中身には暖炉にくべた石炭を入れるようだ。だから「石炭ぽ」ってことになるのかな。説明板によれば「注意深く取り扱わないと火事になる危険がある」と書いてある、危険なものなのだ。

また、英語の表現で「Sleep tight」というものがあるそうだ(知らなかった)。これは、ベッドのマットレスが馬の毛等で織られていて、定期的に締め直さないとバラバラになってしまうことから、締める(Make the mat tight)に由来しているそうだ。

当時の寝室

庭に出てみると、クックの銅像が見える。なかなかのイケメンであるなと思うが、この類のものはたいてい「美化」されているものだから、話半分ぐらいで解釈する方がよかろう。

それはそうと、その横には「Scurvy Grass」というホウレンソウのようなものが栽培されている。これは、クック船長が航海中に発生するビタミン欠乏症の「壊血病」を防ぐために、船上に持っていったものだそうだ。そのおかげで、航海中の病気を防ぐことに成功したということで、この点でも船長は偉業を成し遂げているのだ。

ナルホドと思っていると、太っちょのおばさんが来てホウレンソウの葉をちぎり、食べてしまう。そして「あら、ただのホウレンソウねぇ」と当方に話してくる。「そうなんですね」と相槌を打っておく。洗わないで食っても大丈夫だろうか、そんな細かいことは気にしなさそうな人であった。

未知の世界を探して航海に出る、何ともロマンがあるように思われる。しかし、当時はあらゆる意味で「命がけ」のものであったようだ。

クックの銅像

5.フィッツロイガーデンから消防博物館へ

さて、クックの家は「フィッツロイガーデン」と呼ばれるとても綺麗な緑地の中にある。大きな樹木が初夏の強い日差しを遮り、芝が植えられた広いエリアはとても良く手入れが行き届いている。日本にもこういった公園はあるだろうが、やはり大きさが違う。もちろん、国土が広いので比べるまでもないのだろうが、このような大都会の真ん中であってもこれだけの広さの緑地を設けることができる、という事がオーストラリアっぽい。こちらは温室もあり、アジサイなど多種多彩の花が栽培されている。

フィッツロイガーデンの様子

気分よく芝の小路を抜け、公園を出る。そのまま「ランスドーン・ストリート」を歩いて行くと、巨大な塔が3本もそびえ立つ大きな教会が見える。これは「聖パトリック大聖堂」であり、ちょっと気になるので見ていくことにする。まあ、と言っても別にキリスト教徒でもないので、内部にあるキリスト誕生他の絵であるとか、十字架にかけられたキリストであるとか、定番のものを見ては雰囲気を感じていく。ただ、高い天井と窓にはめられているステインドグラスには、毎度ながら感心する。

聖パトリック大聖堂

次に、近所にある「消防博物館」へ行ってみる。もちろん、こちらの方が教会よりは興味がある施設だ。古い建物であるが、造りはしっかりしている。中に入ると、ピンバッジやTシャツなど土産物が多く売られていて、それを見るだけでも面白い。そう思っていると、いかにも定年後にここで働いているという趣のジイサンが出てきて「10ドル払ってね」と言う。しかし、うなずいて払おうとするとそのままどこかへ行ってしまうではないか。

「え、入場料を徴収に来たんじゃあないのか」と戸惑ってしまう。ここは「たぶん中で払うんだろうな」と解釈して、そのまま入場する。最初は消防服の変遷がわかるように、実際に使用していたと思われるものが古い順に展示してある。昔のものは随分と頑丈で重そうなものなので、こんなもので素早い活動ができるのかと心配になってしまう程だ。次のコーナーでは、アメリカの「9.11」の時に殉職した消防士の名前が書かれたアメリカ国旗がある。その名も「ヒーローの旗」だ。そして、その隣には他国の消防服も展示されている。もちろん、日本のものもありました。

ヒーローの旗と各国の消防士たち

この辺りで「いつになったら料金を払うのかな」と疑問が沸いてくるのだが、ちょうどその頃に「おい、金を払ったか」とさっきのオヤジが出てくる。「いや、まだだよ」と言うと、ちょっと怒ったように「今払えよ」と言う。そりゃそうだと思い10ドル札を手渡すと、いい加減に切り離された鉄道の切符みたいな半券を渡される。いやあ、払うのはいいんだけど、さっき入口で徴収してくれよなぁ、怒られても困るんだけど。

そう思いつつ、展示を見ていく。スペースを一番多く使っているのは、車両達だろう。馬車から始まって、大戦前に製造されたと思われるクラシックなもの、イギリスの「オースティン社」の車両など、なかなか見ごたえがある。そして、ここでは小さな男の子達が大はしゃぎで喜んでいる。そりゃそうだ、男ならば、だれでも車などの乗り物に興味を持つものだ。いや、それは大人になっても変わらないのではなかろうか。

火が回った頃に現地着か?

初期のはしご車

オースティン社製消防車

それにしても、古い車両を見ると「こんなもんで火事が消せるのだろうか」と疑問を抱いてしまう。馬に水槽やポンプを引かせて現場まで行き、人間がポンプをヒーヒー言いながら漕ぐわけだから、その消化能力は現在よりもずっと劣るものだっただろう。ところで、消防車のポンプは、単位時間あたりどのくらいの水を放出できるものなのだろうか。架装メーカーで有名な「MORITA社」のページで調べると「消防ポンプ自動車 C-DI型 S TYPE」では、毎分2,660Lの水を放水できるようだ。

また、展示車の中には、自力で走行して寄付金を稼いだという車両も展示してある。これは「Hotchkiss Fire Engine」と呼ばれていて、24人のメルボルン消防局員が「ANZAC DAY」のために寄付を募りながら伴走し、トルコの「ガリボリ」からイギリスの「ロンドン」まで走行したもののようだ。その「ANZAC DAY」だが、調べてみると第一次大戦で亡くなった兵士を追悼する、オーストラリアの記念日ということだ。何かピンと来ないが、日本で言う所の終戦記念日がそれに近いのかもしれないな。ここで、先ほどの戦争慰霊館のメダルの展示と、このイベント走行が繋がる。オーストラリア人にとっては「ガリボリの戦い」は大きな出来事だったのだろう。

こんなんで走ったのか??

6.さらに近隣を散策

消防の歴史を学び楽しんだ後、トラムに乗ろうと強い日差しの下停留所で待つ。しかし、なかなか電車がやって来ない。仕方なく汗をかいて「Macarthur Street」を歩いていくのだが、その数分後に電車が通り過ぎて行った。何だよ、まったく。ちょっと不機嫌に道を歩いていくと、対向車線から馬車が上ってくる。よくよく見てみると、そこには結婚式を終えたばかりと思われる2名が乗車しており、こちらに手を振ってくれる。「やあ、どうもどうも」とこちらも手を振りつつ顔を見てみると、どうやら日本人のようだ。

公道を馬車が行く

ちょっと幸せな気分を頂きつつ、今度は「旧大蔵省ビル」へ向かう。ここも博物館になっていて、メルボルン市の歴史をゴールドラッシュを絡めて紹介する施設だ。さて、そのゴールドラッシュにより、1860年代に大量の金がメルボルンに流入することになる。そして、それをしっかりと管理するために建てられたのがこの建物だ。設計は「JJクラーク」という建築家であり、ルネサンス復興様式を採用しているということだ。また、地下には金を保管する倉庫、階上は役人の事務所など豪華な部屋となっている。

豪華なつくりの旧大蔵省ビル

ここの展示で興味を持ったのは、倉庫だった地下に展示されている「1862年当時のメルボルンのパノラマ写真」だろう。もちろん道路は舗装されておらず、現在に比べたら土地もスカスカであるが、よく見ると先ほど訪れた「パトリック大聖堂」の姿が見える。そして、それらを2012年の写真と比べられるところも面白い。

もう一つ、ここで見逃すことができないのは「森の警備員ネッド・ケリー」の展示だろう。ゴールドラッシュで多くの人が押し寄せて、治安の悪化が問題になったようで、その警備をするのが彼だったということだろう。そのケリーの防具が展示されているのだが、こんなものを着て活動していたとは。相当の体力を持っていたのだろう、と感心しきりだ。

警備員のヨロイ

7.ちょっと休憩

連日の暑さのせいだろうか、少々疲れてしまった。そこで、休憩がてらにトラム48系統に乗り、港がある「ドックラン地区」の公園へ行ってみる。「案外何もないな」と言う印象であり、疲れていることもあるので図書館へ入り、休憩する。本来ならば街の歴史に関する本を探し、知識を深めたいところだ。しかし、ガイドブックを眺めつつ、次に行く場所を検討することが精いっぱいであった。

少し体力が回復したので、再びトラム35系統のループ線に左回りに乗り、同じく「ドックラン地区の」「ハーバータウン」へ行ってみる。ここはショッピングセンターや大観覧車がある所で先ほどの場所とは対照的にとても賑やかな場所だ。しかも、今日は日曜日ということもあり、大きなスピーカーから音楽が流れ、大道芸をする人もいる。特に何をするわけでもないのだが、歩いているだけでも楽しい気持ちになってくる。

商店街の様子

お、品ぞろえの良さそうな店がある。ここでお土産を買っていくとしよう。いろいろと面白いものがあるが、ここは定番のTシャツを選択する。1枚だと12ドルだが、3枚まとめて買うと30ドルと札が出ている。それならばと適当な3枚を選んで、支払を済ませる。ここでおかしかったのは、レシートに「6ドル得したよ」と書いてあることだ。なんだか、うまくハメラレタような気もするが、まあ良かったとしましょう。

数百メートルはある商店街を抜けると、コストコや観覧車がある。観覧車は「オブザベーション・ホイール」と呼ばれていて、高さが120m近くもあるそうだ。ちょっと乗ってみたいが、腹が減ってきたので適当なレストランに入る。「How are you?」と迎えられるのだが、オーストラリアでは店に入ると必ずこう聞かれるのだ。これが挨拶なんだろう。そして、カウンターに座って注文をしようと思っていたら「テーブルサービス」だと言われるので、テーブルの方へ移動する。そういう言葉があるとは、知らなかったよ。

メニューを見ていると、パスタとリゾットから選ぶことができる「ラム」がある。そうだな、せっかくオーストラリアに来ているのだから、羊を食べてみようということで、リゾットを注文する。ここで当然の如く「飲み物は?」と聞かれるので「そうだなぁ」と迷っていると「水でいいか?」と助け舟が出てきた。おお、そうだな。無難にそういうことにしよう。

さて、海外では「水も飲み物としてお金がかかる」のが当然であるが、オーストラリアではその限りではない。日本と同じようにタダで提供される。因みにこの店では、瓶ごとテーブルに置いていってくれる。ちょうど喉が渇いていたので、これはありがたい。オーストラリアの東海岸は日本と同じような気候なので、結構まとまった雨量があるのだろう。水は豊富にあるようだ。

そう思っているとラムのリゾットがやってくる。肉は形状がコンビーフのように細長い細切れであり、量は日本で言うところの「大盛り」であろう。味は塩味と単純であり、素材の持ち味が生きている。もちろん、ラムなので臭みなどは全く無い。食べながらいつも思うのだが、塩味と言っても日本の塩とは全然違う。まろやかであり、角が無いのだ。日本の塩は「塩化ナトリウム99%」なのだが、世界的に見ればそんな化学合成のものはあまり使わないようだ。ニガリとか他の成分(日本的に言えば不純物??)が入っているので、こういう良い味になるのであろう。

ラムのリゾット

「おいしいかい?」とか「水はあるか」と食べている最中でも結構店員から声がかかる。これは恐らく「食い逃げの防止」という防犯上の行為なのだろう。日本をはじめ、他の国でもあまりない傾向だ。いや、ただ単にフレンドリーな国民なのかもしれないね。

うーん、腹も膨れて満足なので、会計をする。「どう、美味しかった??」とまた聞かれるので「おお、メチャウマだぜ」と返しておく。すると「それを聞いて嬉しいよ、また来てね」とと喜ばれた。因みに料金であるが、レシートが無いので忘れてしまったが、確か15ドル程度だったと思われる。

この後、トラム48系統に乗って「コリンズ・ストリート」を行き「エリザベスストリート」で57系統に乗り換えて、いつもの「イーロル・ストリート」で下車する。そして、停留所前のスーパーで、夜食にイチゴ、ヨーグルト、水を購入しておく。こちらもレシートが無いので値段を忘れたが、確か7.5ドル程度だったような気がする。いずれにしても、物価は日本よりも高いことに間違いなかろう。

買い物の成果

ホテルに戻り、シャワーを浴びてさっぱりする。普段ならばこのままダラダラしていれば良いのだが、今日はメルボルン最後の夜だ。「何だよ、もう明日帰らなくてはいけないのか」とブルーになるが、そんな気持ちを振り払って「まだまだ旅は続くのだ」と荷物の整理をする。その後、さっき買ったイチゴやヨーグルトを食べて夜食として、コーヒーを飲んでやっと寛ぎタイムとなる。ああそうだ、メモもつけないとね。

こんな感じでいつものように、最後の夜も更けていく。明日はどうしようかと思案しつつ、21時30分頃に就寝となった。

第8日目(11月20日)へ続く