管理人 海外へ行く

~ポルトガル編~

 

2016年 10月17日~10月26日

 

 

アタチュルク空港のオープンスポット

(Turkish Airlinesの都である)

 

第2日目(10月18日)

その1

 

1.機上にて

 

「ガタン」という軽い気流の乱れによる揺れで目が覚めるが、寝足りないのでそのまま寝ることにする。もちろん、アイマスクを装着しているので、再び眠りに落ちるのは容易であった。こいつは、長距離飛行には必需品である。

 

再び揺れで目が覚め、時計を見ると朝の8時である。ちょうど乗務員が2回目の食事の準備をしているようで、旨そうな匂いがしてくる。腹が減ってきたので昨夜配られたメニューを見ていると、魚か卵の選択ができるようだ。昨日は強制的に「魚」だったので、今回は強い意志で「卵」にしてやると意気込む。

 

まだ来ないかなと待っていると、カートを押して女性のクルーがやってきた。そして「Egg or fish?」とたずねられる。対して、渾身の思いで「EGG!!」と答えると、卵料理のプレートがあっさりと提供された。

 

機内で優雅な朝飯

 

機上で朝飯とは何とも嬉しい。コーヒーも目覚めにはきくね。満足しておしぼりで口を拭くのだが、こちらのおしぼりは何かメントールのような独特の香りがして、気持ち良い。さて、イスタンブールまではあと2時間弱、いままで想像はしていたが、本当にトルコにやってきたのだ。

 

機窓をみていると、陸地の明かりが見えてくる。「朝なのに明かりが見える」って矛盾していると思っている方、その通りだよ、ヤマトの諸君。成田を出発したのは22時30分でしょ、今時計は午前9時を指しているので、日が昇っているはずだ。しかし、ここで時差を考える必要がある。イスタンブール時間は日本時間のマイナス6時間である。つまり、午前3時ということになる。機上では既に11時間も過ごしているのだが、まだ5時間程度しか時が過ぎていない。何とも得した気分になりつつ、ここで時計を6時間戻しておく。

 

そうこうしていると、機長から着陸態勢に入る旨アナウンスがあった。この時、シートベルトのサインが同時に出るのだが、管理人は乱気流が怖いので、ベルトは装着したままにしておいたのだと白状しておこう。余談だが、乱気流でふっ飛ばされて、天井に頭をぶつけて亡くなる人もいるようだ。

 

真っ暗闇に浮かぶ街の明かりにくぎづけになりつつ、想像をめぐらす。何しろ、アジアとヨーロッパの境目がある「ボスフォラス海峡」の上を通過しているのだから、これが落ち着いていられるだろうか。世界史や地理で登場するあの海峡を今、通過しているのだ。そう考えていると、機体は右に旋回してアタチュルク空港への滑走路に正対していく。

 

イスラム教的な建物が並ぶ街が見えてきたぁ~と思ったら「ドン、キュキュキュゥ~」と若干乱暴に着陸した。B777‐300ERは翼はもちろん、胴体長も現行の旅客機としてはほぼ最大だ。国内線で乗ったB737に比べたら、安定した飛行特性を示しているのだが、着陸はやはりこんなものなんだ。まあ、滑走路が濡れていたので、スポイラーを早く出したかったのだろう。

 

今回は後ろのドアから降りました

 

2.アタチュルク国際空港

 

異国情緒漂う空港に降り立ったのは、現地時間の午前3時40分だ。今回搭乗した「TC-LJH」機は、ターミナルからずいぶんと離れたスポットに止まったので、でっかいバスに乗って移動する。バスから「ありがとう、LJH」とお礼を述べた。

 

空港内移動用の巨大バス

 

さて、空港ターミナルを目指すが、バスは平気で滑走路を横切ったり、移動中の飛行機の前を通ったりしている。通常飛行場内を移動する時は「グラウンド」という管制に従って慎重に走るものだが、こちらは結構いい加減のようだ。

 

また、空港内は100機程度の飛行機が駐機してあるが、そのほとんどはTurkish Airlinesのものである。さながら、ターキッシュの都とでも言おうか。因みに、同社は就航都市が一番多い会社のうちの一つで、250都市以上に乗り入れているそうだ。

 

ターミナルビルの入り口でバスを降りて、看板を見ながら歩いていく。途中で分かれ道があるが、管理人は国際線の乗り換えだから「International / transit」の看板に従う。また、出発案内の電光掲示板で、リスボンまで行く便について確認をする。航空券に印刷されている内容と照合すると、TK1775便は7時35分定刻出発予定で、変更はない。しかし、搭乗ゲートがまだ発表されていないのが気にかかる。

 

階上に上がり、ターキッシュのカウンターがあったので、その件についてたずねてみる。すると、めんどうくさそうに「まっすぐ行って、保安検査を受けてね。ゲートは301です。」と答えが返ってきた。ほいほい、ありがとね。

 

長ーい廊下を歩いていくと、頭にターバンを巻いた人、アラブ人、スラブ系の人、白人、黒人、あらゆる国の人がいるんじゃないかと思えた。この後、さっきの案内通りに、成田で受けたのと同じ要領で保安検査を受ける。またもや財布の金具が引っかかるが「これですかね」と現物を見せたら、問題なく通過できた。

 

保安検査場の様子

 

この後、もう1階上に上ると、店がたくさん並んでいるエリアにやってきた。緊張が解けたせいか、ちょっと喉が渇いたし、腹も減った。いっちょトルコ・リラを手に入れて、何か買ってみようと試みる。そこで、一番近くの両替所で20ドルを出して「ターキッシュ・リラに交換して」とお願いする。こうして、58トルコ・リラを手にした後、フードコートへ向かう。因みに、1トルコ・リラは36円ということだったので、だいたい1ドルの3倍ぐらいの額になるのだが、もちろん計算通りである。

 

左に両替所

 

フードコートをウロウロすると、ハンバーガーやらピザやらのファーストフード店が並んでいる。そんなに重いものはいらないので、パン屋みたいな店で「パン入りチキンサラダ」と水を購入した。値段が22トルコ・リラだったので、50リラを支払い、おつりをもらう。食事をしながら周りを見てみると、中国人はたくさんいるけど、日本人は自分だけだ。聞こえてくる言葉もわからないものだらけで、たまに聞こえてくる英語が唯一、理解できるものだった。

 

フードコートの様子

 

今、管理人は異国の地で一人きりだ。少々不安もあるが、それ以上に嬉しさがこみあげてくる。これから先1週間はこの状況が続くのかと思うと、何とも愉快ではないか。そんなことを考えつつ、バリバリとサラダを平らげた。

 

ちょっと腹ごしらえ

 

まだまだ時間があるので、リスボンへの301番ゲートの場所を確認した後、空港内をウロウロする。免税店ではたばこや酒はもちろん、日本製の電気製品やイタリアやフランス製のバッグや服なんかも売っている。もちろん、近所のイオンモールより、遥かに敷地は広いだろう(当然だ)。

 

水分を摂ったせいか、トイレに行きたい。次の飛行機でも窓側に座るので、なるべく排出しておこう。ウロウロしていると、トイレが見つかった。しかし、こちらのトイレは少し背が高いので、若干背伸び気味につま先に力を入れる必要がある。まあ、当方は身長が175㎝なのでまだ問題無いが、少し背の低い人はきっと大変だろう。そう思って周囲を見ると、インド人ぽい人で、そういう人がいたことを補記しておく。

 

3.ポルトガルへ向けて出発

 

出発1時間前の6時35分頃に、指定された301番ゲートに行く。おや、ここでもすでに行列ができているじゃあないか。まあ、乗れないことはないので心配は無いと、列で待つ。すると、役人らしき人がやってきて、パスポートと航空券をチェックし始めた。トルコには入国はしていないが、チェックだけはするようだ。これも、夏にあったテロの影響だろう。因みに、役人は「オヒョイサン」のような顔で、割と日本人ぽい顔だったと補記しておこう。

 

301番ゲートにて

 

パスポートに記録は残らないが、紛れもなく「トルコ」は当方が最初に踏んだ外国の地として「記憶に残る」ことだろう。そう感じてゲートで待っていると、暗かった空も徐々に朝焼け色に変わリ始めた。そして例の巨大バスがやってきて、乗るよう指示があった。ということは、リスボン行きの飛行機も、どこかのオープンスポットに駐機されているということか。

 

到着時と同じように、滑走路や誘導路を自在に走行するバスは楽しいが、やはり、少なからず危険を感じるのは、当方が日本人だからだろうか。全ての乗り降りを搭乗橋で行うならば、事故も減るのではないだろうか。

 

この件について、帰国後に知ったのだが、ターキッシュエアラインズは政府に対して「アタチュルク空港は狭いから、新たにもっとでかい空港を建設してくれ」と要請したそうだ。そして、その空港は2018年に開港予定らしい。ただの航空会社がそんな注文を出して、そうですかと国が要求を承認するものかと驚くが、同社は国営かつ、トルコでは一番でかい航空会社だ。それだけではなく、前述のように世界でも有数の規模を誇っているのだから、当然のことかもしれない。

 

明けたばかりの朝を、バスはスイスイと行く。そして、滑走路の中ほどにある、B737の前で停車した。もともとこの機種に乗ることは知っていたが、ここでちょっとした驚きがあった。B737-800型だと思っていたら、B737-900ER型だったからだ。これは1980年代初めに就航したB757の代替え機種として、200席程度を備えるものだ。もちろん、日本の航空会社は導入していない。

 

噂の-900だ

 

タラップを上り、コックピット内を覗ききつつ、乗務員の笑顔に迎えられて13Fの席に向かう。ここで気がついたことがある。当方は本当に飛行機に乗って、目的地に行くことが嬉しいので笑顔になる。その笑顔を見て、乗務員も仕事の笑顔よりももっと笑顔になるようだ。この件については、ポルトガル最終夜の話で話題にするとしよう。

 

出発前の打ち合わせ中か?

 

席に着いてシートベルトを締めると、窓からターキッシュエアラインズの機の尾翼が並んでいるのが見える。これぞ、アタチュルク空港という絵だろう。冒頭の写真はこの時のものだ。そう思っていたのは束の間で、雨が降ってきた。もうちょっと乗り込むのが遅くなっていたら、降られていたかもしれない。もっとも、振られることにはなれているのだが。

 

機内の様子

 

しばらくするとプッシュバックが始まり、エンジンも始動する。そして、誘導路を行くと、離陸待ちの数機が順番に出発するのに続いて、搭乗機も8時頃にR/W35Rからイスタンブールを飛び立った。

 

朝焼けのイスタンブールを離陸

 

飛行機は何回乗っても飽きないが、離陸直後の急角度の上昇時に「血の気が引く」ような状態になる。これが唯一の気持ち悪さだろう。もちろん、日本航空に搭乗した時はあまり気にならなかったので、パイロットの腕の差かもしれない。

 

いつものようにガタガタと揺れながら、翼をビユンビュンとしならせて雲を通り過ぎ、雲海の上に出た。ここからポルトガルのリスボンまでは地中海を飛び越えて、およそ5時間である。楽しみだなぁ。

 

雲海の上

 

水平飛行になってしばらくすると、2回目の朝飯の時間となった。今回はメニューの選択はなく、卵のパイ包み焼きなどが提供された。アタチュルク到着前の朝飯も卵だったので、前回も魚にすべきだったか。そう思ってもあとの祭りなので、早速食べる。おお、前菜にオリーブの実が入っていて、地中海上を飛んでいるという気分を盛り上げてくれるじゃん。しかし、種の存在を忘れていて、思いっきり噛んでしまったのは「無知」の極みであろう。

 

2回目の朝飯

 

無知と言えば、食事に付いてくる「フィンガーボール」の水を飲んだことだ。こんな飲みにくい形状の水があるはずもないが、それは後になって考えてからわかったことだったと白状しておこう。

 

食事をしながら、今回はきちんと作動しているモニターに表示されている航空路を見ては、いちいち喜んでしまう。「おお、あれがバルカン半島か、おお、イタリアの長靴のヒールか」などと、心で何回叫んだことだろう。

 

イタリアのつま先か??

 

そして機は地中海を少し南下して、アフリカの上空をheading270で進んでいく。ここで時計をさらに2時間戻し、リスボン時間、つまりは世界標準時間に合わせておく。ポルトガルはイギリスのグリニッジよりも西にあるが、世界標準時を使用しているのだ。

 

さて、アフリカと言っても地中海沿いだから、まったくの砂漠というわけでもない。緑の中に「チュニス」やら「アルジェ」と思われる街が見える。しかし、さすがに疲れてしまい、いつの間にか寝てしまっていた。12時間乗ってさらに4時間30分なのだから、飛行機の旅は疲れるということなんだろう。

 

アフリカ大陸に街が見える

 

1時間程度ウトウトしていたら、着陸態勢に入るとのアナウンスで目が覚める。モニターで確認すると、ジブラルタル海峡周辺のようだ。機首が下がっていて、主翼上ではスピードブレーキが引かれている。そして大きく右旋回すると、ポルトガル南部の海岸線が見えてくる。いよいよリスボン近しである。

 

さらに進んでいくと、家々が細かい点のように見えてきた。あれがリスボンの街か~、すると、あれは4月25日橋だ。向こうはヴァスコ・ダ・ガマ橋か。

 

4月25日橋だ

 

家という家は茶色い屋根と白壁であり、いかにも外国って感じだ。ガイドブックの写真でしか見たことがない、この景色が眼下に見えている。ついにユーラシア大陸を飛び越えて、イベリア半島最西端の国、ポルトガルにやって来たのだから、感激もひとしおだ。

 

リスボン旧市街地が見える

 

イスタンブールは雨が降っていたが、こちらは快晴だ。4,000 kmも離れているのだから、天気が違うのは当たり前だ。何でそんなことにいちいち喜んでいるのか、自分でもおかしく思えてきた。

 

そして10時50分頃に「ドスン」とちょっと衝撃のある着陸で、リスボン空港に着陸した。ここはそれ程混み合っていないので、すんなりと誘導路へ出て、ターミナルの搭乗橋があるスポットに止まった。

 

第2日目 その2へ続く