市街地の真ん中に立つ巨大聖堂
久々に勉強した後、博物館近くからトラムに乗って旧市街地へ戻る。ホテルに戻るのはちょっと早いかな、ということで大聖堂を見ていくことにする。ガイドブックの地図から最寄りの停留所を割り出して、ちょっと歩くとどでかい建物が見えてくる。この建物は1880年に建てられて、ネオ・ゴシック式という建築様式ということだ。また、内部には司教の「Josip」という人の墓があるようだ。
それはそうなのだが、このデカさは何だ。ポルトガルにあるファティマの礼拝堂には及ばないものの、それに匹敵する大きさだ。中を見ていきたいが、生憎今日は内部に入ることはできない。外から見るだけで終わりだ。
物足りなので、もう少し見る所はないか。お、この先にある正教会があるようだ。聖堂はカトリックの建物、つまりキリスト教の1派だが、このロシア正教会も同じキリスト教の1派である。ただ、同じ教会と言っても雰囲気はだいぶ異なる。ずっと、質素で小さな規模の建物だ。
案内板によると、この建物が建造された時期については諸説あるようで、ひとつは5~6世紀、そしてもう一つは12~14世紀、そして最後に15~16世紀のオスマン朝時代に再建されたもの、と書かれている。また、奥行きよりも幅の広さ、そして3方を柱で囲まれた聴衆席が特徴で、ここ東ヨーロッパでは珍しく保存状態が良いそうだ。また、壁には彫刻、別棟の博物館を擁しており、後者はボスニアでは最古の部類に入るということだ。
ここは聖堂よりもずっと小さな施設だが、中にいる信者はとても熱心にお祈りをしている。もちろん、観光客が入ることは問題ないのだが、入口にに「3マルク払ってね」と書かれている。いや、拝観料を払うことはやぶさかではないのだが、どこに払えばよいのかがわからない。
まあ、後で請求されたら払えばよいだろうということで、中に入ってみる。外観とは裏腹に、内部は金箔が施された豪華な造りとなっている。ただ、なんだか薄暗くて気味が悪いというか、落ち着かない。ということで、さら別の建屋にある博物館へ早々に移動する。こちらには絵画や書物、服が展示されているのだが、その価値はキリスト教徒にしかわからないもののようだ。
正教会の内部
ロシア教会を出ると、すっかり陽が落ちて薄暗くなってくる。ここサラエボも季節は晩秋なので、17時を回れば暗くなるのも当然だ。さて、今日はこのくらいにして、飯を食べに行くとしよう。ガイドブックには手ごろな値段でボスニア料理を食える店がいくつか紹介されているが、場所的に離れていたり、営業時間が短かったりする。そこで、昨日も行った「イナット・クチャ」へ行く。
教会のある通り
(一方通行で路面電車も通るよ)
ここはバシチャルシア地区の中心から川を渡った、すぐの場所にあるし、営業時間も22時30分までと十分に長い。店に入ると「お、昨日の東洋人がまた来たな」という顔で、昨日注文を取ってくれたウエイターが迎えてくれる。「好きな席へどうぞ」ということで、昨日と同じ場所に座る。因みに、ここは「予約席」と書いてあるのだが、一向に構わないようだ。
メニューを見ながら、今日は何を食べようか考える。昨日食べた「ボスニアン・スペシャリティ」と違うものを食べようと思うのだが、とても旨かったので同じものを注文する。一皿で数種類の料理を食べられるのが、魅力でもある。「飲み物は?」とたずねられるので、今日はあっさりと「フルーティなお茶」にする。あと、野菜も食べたいので季節のサラダも追加しておく。
「今日もよく歩いたなぁ」とカメラで画想を再生しつつ、記憶を整理する。中でも「サラエボオリンピック」に再会できたことはとても衝撃的で、まさしく1984年にタイムスリップしてしまった。写真を見て、またタイムスリップしているとお茶が運ばれてきて、続いてサラダ、メインがやってくる。今日も豪華な食事で嬉しくなるが、普段は貧弱な内容のものばかりなので、たまには良いでしょう。
サラダはキャベツにレモン風味のフレンチタイプのドレッシングで、意外と平凡だ。しかし、メインの一皿は昨日同様に旨い。詳細は昨日の記載の通り煮込み料理なのだが、ダシが最高だ。味の素的なドギツイ味ではなく、本当に肉から出ている旨みなのだ。また、その肉も高級な部位ではないのだろうが、とても柔らかく煮込まれている。多分、何時間も火にかけられて、このような深い味がでているのではないだろうか。
あと、特筆すべきはやはり「パン」である。これも昨日記したのだが、食事の料金に含まれているのだ。ポルトガルみたいに「食べたら追加料金」ではないので、安心してバクバクと食べられる。そしてその味ときたら、塩と小麦の味が口いっぱいに広がるのだ。もちろん、変にフカフカしていないので、歯ごたえも適度にある。何回も言って恐縮だが「これがパンだとしたら、日本でいつも食べているものは何だ??」そうか、あれは「パンらしきもの」であり、似ているが非なるものなのだ。
今日も豪華な夕飯だ
そんなことを思いつつ、食べ進めていく。皿にスープが残るので、それもパンに吸わせてから食べるのだが、これがまた絶妙だ。特に豪華な食事ではないが、こういう旨いものを食べたいものだね。さて、腹がいっぱいになったので、支払いをしなくては。記録が見つからないので概算になるが、これで約20マルク(1,200円ぐらい)なので、大いに満足である。支払いの時に「今日も旨かったよ」とウエイターに話すと「また来てね」と嬉しそうにしていた。
腹がいっぱいになったので歩くのが億劫であるが、夜の街を通ってみる。こちらは夜でも治安は良好で、多くの人が食事や買い物に出ている。そう思いつつ、急な坂道を上って宿まで戻る。その坂道だが、両側が金物屋の工房になっていたり、飲み屋、喫茶店も開店しており、とてもにぎやかだ。寄り道していきたいが、今日も疲れてしまったので宿へ直行である。
フロントの要員は交代しており、男性の従業員になっている。「3階(Second Floor)の管理人だ」と名乗ると、愛想良く鍵を出してくれる。本当ならばちょっと今日の話をしたいところだが、疲れているのでさっさと部屋へ向かう。
初日に切れていた点灯はなおっているので、少し休憩してからメモをつける。しかし、20時前になると急激に眠くなってくる。日本時間なら夜中の3時になるのか。まだ時差ボケが抜け切れてないのかな。ちょっと耐えられないので、今日はそのまま寝ることにする。
そう思って寝てみたが、夜中の12時頃に目が覚めてしまう。それもそのはずで、日本時間なら朝の7時だから、仕事に行くのに起きる時間だ。「やはり時差ボケかな」ということで、少しメモをつけて、2時頃に再就寝となる。
第4日目 その1へ続く