管理人 海外へ行く
~ボスニア・ヘルツェゴビナ編~
2018年10月23日 ~ 2018年10月31日


チトー通りの様子
(正面は永遠の炎)

10月26日(土)
第4日目 その3

1.明日の準備もしておこう

さて、ここで降りたのは、駅に行きたかったからだ。実はちょっと遠征を考えていて、その情報を収集に行くのさ。一応バスが出ていることはわかっていて、そのバスは駅の西側にあるたーになるから出ているようだ。駅前通りはそれ程でもないのだが、一本奥に入った郵便局の辺りはちょっと雰囲気が悪くなる。スリやひったくり、強盗なんかがいてもおかしくないのかもしれないので、いつも以上に注意してバスターミナルへ向かう。

ちょっと古めの建物に入り、商店街を行くと切符売り場がある。ちょっと怖そうな、愛想のあまりない女の人が座る窓口が空いたので「モスタルに行きたいんだけど・・・」と言うと「21マルクで6時、8時15分・・・」と早口でまくし立ててくる。こちらの人はセッカチだなあと改めて思いつつ「え??21マルクで、6時と8時何分??」と聞き直す。すると、やれやれという表情で紙に時刻を書いてくれる。「どうもありがとう」と言い、さらに「往復で切符を買いたいのだが」と続ける。すると「あんた、ツアーの方が良いよ」と見放されて??しまう。

ま、情報は得ることができたので、今日はここまでだ。「どうも」と手を挙げて、窓口を去る。旧東欧圏ということで、サービスという点では、ポルトガルやオーストラリアの方が遥かに品質が高いということなんだな。

明日の「モスタル」遠征の情報を手に入れたので、今日やるべきことはこれで終了だ。しかし、時刻はまだ15時30分頃なので、もうちょっと街歩きを楽しもうではないか。ひとまずトラムの路線1系統に乗り込み、旧市街地を目指す。ちょっと気になっている場所があるので、そこへ行きたいのだ。いや、そんな大した場所ではないよ、と補記しておこう。

ミリャッカ川沿いを電車が行くのだが、このこと自体が平和の象徴なんだと改めて実感する。それ程に「トンネル」で見た写真が凄まじかったということなのだ。そんなことを考えていたら、旧市街地を越えて、降りるべき停留所も過ぎていた。おいおい、何やってるんだよ。

自分に突っ込みを入れつつ、中央銀行前で下車する。ここにはボスニア・ヘルツェゴビナ国旗が、何ともカッコ良くなびいている。それにしても、国旗を最初に描いた人は偉いものだ。というのも、それを一目見ただけで「あの国」とわかる特徴を持っており、かつその民族のことを端的に表していなくてはならいからだ。日本の国旗である日の丸も、これは「日の出ずる国」を表現した、実に単純かつ明快なものだ。

そう考えると、国旗がとても大切なもののように思えて、誇りみたいなものを感じる。俺も多民族国家を旅することで、民族意識が芽生えたか、いやいや、そんな簡単なものではないだろう。


ボスニア中央銀行

2.サラエボ市民になりきろう

銀行から元来た道を戻ってチトー通りを歩いて行く。話はそれるが「チトー」は人の名前だ。ご存知の方も多いと思うし、世界史でも登場する有名人である。そりゃそうだ「ユーゴスラビア」の初代首相だもんなぁ。

その通りは、今でこそ多くの人が歩き、車も多く通行している。しかし1990年代前半の紛争では、さっきトンネルで見てきたような惨状だったのだ。今の日本も何の危機感も無い平和な国だが、憲法を改正して戦争を仕掛けられる国になろうとしている。誰だったか「平和はそれを維持しようと努力していないと、続くことはない」と言っているが、本当にその通りだろう。オリンピックも開催した平和な街が、一転戦場になってしまうこともあるのだから。

さて、さらに電車の通りを歩いて大聖堂などを通り過ぎると・・・ありました。毎日路面電車に乗ると見える、この「市場」です。名称は「青空市場」というようである。まあ、当方の旅の目標の一つに「一般市民になったつもりになる」っていう項目があるんだけど、その一環で市場を見ることは有効である。


青空市場

数日前にオリンピックの施設を見た帰りに、高架橋下の市場に寄ったんだけど、そこは「闇市」的な(実際は違うと思うけど)場所であった。しかし、ここは屋根もあって、いかにも合法的な雰囲気だ。さて、何を売っているのかと見て回ると、どうやら食料品に特化しているようだ。いかにも新鮮そうで、大きな野菜がゴロゴロと山積みにされている。「兄さん一つどうだい?」とあちこちから声がかかるのだが、旅行者がきゅうりやナスを1㎏買うわけにはいかない。ここは「Just looking」を繰り返すしかない。悪いね。


市場内の様子
(その名の通り、明るい雰囲気だ)

時間的に夕方なので、そろそろ店じまいという雰囲気の所も多く、それほどの活気はなかったが、こういうのは大好きだ。結局「旅行者」の域を脱することはできないが、少しだけサラエボ市民の気持ちをかじったような気がする。

おや、ザクロを売っている店がある。そこには搾り機も置いてあって、文字通りの「ジュース」も売っている。ちょっと飲んでみたいなと思い、値段を見ると「2.5」と出ている。しかし「10」の文字も。「ジュースはいくらだい?」とたずねると「10マルクだよ」と。びっくりだ。500mlぐらいの瓶にはいっているものが10マルク(650円)もするのだと。「2.5って書いてあるジャン?」とさらに突っ込むと「それはkgあたりの値段だ」と。ちょっと豪華な夕飯が15マルク程度で食べられるのに、ジュースが10マルクとは。ここは笑顔で立ち去るしかなさそうだ。ごめんね。

市場を出て、一本奥の通りにある「カジ・フスレヴ・ベイ・ベジスタン」に行く。ここは初日にも来ているが、その際は閉まっていたので再度訪問したわけだ。中には店が何軒も出ており、特に帽子や雑貨を売る店には驚きだ。だって「生首」がズラリと30mぐらい並んでいるのだから。


カジ・フスレヴ・ベイ・ベジスタン


内部の様子

その向こうには小物を売る店があり、そこには「火薬を抜いた弾丸のキーホルダ」が並んでいる。そろそろ土産も買おうかなと思っているので、値段をたずねてみる。おいおい、通りの店の2倍じゃあないか(失念したが、確か4マルクとか言っていた)。「後でくるよ」と言い残して、その場を去る。ごめんね。

建物から出て、旧市街地のメイン通りを横切り、再び大聖堂方向へ歩いていく。すると、そこには屋台が出ている。何の屋台かなと近くに行ってみると、ザクロジュースじゃあないですか。これこそ、神の思し召し(当方は無宗教者なのに、神っておかしいね)だろう。早速、立ち寄ってみる。

暇そうにネエチャンが店番をしているので「ハロー」と挨拶をする。そうそう、こっちは「ハロー」なんだよ。「Hello」とは違うようで、綴りも違うんだよ。値段を確認すると、瓶入りは8マルク、カップは5マルクということだ。カップ1杯が300円ちょっととは、随分高いと思うが、これが相場だろう。「カップを1つ」購入することに。ついでに「写真を撮っても良いかな?」と聞いてみると「全然問題無し」ということだった


ジュースの屋台

しかし、ザクロって「Pomegranate」って言うんだ。こんなの学校はおろか、資格試験の勉強してても見たことない単語だ。因みに、日本人が一連の教育課程で触れる英単語の量だが、ペーパーバックの本にすると30ページにも満たないという調査結果があるようだ。院時代の先生曰く「こんな量で英語を習得するのは困難だね」と。絶対量が足りないってことだ。

閑話休題(いや、この旅行記自体が閑話だから、これは当てはまらないか)。ご存知のように、ザクロは種の周りに少しだけ実が付いている、ツブツブの果物だ。それ故に果汁の抽出量も少ないようで、5個ぐらい使って、やっとカップに7分目というところだ。まあ、値段的にこのくらいになるのも、無理はないか。ということで、お金を払って、カップを受け取る。比較的鮮やかな赤いジュースで、飲んでみると・・・。めちゃ旨い。この自然な甘さは砂糖ドブドブの飲み物には無い上品さを醸し出し、ほんのりとアクの渋味がまた、良いアクセントになっている。少々高かったのだが、これは飲む価値があるな。

そんなことを思いながら、通りを行く人々を眺める。さすがにここは遊びに来ている人が多いようで、表情は明るい。家族連れ、恋人同士、皆それぞれに人生を楽しんでいるようだ。しかし、ここでヨーロッパでありがちな人を見つける。そう、今呑んでいるジュースのカップに小銭を入れて「ジャラジャラ」と鳴らしながら近寄ってくる、その人、しかもおばあさんだ。しかも、ちゃんとATM機の横で商売をしているとは。

日本ではほとんど見かけない女性の物乞いだが、こちらでは普通に男女半々である。当方の所にもやってくるが、俺が寄付してほしいくらいなので、今回もお断りする。しかし、周りの人々は意外と好意的で、皆小銭を入れている。光の当たる場所には、影があるのは世の常であろう。

3.マニアな観光

ザクロジュースを飲みほしたので、周辺の散策を始める。ガイドブックには大したことは書いていないのだが、聖堂裏の案内板によると、見応えのある建物が数件建っているようだ。そこで、これに従ってそれらを見て回ることにしよう。


サラエボでは充実している案内板

「ガジ・フスレヴ・ベイ・ハマム」という建物で、説明によれば「16世紀までさかのぼることができる公衆浴場とボスニアの研究所の複合施設」ということだ。なんで風呂と学術研究所が一緒になっているんだ??と思うが、そういうものなんだろう。このドーム式の屋根は、ここボスニアではよく見られる特徴であり、いかにもイスラム圏(オスマン朝)の影響を受けているという雰囲気だ。現在は土産物屋になっているのが、ちょっと残念かな。


ガジ・フスレヴ・ベイ・ハマム

次は「グラスカ・トラスニカ・マルカ」というサラエボ市場へ。「マルカ」は「マーケット」だろうか。それはそうと、案内板の文字がよく見えないので、ネットで調べてみる。ここは、1895年に完成した建物ののようだ。正面にある3つのアーチ、木と鉄でできたアーチ屋根が特徴ということだ。中に入ってみると、ああ、確かにその通りだ。それよりも、売っているソーセージなどがとても旨そうだ。


グラスカ・トラスニカ・マルカ

次は、結構急な坂の上にある建物だ。まあ、普段から文字通り脚を使って仕事をしているのだから、恐れるには足らないだろう。ヒーヒーと半分息を切らしながら?階段を上って行くと・・・。何だよ、工事中じゃあないか。因みに、この建物は第14回のオリンピック、つまり1984年のサラエボ大会の博物館だ。ここにもあるのかと思うが、それ程に盛大なイベントだったのだろうなあ。そして、説明によれば、1992年に攻撃の対象になってしまったようだ。建物そのものは1903年に建設されたもので、後期何とか式という様式らしい。本当は、こういう建物をじっくり見たいのだが、なぜか当方が行く時に限って工事中だ。先のポルトガル探訪でも、発見のモニュメントが工事中だったことを思い出す。


オリンピック博物館

さらにその上にある建物へ向かう。このあたり「Petrakina通り」には旧の「オーストリア・ハンガリー」から遊びに来る人の別荘が建つ地区であり、この「Hermina Redis」邸はとても目立つものだ。「Secession様式」という様式で1903年に建てられたものだ。また、向かい側?の建物も1903年に建てられたもので「Kario Perzik」邸ということだ。こちらは「German GothicとSecession様式」の組み合わせと言うことだ(何のことかわからない)。また、両方ともアルプス地域の民族的な要素が見られるということだ。なるほど、最後の説明は納得だ。高山植物のような模様が描かれている。


Hermina Redis邸

さらに上に行くと、説明はないが教会のようなドでかい建物がある。こちらはその見た目通りで「Queen St. Rosery Church」と言うようだ。内部を見てみたいが、とても入ることができるような雰囲気ではなかったので、遠慮しておく。尚、Googleのストリートビューには内部の写真もあるので、見たい方はそちらを見るのもよいのではなかろうか。因みに、内部も豪華な造りだよ。また、こちらは比較的最近建てられたもののようで、新しく見える。


Queen St. Rosery Church

それはそうと、この周りには観光客などおらず、時折買い物帰りの、袋を持った住民が通るのみだ。当方はこういう所が好きなんだよなあ。時々記載しているが、所詮旅行者ながら、住民になったような気分を感じるのが楽しいのだ。


ひっそりとした通りの様子
(奥の突き当りを右に曲がるとQueen Churchだ)

案内板にあった建物は見終ったので、ちょっと住宅街を歩いていく。とても静かな地区で、家々も歴史がありそうなものが多い。店?のような所を通り過ぎると、マジックミラーになっているドアに自分の姿が映る。おいおい、こんなやつが家の周りをウロウロしていたら、警察に通報されてしまうのではないか。それくらい、風貌が怪しい。

まあ、別に悪いことをしているわけでもないので、気にせずにウロウロする。黒くすすけたアパートが並ぶ地区を行くと、道の脇には路駐の車がびっしり並んでいる。車種は様々で、プジョー、VW、フォード、オーディ、スコダなどの欧州車に混じって、トヨタ、ホンダ、スズキなども見られる。この辺りは比較的お金を持っている人が多いのかな。


こちらは賑やかな通り
(すすけているのは、紛争の名残りだろうか?)

建物は排ガスか、内戦の影響で汚れているのかわからない。ただ、落書きは比較的少ない。この辺りはポルトガル辺りとは国民性がだいぶ違うということを表しているのだろう。そんなことを思いながら歩いていくと、路面電車の通りへ出てくる。住宅街探訪はここで終了だ。さて、疲れたのでそろそろ宿へ戻るとしようか。時刻も17時近くになっていることだし、丁度良い。

お、これはユダヤ教の教会「シナゴーグ」だ。こちらのものは旧のもので、今は博物館になっている。その星型のマークが特徴だ。

さて、前述のように、今日はもう終わりなので、写真だけ撮ってから通過する。


ユダヤ教の教会
シナゴーグ

4.ホテルに帰還

ホテルに戻ると、フロントでは愛想の良い女性が迎えてくれる。実は、朝の人はムスッとしていて、ちょっと怖いんだけど、この夕方にいる人はとてもにこやかなんだ。部屋のカギをもらう時に「今日ねえ、ザ、ザクロ、ジュースを飲んだんだ」と言うと「???」となっている。

「ザクロ」なんて単語を使ったことがないので、音を間違えたか。何回か綴りを確認しつつ行ってみると「あああ、ザクロねぇ♪」と理解してくれる。「値段は一杯5マルクだったけで、こんなもんだよね」とたずねると「ええ、そのくらいよ」と続けて「ボッたくられないように気を付けていたよ」と言うと「いつも注意しなさいね」と助言を受ける。因みに、この方はちょっと東洋っぽい顔立ちをしていて、瞳もブラウンか灰というところだ。おそらく、彼女の先祖はオスマン朝時代に、サラエボに来たのではないだろうか。

部屋で少し休憩して、メモをつけておく。さて、晩飯はどうしようか。いつもの「イナットクチャ」の「ボスニアミックス」も捨てがたいが、今日は郷土料理の「チェバブチチ」を食べてみようか。ガイドブックによれば、店は数多くあるので、地元の人に良い店を聞いてみるとよいと書いてある。そうだ、フロントの彼女にたずねてみよう。

19時前にフロントへ下りて行き「チェバブチチを食べたいんだが、良い店はあるかな」と聞いてみる。すると「安くて、旨くて、近い店がある」と地図で示してくれる。「泉があるでしょ、そこを少し行くとレストランが並んでいる通りがあるでしょう、その真ん中あたり、そうそうHodzicよ」と教えてくれる。

お礼を述べて、早速坂を下りて泉へ向かう。そこから土産物街を抜けつつ、左へ。こんな夜でも土産物店は煌々と明かりを灯しているので、治安も良好だ。ええと、Hodzicと、ああ、この店だ。新しくてきれいな店じゃあないか。

入店すると、年配のホール係が案内してくれる。厨房がよく見える席に座り、メニューを確認する。え、英語じゃないからよくわからないけど、肉の量で3種類が選べるようだ。それ程腹が減っているわけでもないから100gを選択して、その旨係の人に伝える。


厨房の様子

注文してから改めてメニューをよく見ると、何やら「法律でレシートの受け取りが義務で、店を出るまで持っているように」と記載されている。何か不都合があるのか。厨房では店員が素早い動作で、料理を作っている。また、手前の冷蔵庫には仕込みの済んだ、俵型に成形された「チェバブチチ」の肉が整然と並んでいる。厨房もピカピカに磨かれていて、清潔そのものだ。

そう思っていると、料理が運ばれてくる。これが「チェバブチチ」か。多分、トルコの「ケバブ」と親戚なんだろう、前述のように俵型の肉が、みじん切りの玉ねぎと一緒に、ナンみたいな袋に入っている。こんなの初めて見た。いただきます。


チェバブチチ

早速食べてみると、おう、味付けは塩と胡椒で単純だが、肉の旨みがよく出ている。牛肉だな。そして、その肉と一緒に玉ねぎを食べると、相性は抜群だ。また、外側のナンも一緒に食べると、炭水化物も一緒に摂取できるということか。これは、ファースト・フードに近い食事なのかな。すぐに食べられて、安くてうまい、これこそ庶民の食べ物だ。。

あっという間に完食して、料金3.5マルクを支払う。これは激安な上に激ウマなので、とてもお得だ。腹も満たされて、土産物街をちょっと覗きながら宿に向かう。そうだな、昔から実の兄貴同様に思っている、従兄への土産を探しておきたいな。せっかくなので、いかにも「サラエボ」というものを見つけたい。そうなると、やはり銅製品ということかな。ただし、今日は見るだけ。

こうしてホテルに戻り「チェバブチチは旨くて、安くて、最高だね」とフロントの女性に感謝する。彼女も「それは良かったね」と嬉しそうだ。さてと、今日も色々あったな。風呂に入った後、メモをつけて過ごす。それにしても眠いなぁ。まだ21時過ぎだけど、もう寝よう。明日は、予定通りに遠征だ

第5日目 その1へ続く

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