昼時のマーシャルチートー通りの様子
今日はサラエボで過ごす、実質最終日だ。明日は早朝の飛行機で、日本に帰らなくてはならない。誠に残念だが、これは仕方のないことだ。仮に今後30年間、生活に困らないだけの金があるならば、数か月単位で色々な街に滞在して、ゆっくりと様子を見てみたい。
朝はいつものように、6時30分頃に起床する。少しウダウダして、朝飯の時間7時まで待つ。待ちかねて1階へ下りていくと、今日は愛想の良い女性がフロントにいる。シフトの変更でもあったのだろうか。朝から幸先が良いではないか。
食堂はいつも通りに空いていて、人目をはばからず、いつものように野菜を皿半分、ソーセージに卵、みかんにヨーグルトとたくさん盛ってくる。いただきまぁ~す。しかし、この旨い食事も今日が最後かと思うと、誠に残念だ。しっかりと味わおうではないか。
山盛りの朝食
みかんは日本のものと同じ味がする
部屋に戻り、少し腹を落ち着かせてから出かける準備をする。窓から外を見ると、雨は降っていない。テレビの天気予報を見ると、今日は天気が回復するようだ。それにしても、あの山の中腹に見える、ゴンドラが気になるな。
8時50分頃に部屋を出て、フロントに鍵を預ける。恐らく、この愛想の良い女性は、今日の昼までが仕事だろう。ということは、これでお別れかもしれない。「行ってきます」とホテルを出る。しまった、お別れの挨拶をしておくべきだったと後悔する。しかし、もう旧市街地まで下りて来てしまったので、いまさらだ。
それはそうと、今日は最終日なのでいろいろとやることがある。そこで、近隣を散策することに。まずは旧市街地から川を渡り、山のふもとの方へ行ってみる。この辺りは趣のある街並みが残っていて、なかなか良い雰囲気だ。まさしく「♪知らない街をあるいてみたい」という感じだ。まずは「KONAK」通りを行く。看板によれば、この名前は、オスマン朝時代の初期に造られて、ボスニアの統治者の居住区の名前に由来しているそうだ。
川向こうの「KNOAK]通りの起点
右は「聖人・アンソニー教会」
正面右は「サラエボビール工場」
また、正面に見える大きなレンガでできた建物は「聖人・アンソニー」の教会で、メチャクチャ立派である。宗教って儲かるんだなとゲスなことを考えるが、それは万国共通の常識なのだろう。さらに少し行くと、工場の裏へやって来る。無料のガイドによれば、これは「サラエボビール工場」であり、博物館もあるようだ。ただ、当方は酒には興味がないので、横目に見て通り過ぎる。
工場を通り過ぎると、勾配が急になってくるが、やはり、毎日窓から見える「あれ」を目指すとしよう。年齢は45歳と立派な中年に成り下がっているが、毎日業務で15,000歩は歩いているし、スポーツジムにも週に最低2回は通い、エアロビクスで汗を流している。よって、体力にはそれなりの自信があるのさ。
別に息切れをすることもなく、順調に坂を上ると「CABLE CAR」とかかれた紙が電柱に貼ってある。よし、もう少しだ。数十メートル歩くと、それらしい建造物にやって来るが、入口がない。おかしいなぁ、と思ってウロウロしていると、地元住民のオッサンが「ゴンドラか?」と声をかけてくる。「そうです」と言うと、指を指して「こっちだ」と言っている。「どうもありがとう」と礼を述べてその方向へ行くと、ああ、入口がありました。
こんな路地を上ります
中に入ると、職員と思われる人が「10時からだよ。中にカフェがあるから、そこで時間を潰したらどうだ?」と話してくる。ええ、まだ9時15分じゃあないか。一旦山を下りて、また来ても良いのだが、ちょっと疲れたのでその話に乗ることにする(おいおい、体力には自信があるんじゃあないのか?)。
カフェには職員らしき人が数人おり、雑談をして楽しそうに過ごしている。仕事をしなくてもよいのかと心配になるが、そんなことは余計なお世話だろう。さて、何を飲もうか、ということで、一番安いオレンジジュースの小(2マルク)を注文する。すると、オレンジを圧搾して「はい、どうぞ」と。確かにオレンジジュース小だ。それにしても、コップに半分しかないのはさびしいなぁ。ジュースを飲みつつ、無料のガイドを丹念に読んでいく。まだまだ行けていない所がいっぱいあるが、主だった所はなんとかまわれたのかな?
カフェで一息
そうこうしていると、10時になる。代金を支払って、切符の売り場へ行く。あれ、何か様子がおかしいぞ。売り場のオバサンと客がちょっと険悪な雰囲気だ。ヨーロッパ人の家族は不機嫌そうに帰っていくじゃあないか。次に中国人ぽいグループの1人が「どうなっているのか」とオバサンに聞いている。
聞き耳を立てていると「何かが故障していて、現在点検中だ。いつ動くかは未定だ」と聞こえてくる。え、そりゃないぜ。その中国人氏も、仲間に「アン・フレンドリーな対応だ」と怒りを露わにして、状況を話している。そりゃそうだろう。
残念だが、ゴンドラはあきらめよう。ショボイジュースの2マルクと数十分の待ち時間が、全くの無駄になってしまった。少々納得がいかない気持ちで山を下りるが「ケーブルカーは料金が20マルク(1,300円)もするので、意外に高い。まあ、しょうがないね」と「あのぶどうはすっぱい」的な思考で自分に言い聞かせる。
まあいいや、ちょっと遠回りして行こう。ということで、行ったことがない地区へ足を踏み入れてみる。ここはいつも通う食堂の裏手の山で、日本でもよくある公園もある。また、ここから見る市街地はいつもとはちょっと違って見えておもしろい。
公園から見る市街地
(中央は旧市庁舎)
そうだ、友人に土産を買って行こうじゃあないか。まずはTシャツだ。再び旧市街地の、所狭しと店が軒を連ねる地区へ入ってくる。
一昨日「チェバブ」を食べた店の近くに、Tシャツの専門店があったことを思い出し、早速行ってみる。そこは小さな店だが、品揃えは豊富だ。店に入ると、店員が愛想よく迎えてくれる。そこで「土産に買おうと思うんだけど、いかにもサラエボっていうのがいいなぁ」と言うと、定番の「I Love♥ Sarajevo」等、何種類か見せてくれる。「もうちょっとコミカルなのはないか?」と言うと「そんなものはないね」と不機嫌になってしまう。こいつはまずいな、適当な所で手を打たなければ。提案されたものから一つ選んで「じゃあ、これの大きなサイズはあるか」と、たずねると、友人にぴったりのサイズのものを出してくれる。「それをもらうよ」と代金を払う。
この後、まだ入っていなかった「旧市庁舎」へ行ってみる。ここは「オーストリア・ハンガリー帝国」時代に建てられたもので、その後図書館として使われていたそうだ。しかし、先の内戦で砲撃を受けて全焼し、貴重な書物はほとんど焼けてしまったようだ。その後、修復されて2014年に復旧したということだ。
入口には「1992年の8月25日~26日のセルビア人の犯罪者による砲撃で、200万もの書物が一瞬にして消え去りました。忘れまじ」と書かれた看板が出ている。内戦のすさまじさを改めて感じつつ中に入ると、とても綺麗である。因みに、入場料は10マルク(600円)ということで、これは再建の費用に充てられるそうだ。そういうことならば、喜んで払うよ。
正面から見た旧市庁舎
そう思って、内部を見て回る。まず驚くのは、天蓋のステインド・グラスだ。大きいうえに、手の込んだ模様だ。また、壁には細かな模様が描かれている。説明書きによると、職人が手で描いたそうだ。また、建物の中央は吹き抜けとなっており、その周りにいくつもの部屋があり、見ごたえ十分だ。ひとまず、順番に2階の部屋から見ていく。尚、各部屋にはポップアップがあり、そこには2次元バーコードが表示してある。それをスキャンすれば、案内音声を聴けるというわけだ。さすが、2014年にリニューアルした最新の施設だ。
吹き抜けから天井を見る
階段を上り2階へ
最初の部屋には、ボスニア・ヘルツェゴビナの歴史が、パネルで時系列に展示してある。また、隣の部屋は議会場、その隣には歴代市長の写真が並んでおり、サラエボの歴史が詳細にわかるようになっている。さらにその隣は「MEMORIAL HALL」となっている。何の記念なのかと言うと・・・、「オーストリアの皇太子夫妻」の写真が。ああ、やはりサラエボ事件か。
歴代のサラエボ市長さん達
そして次の部屋は、宴会場だ。これならば、100人は楽勝では入れそうだ。ここで優雅な集まりが行われていたのだろうか、そんなことを想像していると、本当にクラシック音楽が聞こえてきそうだ。また、天井や壁に描かれた模様の美しさ、緻密さときたら、人間が描いたとは思えない程だ。
宴会場の様子
宴会場の隣は会議室であり、同時通訳用の装置?が各席に備えられている。
上の階を見た後、地下にある展示場へ向かう。ここでは写真と文章で、近代、現代のサラエボが詳細に説明してある。サラエボに来てから色々な場所で、様々な展示を見てきたが、ここではそれらを集約している。何だ、最初からここへ来ればよかったてことなのだが、そんなことを思っても後の祭りだ。
19世紀初頭のサラエボ市内の様子
(中央の書類は1919年にこの市庁舎から送ったファックスであり、
その他の写真は多民族国家である様子を上手く映している)
しかし、ここでしか見られない写真も多くある。その一つは、この「City Hall」のものだ。内戦で破壊された様子を写した写真は、本当に驚いた。また、その状態からこんなにも綺麗に復活させたという、そのことはもっと驚きだ。恐らく、修復に当たったその人たちも、最初はうまくいくかどうか、わからなかったのではないか。しかし、実際は見事に復活したわけであり、人間は諦めなければ大抵のことはできるのだな、と思われた。
1992年のサラエボ市内
(国会議事堂や市長の建物などが燃えている)
内戦で破壊された、1996年当時の旧市庁舎
一通り旧市庁舎を見て回ったが、時刻はまだ11時30分だ。あ、そうだ。まだ、出していないハガキがあったな。ということで、旧市街地から駅の方向へあるいて行き、先日行った郵便局へ向かう。薄暗い建物に入り「日本へハガキを送りたいのだが」と言うと「1.6マルクね」ということで、代金を払う。すると、その場で切手を貼って、バン!と大きな音をたてて消印を押している。うん、これならば日本へ確実に送られることだろう。
さらにチトー通りを歩いていくと近代的な建物である、BBIショッピングセンターの建物が見えてくる。BBAではないよ。ここは何回も前を通っているが、入ったことがない。最終日だから、土産物を探しにちょっと覗いていくか。ここは日本で言うところの「デパート」かな。それ故に高級そうな店が多く、当方が欲しい物や、土産になりそうなものは無い。
BBI センター
不発だったかなとウロウロしていると、1階にスーパーとコンビニの中間的な店がある。ここならば、何かあるかもしれない。直感的にそう感じたので、入ってみる。店内には人が多く見られ、活気がある。別に何を買うわけでもないので、ブラブラと店内を歩いてみる。すると、商品販促で問屋かメーカーからやって来たと思われる、店員から声がかかる。
「この歯磨き粉はいかがですか?完全自然成分でできていて、虫歯予防はもちろん、歯茎の健康、口臭予防、ホワイトニングもできるのよ」とまくし立ててくる。「え、歯が白くなるの?」と返すと「そうよ。こっちのはクリーム状、こっちはゲル状よ」と矢継ぎ早に説明を加えてくる。「じゃあ、これは?」ともう一つあった商品についてたずねてみる。「これは、総合的に良いものよ」と。
店員の売り込みには情熱を感じたので、購入してみることにする。「その、総合的に良いものを2つもらおうか」「わぁ、ありがとうございます」と。因みに値段は2つで9.6マルク(約550円)だ。こちらの物価水準からすると、かなり高い歯磨き粉だろう。それで、当方のような旅行者に売り込みをしてきたということか。
これで土産を一つ確保できたので、さらに歩いてコートを購入した「ALTA」へ向かう。今日は10月29日と、サラエボでは既に初冬である。公園の木々は枯れようとしているが、道路には多くの車が行き交い、歩道のは大勢の人が歩いている。まあ、前述のように、表情はいま一つだが。その理由は先の内戦の影響だろうが、それを表すように、公園にはモニュメントが建っている。ボスニア語は読めないが、内戦を忘れないといったメッセージだろうか。
モニュメント
スナイパー通りの方へ歩いていくと、警察車両が止めてある。この国には国産の車はないようで、VWが使用されている。通りを行く車も、同社をはじめヨーロッパ製のものがほとんどで、時々日本車が見られる程度だ。そういえば、ポルトガル警察もこの車両を採用していたな。
VWゴルフの警察車両
さらに通りを歩いて行くと、初日に来たアイスアリーナの近くまでやって来る。ここには大モスク「アリ・パンシナ・ジャミーヤ」があり、昼飯時の礼拝時間になると、入りきれない程のイスラム教徒が訪れて祈りをささげているのだが、この時間帯は閑散としている。そこで、ちょっと境内に入ってみることに。案内板によると「1560年に、建物に名前を残すアリ・パシャの寄付で建設され、典型的なオスマンスタイルのモスク」ということだ。また「内戦ではひどく傷んだので修復されて、2004年に再開された」ということだ。
大モスク アリ・バシナ・ジャミーヤ
(ジャミーヤはモスクの意味だろうか?)
その後、チトー通りからスナイパー通りに入り、大型ショッピングセンターの「ALTA」に到着だ。ここは何回か来ているので、どんな店があるのかおおよそわかっている。もちろん、商品は豊富にあるのだが、土産となりそうなものはあまりない。そこで、向かいにあるSCCへ行ってみる。おっと、ついでにトイレにも行っておこう。海外では街の公衆トイレは有料だから、こういう店に入った時に済ませておく必要があるのだよ。ただ、ここも不発であった。