北海道紀行5 

(2010年8月12日〜8月21日)

 

出発直前の一コマ

(やはり顔が親父に似てきた)

 

第0日目(8月12日)

 

0.まえがき

 

今年の梅雨は例年よりも多く雨が降った。管理人の住む中部圏でも平年の5割り増しくらいだったそうだ。また、末期には局所的に、俗に言う「ゲリラ豪雨」により、怪我人や死者が出たところもある。もっとも、梅雨の末期は豪雨になりやすいと言われるが、人的被害が出てしまっては、それに遭遇した方々はたまったものではない。これ以上被害が広がらなければよいが。

 

そうこう思っているうちに雷が鳴り始めた。これまた梅雨の末期によく見られる現象で、太平洋高気圧が勢力を増してきた証拠だ。気象庁のページで天気図を閲覧すると、なるほど、日本列島が高気圧のヘリの部分に入ってきた。「これで間もなく梅雨明けか」と期待していたら、やはりその通りになった。よくよく考えてみると、こういう典型的な梅雨明けは久しぶりかもしれない。昨年はダラダラと雨が降っていて、「とりあえず梅雨明け」という様相であったし、初めて渡道した16年前の1994年はさっぱり雨が降らないで、日を遡って梅雨明けが宣言されたりした。

 

さて、梅雨が明けたのは嬉しいが、やけに暑い日が続いた。当方はこういう夏が好きなのだが、歳のせいだろう。なんだかダルイ。

 

しかし、せっかくスポーツジムに通い、安全で楽しくバイクに乗ろうと体力を増強してきたのである。また、こういう時こそ気分転換したい。そこで、今年もツーリングに出かけることにした。

 

さて、その行き先であるが、ここ数年は2006年、2008年、2009年と北海道ツーリングをしてきたので、今年はどこか違うところでも・・・と思ったのであるが、なんとなく北海道に行きたくなってしまった。そして気がついてみれば、昼休みを利用して近所の旅行代理店に出向き、フェリーの切符を購入していたのだ。これこそ「北海道へ行きたい病」が発病したというものだろう。この病にかかると、心はウキウキしてくるものである。おっと、浮かれて事故や取締りに遭遇しないように、気を引き締めていかなくてはいけないぞ。これはバイク乗りにとって永遠のテーマであることは言うまでもない。

 

こうしてお盆休みの始まる8月13日(金)が近づいてくるのであった。

 

1.黄信号点灯

 

ツーリング出発日は8月12日(木)である。この日は1時間早く仕事を切り上げて、余裕をもって出発する予定だ。これは、2006年の北海道ツーリング時の教訓を活かしてのことだ。詳細はその時のリポートを参照をお願い申し上げよう(R1-Z氏にとっては、忘れようとしても忘れられないことだろう)。

 

 さあ、出発する週は何かワクワクして落ち着かない。本当はこういう時こそ冷静になって仕事や準備に取り掛からねばならないのだが、残念ながら管理人はそこまでできた人間ではない。そして、この落ち着きの無さに拍車をかける要因が発生した。台風4号の接近である。丁度週の始めくらいに台湾の東海上辺りで発生したこの台風、「この季節は中国大陸へ進むだろう」と安易に考えていた。しかし、日を追うごとに本州に近づいてくるではないか!おいおい、フェリーは出港できるのか、いやいや、そもそも家から舞鶴まで走れるか?業務の合間を見ては進路予想図や空の風をこまめに確認しておく。

 

しかし、台風は12日当日、日本海を足早に進み東北方面へ上陸し、日本の東海上へ抜けることが確定的となった。やれやれ、脅かしてくれるじゃん。こうして出発の目処も立ち、フェリーも予定通りに出港することも電話で確認できた。

 

2.出発

 

先にも記したように2006年の教訓を活かし、1時間早く仕事を切り上げて帰宅。用意しておいた荷物を我が愛機、TDM900のリアシートに固定。18時30分頃に自宅アパートを出発した。今年もツーリングに出かけることができたことに感謝、さらには道中の安全などを願いつつ、雨も上がり、きれいな夕焼けを見ながらの走行開始となった。

 

因みにフェリーの出航時刻は明けて13日の午前0時30分であり、1時間30分前の23時までに舞鶴港に到着・乗船手続きを完了すればよい。いつも利用する敦賀港まで2時間ちょっと、さらに舞鶴港まで2時間なので「そこそこ余裕を持って到着」と思って走行を続けていく。

 

東名高速の名古屋I.C.からheading300で米原J.C.を目指す。いつものように、大垣I.C.付近では新幹線と並走したり、米原でheading360に変針する。このように港を目指す航法を一つ一つこなしていくうちに、だんだんと自分の中の会社員が抜けて旅人が入り込んでくる。旅の出発はいつも嬉しく、楽しく、またワクワクするものだ。全く関係ないが、エアロビクスでヒジを上下に動かして、ワキの筋肉をほぐすことを「ワクワク」と表現するインストラクターがみえる。うまい表現と思うが如何に?

 

そんなことを考えて北陸道を走行していく。今回はオイル交換に加え、前後のタイヤ交換も済ませてある。また、荷物の重さを考慮して「リアサスの圧側の減衰を、2段階ほど強めておく」という簡単なサスペンションのセッティング変更もしてみた。しかし、これはちょっと強め過ぎであった。道路の継ぎ目を通過すると腰にまで突き上げを感ずるのだ。それもそのはず、もともとTDMは脚が長い上に、減衰のやや効いた絶妙な設定となっている。1段強める程度で十分のようだ。

 

こうして養老S.A.に入り、荷物やタイヤの状態をチェックした後、食事をしようと思い、一番手前にあるおしゃれな軽食屋を選んで入店した。なんだか当方のような小汚いライダーとは不釣合いなきれいな店だが、ここのところの暑さのせいで、さっぱりとしたものしか食べることができない。野菜のサンドイッチとアイスティーを注文して、席に着く。そして早速地図を見ながら計画の妥当性を検証するのだが、ちょっと遅れ気味か。またギリギリになりそうだ、と言っても規定の23時にギリギリであって、出航の0時30分にギリギリというわけではない。まあ何とかなろう。そう思いながら、きれいなお姉さんが運んできたパンを食して、はやる気持ちを抑えつつ、また楽しんだりして精神状態を整える。

 

ここで雨がパラパラと落ちてきた。どうやら台風の南東側の雲が、北陸地方に残っているらしい。仕方なく合羽を装着するが、これは事前にチェック・予想をしていたことなので、それほど苦にはならない。

 

3.舞鶴港へ

 

この後は最初に提出した飛行計画通りに、敦賀I.C.から北陸道を下りて、国道8号線でheading200〜270辺りを維持しつつ舞鶴港を目指す。時折雨が強くなったり、また前走のトラックが巻き上げる小笠原しぶきを浴びることになる。おお、しまった。ヘルメットのバイザーに撥水液を塗り忘れた。おかげでやや視界がにじみがちだが、走行に支障が出るほどではない。時々手でぬぐっておく。

 

こうして最近ちょっと有名な小浜市に入り、2回目の休憩をとる。雨は完全に上がっており、路面も乾いてきている。しかし、この先の天候が、どういう状況か解らないので、携帯のYAHOOにて局所天気を確認する。すると舞鶴は完全に雨が上がっているようで、これからも降ることはないと予想が出ていた。夜とはいえ、合羽を着ての走行は暑いので、ここで合羽を脱ぐことにする。

 

水分補給をしつつ、友人にライブリポートを兼ねたメールを送信しておく。ひとまず順調な報告ができたのでよかった。これと同時に、旅の安全は当方の技量に掛かっていることを再認識する。一応2輪は総走行時間が6,500時間程度の経験を有しているが、油断は禁物である。

 

こうして残りの区間は、舞鶴若狭自動車道の小浜I.C.から「舞鶴I.C.」までを無難にこなしていく。因みにここは現在、社会実験中の区間であり、無料なので利用してみた。というか、結構時間が迫ってきていて、やや焦っていた。

 

焦るとろくなことがない、「急がば回れ」という諺通りになってしまった。舞鶴I.C.から舞鶴港までの道程をよく確認していなかったのがいけなかった。行き過ぎては戻り、また行き過ぎては戻り、と非効率的なことをしていたらどんどん時間が過ぎてしまった。目の前に今から乗船するフェリー「はまなす」が見えているのになぁ。結局舞鶴港には23時ちょっと前、つまりは規定の時間のほんの数分前に到着となってしまったのだ。フェリー会社の係員からも、「乗船が始まりますので急いで下さいね」と念押しされてしまった。

 

ひとまずターミナルの建物に入り、乗船申込書を記入する。そして窓口に並ぶが、こういう時に限って厄介なことが起こるものだから困ってしまう。大きな太鼓を叩いて、それに合わせて首をヘコヘコさせている連中の一味が、窓口のお姉さんに訳のわからん冗談を言って時間を食っているのだ。おいおい、と思ったが、失礼ながら「こんなのでも生きている奴がいるのだから、俺なんてまじめでテキパキしているもんじゃあないか」と思い、悩んでいたり、焦っていたりしていたことが急にバカらしくなった。乗船だって別に10分かそこら遅れたくらいでは、風呂が混みあうかどうかくらいの違いがあるだけだ。また、寝台を予約しているので、場所には困らない。そう思うと、自分のケツの穴の小ささがアホらしくなった。それにしてもこの人達、クレジットカードで決済をしている。銀行の口座を持っていて、そこに金が入っているということか。どうやって稼いでいるのだろうか。全くもって不思議であった。「世界不思議発見」にて、ミステリーハンターの白石みきにリポートしてもらいたいものだ。いや、水沢蛍でもよいかも?

 

乗船前の一コマ

 

4.出航

 

こうして太鼓のリズムに合わせて?乗船手続きが完了し、23時頃に車両甲板に愛機を停車させ、荷物を網棚に載せかえた。蒸し暑い車両甲板からフェリー3Fへの細い通路の階段を上がり、案内所にて寝台番号の指定を受ける。このあたりまでくると、気分はすっかりと旅人だ。周りのライダー他乗客の人々も、少なからずそう見えてくるから不思議なものである。

 

さて、今回が5回目の渡道なので、このような諸手続きにも慣れたものだ。そう、今回は5回目の北海道で、TDMを相棒にして4回目ということになる。因みに1機種4回の渡道は、当方にとって初めてのことである。TDMの積算計の数字においては、10,000km近くが北海道での走行ということになる。こうして考えてみると、よく走ったものだ。「目指せ200,000km」の合言葉と共に、これからも距離を積み重ねていきたいものだ。これはつまり、「当方がTDMを壊さないように、安全運転をする」ということと同義あるので、より一層の技量向上に努める必要があろう。

 

指定の寝台へ向かい、番号を確認する。「なんだ、上か」。敦賀からの乗船時はいつも下の段を指定してくれて、しかも上の段は空いていることが多い。これは船の構造的な違いによるもので、止むを得ない。舞鶴航路は二等室の数が敦賀航路よりも多く、その分二等寝台の数が少ないというわけだ。さらに、S寝台というクラスもあるので、なおさらだ。

 

そんなことを思いつつ寝台に荷物を置いて、タオルと歯磨きセット、そして替えの服を持参して大浴場へ向かうのだが、ここでちょっとした間違いをしてしまった。敦賀発の「すずらん」と「すいせん」は、案内所右横の通路に大浴場があるのだが、舞鶴発のはまなすとあかしあは4Fにある。当方は敦賀路線を多く使用しているので、思わず3Fに浴場を探してしまった。

 

少々手間取りつつも大浴場へ到着。やれやれ、これで汗だくのシャツから開放されるよ。それにしても一歩遅かった。脱衣所は既に多くの人でごった返している。その中にスキンヘッドで、背中に刺青入りの白人の人がいる。一体何者だ?

 

なんだか敦賀路線のものよりも綺麗で広く感ずるなぁ。そう考えていると丁度洗い場が空いたので、さっさと頭と体を洗って湯船に入る。いやぁ〜生き返るとはこのことだ。舞鶴まで250km程の距離だったので、結構疲れてますなぁ。敦賀〜舞鶴間の距離はやはり侮れないぞ。

 

さらに混みあってきたので早めに上がり、寝台に戻る。一日お疲れさんでした。出港のドラの音を聴いたところまでは覚えているが、その後はすぐに寝てしまったようだ。

 

第1日目へ

 

本日の走行 250km